海がみえる

第7話 手紙

あれから一週間が経った。家族からは散々止められたが、私はどうしても留年したくないので大学に通い続けている。顔の痣は薄まるどころか日に日に濃くなっていき、私は化粧で隠すことを諦めた。化粧や洋服で自分を飾り立てるのは大好きだったし、将来的に化粧品会社に勤めたいと思っていたけれど――そんなことを言っている場合ではない。

去年医師になったばかりの兄もこれは痣ではないかもしれないから通院しつつ肌に刺激のあることはなるべく避けた方がいいというので、その通りにした。


サカナはどうなったのか。警察の話によれば、やはりあの日異様な女を見たという人も現れないし、周辺を捜索しても見つからなかったそうだ。

それに恐ろしいことがもう一つあった。

あのサカナに突き飛ばされた店員。彼も大学病院に搬送されたはずだ。私はあの日必死に警察に訴えた。「あの突き飛ばされた店員さんに事情を聞いてください」と。そして、恐らくあの店員は、警察にサカナの姿や行ったことを、詳細に説明したことだろう。

昨日、大学の掲示板に私に渡すものがあるということでカフェに向かったところ、それは小さく折りたたまれた手紙だった。


『はいろうとしています。こないでください。』


30を超えているであろう男性が書くものとしてはあまりに拙く異常な内容だ。

手紙を預かっていた女性店員に話を聞くと、この手紙を渡されてすぐ彼の実家から連絡があり、辞めてしまったということである。


嫌な想像しかできない。扉をこじ開けてあの白くぬめった顔の女が大きな体を折り曲げて部屋に入ってくるのを想像して小さくうなる。いけない。あの女がバケモノの類と決まったわけではないのに。、そう、ただの異常者かもしれない。きっとそうだ。

この店員も嫌なことをする。彼の実家は富山県にあるというだけで、詳しい住所は店の誰も知らないのだという。不気味なだけで、何の解決にもならない手紙を残すなんて。そもそもこういう考え方が良くない。オカルト話は好きだけど、生まれてから一度もそんな体験はしたことがない。バケモノである確率より、とびぬけて不気味な容姿の異常者である確率の方がずっと高い。

この消えない顔の痣だって――恐らくあの女は私に危害を加えようと、手になんらかの細工を施していたに違いない。

警戒するに越したことはないが、警察も、大学関係者もきちんと対応をしてくれている。なにより、大学生には他にやるべきことが沢山ある。


そういえば。ふと直樹のことを思い出す。

直樹の出身も富山県だったような。そんな話をしたのは半年も前だから、記憶違いかもしれないけど。


『簡単だよ』


またサカナの声が聞こえたような気がする。PTSD、心的外傷後ストレス障害だろう。

とにかくなんでもかんでも結び付けてはいけない。

それに、直樹のことはもう思い出すことも考えることもないようにしなくては。解放する、が何のことかは分からないが、確かに私は今でも直樹のことをよく思い出す。思い出の中に直樹を閉じ込めていると言えなくもない。


直樹のこともサカナのことも、不気味な手紙のことも忘れてしまおう。そう決意した。

それにしてもこのキャンパスは海が近い。早くこんな磯臭いキャンパスから抜け出したいものだ。

「やっぱり留年したくない、大学来てよかった」とひとり呟いて、私はテスト勉強のために図書館に籠るのであった。

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