第10話 おかえりさん
私は今敏彦の部屋にいる。
昔はよく遊びに行った。一緒にマリオワールドとかやって、楽しかったなぁ……なんて思い出に浸れるはずもない。今の敏彦の部屋は、私の写真がそこかしこに貼ってある。
何故か私の好きな曲までかかっている。
でも……こんな異常な部屋でも、あの磯臭い自分の部屋に戻るよりはマシだ。
「いつから見てたの」
「いつからって。言ったろ、基本的に毎日えっちゃんのこと見てるって」
「そう……」
近所で有名な変質者と部屋で二人きり、しかもその変質者の興味の対象は私自身だというのに、私の心はさっきよりずっと落ち着いていた。襲われても別にいいやと思っている。死ぬよりはマシだ。敏彦が私のことを殺すつもりなら、もっとずっと前にやっていたはずだ。だって、基本的に毎日見てたんだから。
「それで、なんでオバケだと思うの、あのサカ」
サカナ、と言う前に敏彦がパンパンに膨れた手のひらで口を無理やり塞いできた。思わず咳き込む。
「何すんの!」
「いけない」
敏彦は目を伏せた。
「あれのことを表す言葉を口に出したらダメだよ。怪談話してるとオバケが寄ってくるって言うでしょ、そういうこと。あれはあれでいい。少なくとも口に出すときは」
一気に空気が冷え込んだ。夏と言ってもいい気温なのに身震いする。
「えっちゃん、俺はえっちゃんがあれを見るより前からあれを見ていた。あれは海から来た。あれがどうやって出来たかはまだ調べきれていないけど……それも、半分くらいは分かったかな」
「いきなり、そんなに沢山言われても分からないよ」
「ごめん。でも時間があんまりないと思う。えっちゃんの前にも姿を見せたわけだからさ」
普段ならこんな馬鹿な話絶対信じない。オカルト雑誌とか、心霊番組の観すぎだって、絶対に思う。でも、敏彦はさっきまでのニヤニヤした笑みを表情から完全に消し去っていたし、あれ――サカナを見たあとだと説得力が違った。
「光村直樹」
その名前を聞いて再び心臓が跳ね上がる。
「えっちゃんのひとりエッチのおかず候補だったよね」
「なぜそこで直樹が出てくるの」
いちいち『ひとりエッチ』などという言葉を選ぶ敏彦の気持ち悪さに辟易としながら当然の疑問を投げかける。
「あのままいけば良かったんだよ。確かにえっちゃんは変な女に絡まれることが多いけど、また光村直樹が原因で変な女が突撃してくるとかそんな余計なこと考えずにあのまま光村直樹と付き合えば、少なくともあれが来ることは無かったんだ。えっちゃんが悪いわけじゃないけど、えっちゃんは完全に判断をミスったよね」
「つまりどういうことなの」
「光村直樹はえっちゃんのことが好きだったんだよ。今も好きだと思う。えっちゃんよりずっとね。俺と同じ。でも俺の純粋な愛と違って、光村直樹のものはずっと我儘で迷惑な恋だったんだけど」
「ちょっと待ってよ」
私は敏彦の話を遮る。
「あんたのが純粋な愛かどうかは置いといて、直樹が私のこと好きなわけないでしょ。課題でペア組んだだけだよ……確かに一瞬だけ、私のこと好きになってくれたかと思ったけど、こっちが連絡しなくなったらそれっきりだったし」
「えっちゃんの考えは今はどうでもいいや。あれ、えっちゃんの部屋にいたあれは、光村直樹が作ったんだから。それが何よりの証拠なわけ」
あのバケモノ……あれを直樹が?それが私と何の関係が?頭の中が疑問符で一杯になる。混乱している私を無視して、敏彦は話を進めていく。
「えっちゃんはタルパって知ってる?チベットの密教の修行のひとつで……って、まぁそこら辺は省くけど、要はさ、人工生命よ。自分のイメージに人格を持たせて本当の人間みたいにするわけ。イマジナリーフレンドと似てるよね。それよりもっと能動的だけど。光村直樹はそのタルパを作って、えっちゃんを宿そうとしたみたいなんだよ」
「それ、マジで言ってるの」
「大マジ。で、タルパだったら全然害はないんだよ。完全に妄想の産物と言われてしまえばそれまでだし、2次元の女の子をオレの嫁とか言ってるキモオタなんて沢山いるだろ?それと同じだから。でも、光村直樹は春休み実家の富山県に帰って、タルパよりいいものを発見した。本当に、ド田舎ってだから嫌いなんだよな。気持ち悪いもんが沢山あるから」
敏彦はパソコンのモニターに何枚もの美しい田舎町の情景を写して、私にスライドして見せた。
「おかえりさん」
洞窟の写真でスライドを止めた。
「ここは漁村でさ。昔は漁に出たまま海で亡くなる人も多かったらしい。それで、本当に気持ち悪い話なんだけど、この洞窟に、帰ってこなかった人の体の一部……まぁだいたいは髪の毛だったみたいだけど、それを置いておくと、海から戻ってくると言われてたんだよ。実際戻ってきた人もいたみたいで、そういう人のこと『おかえりさん』って呼んでたらしいよ」
「そんなこと、あるわけない」
「まあね。この話だって富山の認知症みたいな年寄りの話をオカルト好きの知り合いが聞いてホラーサイトに載せてただけだし。眉唾だよね。でもね、これを見ちゃうと完全に嘘とも言いきれなくてさ」
敏彦はスライドして次の写真を表示する。
これはなんだ。古い白黒の写真。
虚ろな目の男性の横で老婆が満面の笑みを浮かべている。その後ろに、その男性の遺影。
なんて悪趣味なことを……それに。
虚ろな目の男性は、粗い昔の写真でもはっきりと分かるくらい、おかしな肌をしていた。あのサカナみたいに。
「気持ち悪いよね。これが『おかえりさん』なんだって。認知症の年寄りが持ってた。婆さんの、そのまた婆さんと漁師だった息子のおかえりさんの写真なんだって。こんなの、人間じゃないよね。気持ち悪い、ほんとド田舎って……まぁいいや。とにかく、俺はこう思うわけ」
敏彦はパソコンをオフモードに切り替えた。
「光村直樹はえっちゃんの一部を使って『おかえりさん』を作ろうとしたんだ。多分えっちゃんの髪の毛なんて手に入らなかっただろうから、適当に別のものでやったんだろうね。それで、あれが海から帰ってきた。『おかえりさん』は本来死んだ人間でやるものだ。でもえっちゃんは生きてる。あれに気付かれた。えっちゃんが生きてることに。あれは、えっちゃんを消して、えっちゃんになろうとしている」
「ちょっと待ってよ」
私は涙目で叫ぶ。
「その写真のおじさんは元のおじさんにそっくりじゃない!私は……私はあれに似てない!」
敏彦は溜息をついた。
「似てるよ。光村直樹は材料を間違えた。だから顔は違うかもしれない。でも特徴は同じだ。高い身長。すらっと伸びた手足。赤い唇。まっすぐな黒髪。えっちゃんに自慢話みたいなのしてただろ?あれは光村直樹が勝手に妄想した設定なんだ。えっちゃんはあんな性格じゃないけどな……」
――ドンドン、ドンドン
扉を叩く音が聞こえて、敏彦は話すのをやめた。
「だれ?母さん?」
――ドンドン、ドンドン
返事はない。音だけが大きくなっていく。
――ドンドンドンドンドンドンガンガンガンガンガンガン
扉が今にも壊れそうなくらい揺れはじめた。
「誰だよ!!!」
「やめて、敏彦!!!!!」
私の制止は間に合わず、敏彦は勢いよく扉を開けた。その瞬間、部屋に海の臭いが充満した。
――誰もいなかった。でも。
廊下に水が滴っている。
誰が――いや、何が扉を叩いていたかなんて分かる。
もう私にはどこにいても……サカナの声が聞こえるから。私はそのまま、床へ倒れ込んだ。
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