Part1 Awakened Boy, Wayatt

episode0 Good morning,Wayatt

0 Good morning,Wayatt

 地上都市レガリア。それは数ある地上都市の一つであり、規模は小さい方。だが規模にはあまり意味が無い。なぜなら、地上にあるどの都市もそれほど大差がないのだから。


 都市と呼ばれているが、要は広大な面積を誇る一つの巨大なビルである。居住区も都市として機能するための設備も、街として必要とされるありとあらゆるものが集められたビル。それが都市の正体だ。


 屋上は立ち入り禁止されており、立ち入ろうとする者もいない。都市に開け閉めするような窓は一つもなく、外の様子を確認するための鉄格子付きのガラス板があるだけ。


 この世界における都市とは一種の閉鎖空間であった。分厚い頑丈な壁で構成され、その建物一つで全てを賄う。都市がこのような形になったのにはきちんと理由がある。


 この世界には人を食らうエアがいる。エアは進化を遂げた動物の総称だ。人を喰らい、安易に殺されないある特徴を持った動物。いつしか、動物の上にいたはずの人類は、その立場を逆転させていた。


 都市が巨大なビルの形をしているのは、エアから住民を守るためであった。窓が開けられないのも屋上に行けないのも同じ理由だ。人々は空を見ることが出来ない。




 レガリアの一階は「アリアン」と呼ばれる組織の活動区画であった。アリアンとはエアと戦う組織であり、今では都市の統治も担っている。正確にはレガリアにあるアリアンはレガリア支部という名前であり、本部は別の都市にある。


 エアと戦う者は「聖戦士」と呼ばれている。普通のアリアン職員は白い軍服だが、聖戦士は黒い軍服を身に着けることでその違いを一目でわかるようにしている。


 聖戦士の大半はエアと戦うために仕事をする。だがこのアリアンレガリア支部には二名ほど、例外がいた。一名はレガリア支部を束ねる支部長。そしてもう一人は――意識不明のままの少年、ワイアット。


 ワイアットはレガリアの二階の個室にいた。二階は手術室やリハビリ室など、医療に関するあらゆる設備が集まった「医療区画」。そしてワイアットのいる個室は、集中治療を施すための隔離病棟であった。


 彼が聖戦士であるのにエアと戦わない理由。それは、聖戦士であるにも関わらず未だに昏睡状態であるため。目覚めなければ、聖戦士として戦う事はおろか、まともに生活することも出来ない。





 見た目は十代前半の若者。雪のような白い髪は無造作に伸びている。身体には点滴の管が何本も繋がれていた。その身体が生きていることは、微かに上下する胸を見ればわかる。


 隔離病棟のベッドで横たわるこの若者こそが、戦えない聖戦士であるワイアット。そしてそのすぐ傍にはレガリアを統治しているアリアンのレガリア支部支部長の姿がある。


「覚えてなくてもいい。目覚めてくれれば、それでいい」


 黒い軍服に身を包んだ支部長は眠り続けるワイアットの頭を優しく撫でる。その頭には支部長の証である黒い軍帽を被ったまま。腰にある刀も外そうとはしない。


 支部長はエアと戦うためではなく都市の統治がメイン。その武器は都市を襲うエアを討伐するために。その服は権限や地位を示すために。そう簡単に外すことは出来ないのである。


「クレア。目覚めたら私が連絡してあげる」


 支部長のことをクレアと呼び室内に入ってきた者がいる。その手にはカルテらしきものを持ち、白い軍服の上には白衣を羽織る。それは、ワイアットの治療を担当する女医であった。


「目覚めて、くれるかな?」

「自発呼吸をするようになったし、体温もやっと正常。もういつ目覚めてもおかしく無いと思うけど」

「本人が目覚めたくないとしたら?」

「どういうこと?」

「ワット、死のうとしたんだって。死なせないために眠らせたんだって。生きることに絶望してるのに、目覚めたいと思うかな?」

「それ、私に話して大丈夫なわけ? 機密事項なんじゃないの?」

「君はこっち側でしょ。ワイアットの事情も知ってるし、今更知ったところで、ねぇ?」


 クレアが女医に笑いかけると、女医はクレアの背中を少し強めに叩く。帽子の下からも出ている金髪が揺れ、青い目は柔らかく細められた。


「ほら、馬鹿なこと言ってないで仕事に行く! ここは私が見てるから。レガリアは、クレアがいなきゃ動かないでしょ?」

「はいはい」

「『はい』は一回!」

「はい」


 女医に促され、クレアは渋々ワイアットのそばから離れた。だがその青い目は名残惜しそうにワイアットの姿を見ている。女医はそんなクレアを無理やり部屋から追い出し、扉を閉めるのであった。





 レガリアの一階、アリアンの区画。その中で最も広い部屋にクレアの姿があった。周りの部下達に指示出しをしているのだが、どこか元気がないようにも見える。


 元気の有無に関係なく仕事はやらなければならない。エアと戦う組織である「アリアン」は常に戦場であった。ぼんやりしている余裕もないほどに、あちらこちらから声が飛び交う。


「食糧や備品の在庫確認出来てるか?」

「聖戦士は何人残ってる?」

「おい、飲料が不足してるぞ」

「医療班から依頼来てるんで最優先でお願いします」

「ルーイ・エドマンドから帰還連絡です」

「ジーカウェン・グラスを任務に出す。北門を開けろ!」

「ミュート・スレイダーが東門の前にいる。エアに注意して東門を開けてくれ」


 備品などの在庫管理からエアの討伐まで、アリアンはありとあらゆる仕事を担っている。そのため都市の住民ほぼ全員が何らかの形でアリアンに所属している。


 職員達の言葉を受けて仕事を振り分けるのは支部長であるクレアの仕事。職員のシフト割りから聖戦士に依頼する仕事まで、あらゆる仕事の管理を行っている。


 今日も職務を全うし、クレアの一日はいつもと変わらずに終わるはずだった。しかし事態は大きく動き始める。それは、鈴のような音から始まった。


 鈴のような音はクレアの軍服の内側から鳴っていた。その正体は小型化された簡易通話機器、通称フォン。文字通り通話のために作られた機械で、薄い長方形の形をしている。


 クレアはフォンを取り出すと素早く操作を行い、スピーカーに耳を当てた。そこから発信者の声が流れてくる。





「もしもし、クレア? 急いでワイアットの所に来なさい!」

「な、何事? こっちは仕事中なんだけど」

「ワイアットが目覚めた。そう言えばいいかしら?」

「ワイアットが? 今すぐ――は無理だけど、五分以内に向かう。それまで誰も入れないで」

「わかったわ」


 クレアに電話をしてきたのは、ワイアットの面倒を見ている女医であった。連絡を受けるや否や、クレアはすぐさま数人に指示を出す。支部長という立場上、そう簡単に場を離れる事は出来ないのだ。だが――。


「支部長、行ってきてください」

「ワイアットさん、ですよね。私達のことはいいですから」

「三十分くらいならクレアさん無しでも何とかなる。だから、行ってきてくれ」

「そうですよ。今行かないと後悔しますって」


 クレアのいる部屋にいた職員達が口々にワイアットの所へ行くように促す。それを聞いたクレアは「ありがとう」とだけ言い残すと物凄い速さで部屋を飛び出していった。




 クレアがワイアットの病室の扉を勢いよく開ける。真っ先に目に付いたのは、ベッドで上半身を起こしているワイアットの姿。血のように赤い目がクレアの身体を射抜く。


 すっかり伸びてしまったサラサラの白髪。幼さを残した顔。赤いどんぐり眼。その身体が細く見えるのは気のせいではない。しばらく寝たきりだったため筋肉が衰えているのだ。


「ワット、わかるかい? 僕だ、クレアだよ」


 ワイアットに語りかけるその声は無意識のうちにくぐもった。ワイアットの目覚めが嬉しくてこみ上げてくる涙を抑えられない。


 床に涙が落ちる。一滴、一滴、確実に床を濡らしていく。今のクレアに見た目も体裁も気にする余裕はなくて。


(あの日から四年、最後に会ってからは八年。おかえり、ワイアット)


 ワイアットに駆け寄ったかと思えばその細い身体を力一杯抱きしめる。温かなその身体が、ドクンドクンと鼓動する心臓が、ワイアットが生きていることを教えてくれる。


 ワイアットの左肩を濡らしながら、クレアは過去の出来事を思い返す。そして今日この瞬間を迎えられたことに心から感謝するのであった。





 それは四年前のこと。クレアは先程と同じようにアリアン区画の中で一番広い部屋にいた。異変が起きたのはその日の夕方のことだった。


 クレアのフォンが鈴のような音を発する。何者かがクレアに電話してきたのだ。クレアは相手を警戒しながら受け答えた。


「もしもし」

「おい、クレア! 今すぐレガリアの西門を見てくれ。見れば、俺の言いたいことがわかるからよ」


 その声はクレアにとって懐かしい声。だがフォン越しに相手の名を呼ぶ事はしない。それは、相手との暗黙の了解であった。


 通話を手短に終えたクレアは全速力で西門――レガリアの西側に位置する扉へと向かう。扉にある観察ようの小さな窓から外の様子を見た。見るや否や、思わず息を呑む。


 クレアの視界に映ったのは四人の子供達。そのうちの一人は子供一人が入りそうな巨大な容器を担いでいる。だがクレアが驚いたのはそこではない。


 窓越しに見える子供達の姿に見覚えがあった。見覚えがあるだけではない、接点もあった。しかしその時接した理由はあまり喜ばしいものではなくて。


 クレアは事情をなんとなくではあるが理解した。先程の電話の主はこの子供達をレガリアで保護して欲しいと思っているのだ。全てを理解した途端、エアの有無も確かめずに扉を開けて子供達を出迎えた。


「俺達はどーでもいい。ワットを、頼む」

「逃げて、来たんだよ、あの施設から」

「クーちゃんしか頼る人が、いないんだ」

「ワット、冬眠っての、させられててさ。助ける方法は、知ってる。何でも、する。だから、ワットを、ワットを、助けて」


 クレアが出迎えた子供達は、必死に何かを伝えようとする。だが焦りすぎて何一つ話が繋がらない。そう思った。





 四人の子供達はボロボロだった。身につけている物と言えば擦り切れた衣服と武器、そして大きな容器。それだけ。食料も飲料も所持していない。


 子供達が運んできた巨大な容器には中の様子を見るための窓のようなものがあった。そこから中を覗いた途端、クレアは言葉を失う。


 容器の中にいたのは見覚えのある子供の一人。雪のように白い髪はかなり目立つ。だが驚いたのはそこではない。容器の中の子供は、クレアが最後に会った時から少しも成長していないように見えたのだ。


「その中にいるの、ワットだよ。でも普通に出したらワットは死ぬ。生きたまま出す方法はわかるから、設備を借りたいんだ」


 子供達の一人が淡々とそう告げる。その顔に喜怒哀楽の表情はない。ただただ無表情で、不気味とさえ思える。


 混乱したクレアはとりあえず子供達四人に事情を聞くことにした。彼らの口から何があったのか、どうしてレガリアに来たのかを聞いてようやく、まともに思考することが出来た。


 「ワット」と呼ばれる子供を容器から取り出すまでに一年を要した。容器から出した後も自発呼吸をしていなかったり身体が硬直していたり。それでも地道に治療をした。


 自発呼吸をするようになったのは装置を出てから二年と半年後。硬直した身体はゆっくり少しずつ動かしてやることで、出来る限り元通りに動かせるようにした。


 クレアは仕事前の朝と仕事終わりの夜、必ず病室を覗いた。生きてることに安堵し、目覚めないことにショックを受けて。でも一日だって病室に行かない日は無かった。




 ワイアットが目覚めるまでの四年間がどれほど長く感じただろう。嬉しさと懐かしさと幸せと、様々な感情が入り交じって嬉し涙が止まらない。


 それは、クレアがこの四年間ずっとワイアットを見てきたからこその涙。しかし、運命は残酷だ。目覚めた白髪の少年はクレアのことを見てこう告げた。


「君は、誰?」

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