episode2 Worst Encounter

4 Worst Encounter(1)

 レガリアの二階、医療区画にあるリハビリ室。そこでは二人の聖戦士が担当医と共にリハビリを行っている。一人は自分が聖戦士だと知らないワイアット。もう一人は――。




 歩行訓練を補助するための平行棒がある。そこの平行棒に掴まり、必死に顔を歪めながらも前へ足を進めようとする女性の姿がある。ワイアットの視線はその女性に釘付けだった。


 緑がかった淡い水色という、綺麗だが儚い美しい色の波打った髪。本来ならば長いであろうその髪は後ろで一つに束ねてあった。前に進もうともがく度に束ねられた髪が揺れる。


 濃い青紫色の瞳は何を警戒しているのか常に周囲を見回していて。そんな彼女の右足は膝から下が白い義肢で出来ている。左足は普通の足なのに、右足だけが義足なのだ。


 しかしワイアットが彼女に興味を持ったのはその外見ではない。物を掴む練習をしながらもその視線は女性を追う。集中出来ていないのは誰の目にも明らかだ。


「ねぇ、シェリファ先生。どうしてあの子は、あんなに無理して歩いてるの?」


 ワイアットが興味を持った理由はその行動から。足を義肢に変えて、まだ肌に馴染む前に無理矢理リハビリして。そこまで無理して現場に復帰しようとする理由がわからないのだ。


 義肢が肌に馴染んでない証拠に、義肢と皮膚の継ぎ目から溢れた血が床へと流れる。見るからに痛々しい光景なのに、その女性は流れる血を無かったこととして扱っていた。しかし血痕だけは誤魔化せない。


 白い床に不規則に出来た赤い血溜まり。床には乾いた血溜まりと出来たばかりの血溜まりとが点在している。血と汗が床で交わる。


「早く歩けるようにしなきゃ」

「早く動かなきゃ」


 そんな心の声が聞こえるような気さえする。だからこそワイアットは疑問に思うのだ。どうしてあの女性はそこまで焦るのだろう、と。


 女性が足を動かそうとするとする度に血が噴き出す。本来なら止める立ち位置であるはずの担当医は、その必死の形相に圧倒されて何も言えないまま。


 綺麗なエメラルドブルーの髪も、アメジスト色の瞳も、色白の肌も。その女性の持つ、誰一人寄せ付けないような張り詰めた雰囲気の前では霞んで見えた。


「このリハビリを終えた後の休憩時間に、本人に聞きなさい。ほら、今は集中する! 自力で食事くらい出来ないと生きられないわよ」


 シェリファがワイアットの背中を優しく叩く。そしてリハビリを促した。今のワイアットはまだ弱々しい力で物を掴むのが精一杯で、食事も人の手を借りなければ出来ないのが現状であった。


 ワイアットが目覚めてから一週間と三日。ようやく手足が動かせるようになったものの、その動きはぎこちない。また、言葉を長時間話すのも難しく、今は必死に口も動かしてリハビリしている。


 シェリファの黒いつり目に睨まれ、ワイアットは渋々リハビリの作業に集中する。そして心の中で、休憩時間に女性と話すことを決意するのであった。




 リハビリとリハビリの間には休憩時間があったり食事の時間があったりする。ワイアットが動いたのは昼食後の休憩時間だった。シェリファに車椅子を動かしてもらい、義足の女性の元に近付いていく。


 車椅子の音でワイアットが近付いたことに気付いたのだろう。女性もまた松葉杖を使いワイアットへと近付く。その表情は怒っているようにも涙を堪えているようにも見える。


 ワイアットはこの日この瞬間を一生忘れないだろう。二人はそれほど印象的な出会い方をした。


 幻想的な外見。しかめた眉もワイアットを睨むその仕草すらもが美しく儚く見える。だがその第一印象は一瞬にして崩れ去った。


 バチンと大きな音がした。女性がワイアットの頬を強く叩いたのだ。その衝撃で頬が熱を持ち、赤くなる。だが女性はそんなことを気にもせずに声を発した。


「君は、リハビリの一つもまともに出来ないの?」


 聖戦士がワイアットにドスの効いた声で話す。透き通った綺麗な声を認識する。それが自分に言われた言葉だと認識した時には、聖戦士がワイアットの目の前にまでやってきていた。





 幻想的な外見の女性。その右足の義足は膝から下がない。いや、正確には膝の関節付近まではある。無いのは下腿部だ。


 本来ならばふくらはぎや足部があるはずの場所。そこには白い義足がついているのだが、間近で見るとその違和感が目に付く。ワイアットもそれに気付いてしまった。


 白い義足は身体を支えるには頼りない。細い白い棒のようなものと、板バネの形になっている足部。それらは日常生活を送るには不安定で、見ていて痛々しい。


 しかしワイアットが気づいたのはその接合部。白い棒のようなものは膝下のジャガイモのように丸まった肉に刺さっていた。傍から見れば下腿部だけ骨が剥き出しのように見える。


 どう見ても剥き出しの骨に板バネがついてるようにしか見えない。しかもその剥き出しの骨のような部分を赤い液体が、血液が伝っているのである。血液の独特の鉄の臭いが鼻につく。


「で、何か用? あんなに見られてると集中出来ないんだけど。用があるなら今ここで済ませてくれないかな?」


 リハビリの間、ワイアットがずっと見ていたのだ。女性がその視線を感じていないはずがなくて。かといって特に用があるわけでもなく好奇心から見てただけ。だから、ワイアットは言葉に詰まってしまう。


 本人を目の前にして「どうしてそこまで焦ってるの?」とは聞き辛い。そんな理由でリハビリに集中していなかったなんて知ればまた頬を叩かれる。そう感じた。


「この足が珍しいから? それとも見た目が珍しいから? どうせ君も他の人達と同じで――」

「違うよ! なんで……なんで、そんな焦ってんのか気になった。ただ――それだけだよ」


 このままでは外見の珍しさから見ていたと誤解される。そう思うと同時に、ワイアットの口は聞きたかったことを聞くべく言葉を紡いでいた。その言葉に女性の青紫色の目が見開かれる。


 それは一瞬のことだった。聖戦士がワイアットの胸倉を掴む。アメジスト色の瞳が何かを訴える。だがワイアットにはその何かは伝わらない。


「ねぇ、君。私の着てるこの黒い制服がわからない? 私は聖戦士よ。聖戦士はエアと戦って住民の生活を支えるのが役目なの。聖戦士一人の損失が都市の崩壊を招くことにもなる。私が早く復帰しなきゃ、他の聖戦士に負担がかかる。住民を養うための物資が不足する。そしたら、たくさんの人が死ぬかもしれない。聖戦士はね、人の命を預かってるの。私がいないことで死ぬ人もいるの。人の生死がかかっているんだもの、焦るに決まってるじゃない!」


 ワイアットを睨みながら発せられたその言葉は真剣だった。器用に両脇で松葉杖を支え、ワイアットの身体を揺らす。その顔を見れば、彼女がワイアットに呆れてることなんてすぐにわかった。


 しかしワイアットにはやはり彼女の心理は理解出来ない。何故他人のためにそこまで頑張れるのか、わからないのだ。何故住民のために命を捧げるのだろうかとすら考えてしまう。


「エイラ! この子は新人。職員の違いもこれから教えるの。だからそう、キツく当たらないでちょうだい?」


 エイラ、それが彼女の名前なのだろう。シェリファに名を呼ばれ、ハッと息を飲む。松葉杖で身体を支えていて、動いていない時ですら義肢と膝の間を血が伝う。


 エイラは悲しみからか怒りからか顔を歪めていた。下唇を血が出るほど強く噛み締める。色白の顔が真っ赤に染まる。眉間にシワが寄っていた。


「……そう。とりあえず、リハビリの邪魔だから、もう見ないでくれる? きっと君には、私の気持ちなんてわからないから」


 そう小さく呟くとくるりとワイアットに背を向ける。松葉杖を使って移動をする。そんなエイラの背筋はピンと伸びていて。近寄りがたいピリピリした雰囲気を放っていた。

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