第5話 変態

私は男性がすごく好きだ。これまで私が対峙してきた異常者が全員同性だったことも大きいかもしれない。男性は皆優しいし、突然狂って凶行に走ったりすることもない。

高校生の時には彼氏もできた。結局その関係は同級生の女がまたいつものパターンで攻撃してきたため、三か月で終わってしまったのだが。そして、それが原因で私は男性とも親しくならないように努めなければならなくなるのだが。

とにかく男性は単体で自発的に私に攻撃してくる確率がかなり低い。それだけで私が女性より圧倒的に男性が好きな理由になると思う。

更に私は男性の造型が好きだった。女性にはない隆起した前額。浮き出した血管。毛深い手足。恐らく一般的には冴えないと評価されるであろう太った男性や痩せすぎの男性もそれはそれで好きだった。誰とも関わりたくない私は、男性がこんなにも好きなのに男性と話すことさえできないというフラストレーションを抱えることになった。


私の異常な行動は初めての彼氏との交際が三か月で台無しにされたころに始まる。同級生の男性の中で、とりわけ容姿が好みの生徒を決めて、密かに写真を撮ることにしたのだ。「陰キャ」の私はそれを簡単に行うことができた。

その写真を眺めながら、現実には行えないデート……いや、専ら性的欲求を発散させるための自慰に浸った。異常者に晒されすぎて、私も異常者の一人になってしまっているのだと思う。しかし自覚したところでどうすることもできない。現実に行うことは限りなく不可能に近いのだから。

一度隠し撮りした写真フォルダを兄に見られてしまったことがある。その中には兄の友人も含まれていたので「こういうことはやめろ」と厳しい表情で諭された。

私は必死に抗議した。じゃあどうしたらいいのかと。何をやっても、誰とどんなかかわりを持っても、必ず異常者が介入してきてしまうのに。

兄は哀れみの表情を浮かべて「ばれないようにしろよ」と言ったきり、それ以降は何事もなかったかのように接してくれた。


ナオキ―光村直樹は私が出会った中で最も美しい容姿をしている。

そう思っているのは私だけかもしれない。彼は私の理想を絵に描いたような容姿だった。髭が濃く掘りの深い顔立ち。厚い胸板、太い腕、身長は185cmといったところか。柔道をやっているのか少し前傾姿勢で耳が変形しているのも魅力的だ。

ゴリラなんて呼ばれているけど、男女どちらからも好かれていていつも友達に囲まれている。いわゆる人気者だ。

いつも周りに人がいる直樹の写真を撮るのはいくら目立たない私でも苦労した。事実何度も何度も挑戦して、誰かに見られそうになり失敗した。

分かっている。自慰のため、素敵な男子を隠し撮りするためにここまで必死になっている私は十分異常者だ。犯罪者でもあるだろう。私をこれまで苦しめてきた異常者を馬鹿にすることなんてできない。


機会は突然訪れた。なんと欲望の対象自らが声をかけてきたのだ。


「小宮山さん」


近くで直樹の声を聴いたのはこれが初めてだ。なんて素敵な声。低くて、よく響いて……心臓が跳ね上がる。


「小宮山さん、俺初年次ゼミの課題のペアまだ決まってないんだよね。小宮山さんもし決まってなかったら、俺と組んでくれないかな」


直樹という男は心まで美しいのか。

直樹は友人が多いのだからペアがまだ決まっていないなんて嘘に決まっている。仮に決まっていなかったとしても彼が声をかければ誰でも喜んでペアになるだろう。

それなのに彼は、敢えてぼっちで、ペアを決められそうにない陰キャの女に声をかけたのだ。彼の義侠心が哀れな陰キャを見過ごせなかったのだろう。

実際困り果てていた私は一も二もなく頷いた。


「良かった。俺小宮山さんがペア決まってたらどうしようと思ってたけど声かけて本当によかったよ。栄子って呼んでいい?俺のことは直樹でいいよ」


結局課題は週に1回、約5か月で終わってしまったし、直接直樹と呼ぶことはできなかったけれど、美しく優しい直樹が私を栄子と呼んで親しい友人のように扱ってくれたことは忘れられない。

それに彼は思っていたよりずっと几帳面で、課題に対しては私よりもずっと真剣だった。私は彼の外見から、勝手に「モテてて性欲強くてテキトーなリア充」だと思い込んでいたのだ(妄想のセックスを盛り上げるためにはそういう人格の方が都合がよかった)。

課題が終わる頃にはもう、彼を盗撮してその写真で自慰をしようなんて考えは浮かばなくなっていた。彼は私の尊敬できる男性で、一方的に性欲を押し付ける対象にしてはいけないと思うようになった。例えそれが妄想でも。


課題が終わった日、ゼミのメンバーの打ち上げに私も誘われた(恐らく義務的に)。私は会費を出し、最初のビールを一杯だけ飲んで、具合が悪いと言って居酒屋を後にした。

繁華街を駅に向かっていると私を呼ぶ声がした。


直樹だ。


「栄子、なんで帰っちゃうんだよ。寂しいよ。もっといてくれよ」


直樹は私の肩を掴んで正面に向かせた。

すごく嬉しい。直樹が、私を追いかけてくれたことが。そしてそれが同情や義侠心からくるものでなければと願ってしまった。

でも、直樹は人気者なのだ。優しくて真面目で美しい男なのだ。私のような女がそんなことを願うなんて。私は、あなたでオナニーするために隠し撮りしようとしていたような変態女なのに。


「ごめんなさい、光村君。私具合が悪くなっちゃって。光村君は皆のところに帰りなよ」


「栄子、俺のこと直樹ってどうしても呼んでくれなかったな。」


「ごめんなさい……私、コミュ障で……ごめん」


私がしばらく黙っていると、直樹は私の腕をつかんで無言で歩いていく。嬉しくて、顔が紅潮しているのが自分でもわかる。直樹、直樹、直樹直樹直樹、私は心の中では何度も呼んでいるのに。


直樹に連れてこられた場所は繁華街の入り口にあるゲームセンターだった。


「プリクラ、撮るよ」


何も考えられず立っているだけで撮影が終わり、動かない私に代わって直樹がプリクラに文字を入れ、半分に切って私にくれた。

そのとき何と言われたか、その後どうやって帰ったのかも覚えていない。

プリクラには引きつった顔の私に不釣り合いな、「えいこ」「なおき」「なかよし」といったきらきらしたスタンプが光っていた。


直樹と私の思い出はこれでお終いだ。

専攻の違う直樹と私は進級してからキャンパスも変わった。春休みの間も何回か遊びに誘ってくれたが、彼とのトーク画面を見るたびに、彼を盗撮しようと必死になっていた浅ましい自分を思い出し、泣きたくなった。私は彼に返信しなかったし、もうそれで終わりだ。

プリクラはどうしても捨てられなかった。

もちろん、自慰になんか使っていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る