第14話 来てしまった

浮浪者かな。待ち合わせ場所に来た男性を見て思わず顔をしかめる。

手入れされていない髭とボサボサの髪、よく見ると顔も黒ずんでいてなんとも汚らしい。私の生理的嫌悪感を察したかのような表情でため息をつきつつ、敏彦が口を開く。


「えっちゃん、この人が誰だか分かってないね。黒川さんだよ」


――黒川。私は記憶を辿る。黒川、黒川……そうだ、思い出した。

あのカフェ店員だ。私に不気味な手紙を送った。それにしても二週間も経っていないのに、随分様子が変わった。オールバックで、顔はしっかり見なかったけれど、清潔感にあふれた男性だったはずだ。これも、サカナのせいなんだろうか。

それに、敏彦は何故この男性と連絡を取ったんだろう。敏彦の、特定の人物に対するリサーチ能力は大したものだとは思う。でも、この展開はあまりにも私に都合が良すぎる。

改めて黒川さんを見ると、そわそわと落ち着かない様子で、しきりに辺りの様子を窺っている。恐らく黒川さんも、あの日からサカナの幻覚に苦しめられているのだろう。


「こないでくださいと、書いたじゃないですか。なんで来るんですか。必死だったのに。頑張って書いたのに。何で来たんですか。あれが俺には限界だったのに」


黒川さんは一回口を開くと、堰を切ったかのようにまくしたてた。


「もう見えてるんですよね。どこにいても聞こえるんですよね。俺にもなんでこうなったか分からないんだよ。俺は悪くない。言われたことをやっただけなのに、あれで仕事は終わったはずなのに、俺は悪くない、でも」


「何の話ですか」


「俺は親切心で、あなたに助かって欲しいと思ったんですよ。それなのにあなたはここに来た。だからもう無理だ。全部話す、本当に申し訳なかった」


何を言っているのか分からない。でもこの男は、まるで誰かに何かをやらされたようなことを言う。それに、直接サカナに顔を触られて、大きな痣のある私より、ずっと衰弱している。何かに焦っているようにしか見えない。

私は黒川の話をきちんと聞くために、舗装されていない道に直に座った。






――そのデブの推測は当たっている。このデブ、本当に怖いな。

俺は一年前の春、あのカフェで働き始めてすぐに、直樹さんと知り合った。俺はこの村の出身ではないけど、かなり近い場所に実家があるから、すぐに仲良くなったよ。

あなたの話もたくさん聞いた。笑顔が可愛いとか、まあ、特に肌がきれいだって褒めてたかな。おっさんには、ほほえましかったよ。

直樹さんはグループ課題が終わったらあなたに告白すると言っていた。でも、だめだったんだってな。すごく落ち込んでたよ。だから、慰めもかねて、俺は直樹さんと一緒に実家に帰ることにした。

おかえりさんの話はどこで聞いたのかわからない。でも、あの村で漁師をしている家系の人間は皆知っている、らしい。

あなたの髪の毛を取ってくるように言われた。あなたがあのカフェによく来るから、簡単だと思ったんだろうな。でも俺は断った。そんなの直樹さんらしくないし、何よりバケモノを作るんだろう。信じていなかったし、気持ちが悪いとも思ったから。

なかなか諦めてくれなかったけど、髪の毛を持ってくる代わりに、もしその……おかえりさんが来たら入店させて、あなたの席まで案内しろと言われた。俺はそれくらいならいいよと言ったんだ。そもそも、信じてなかったしな。そしたら……来てしまった。アレが。俺にも見えた。あんなバケモノ……でも俺は恐ろしくて、言う通りにしてしまった。それは本当に、申し訳ないと思っている。

でもそれだけなんだ。それで仕事は終わったはずだ。アレに突き飛ばされてから、まああなたは見てなかっただろうけど、恐ろしくて逃げ出したんだ。そしたら、アレが俺の前に現れて、言うんだ。

『あのブス連れて海にきて』って。ヤバいと思った。俺はあなたが死ぬのは、申し訳ないと。俺にも責任の一端があるような気がして。

だからあなたとどうしても話したかった。でもアレが、俺を見てる。どこにいても。だから手紙を渡した。海に来ないように。どんなに困っても、富山に来ることがないように。でも、もう無理かもな。あなたは。来てしまったから。


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