2 Welcome to Regaria(2)

 医療区画には個室と大部屋がある。まだ一人では動けないワイアットが暮らすのは個室の方。個室に戻ってきたワイアットに、シェリファはメモを見せる。


「まず、聖戦士についてから説明しようかしら。ここがどこかも、みんなが何をしているのかも、わからないと困るでしょ?」


 シェリファの黒い目がワイアットの顔をじっと見据える。その眼差しに耐えられず、ワイアットは目を逸らしてしまった。


「この世界にはね、エアっていう生き物がいるの。彼らは人を襲う。だから、こんな建物の中に閉じこもって戦う必要があるわ。生き残るために、ね」

「生き残るために……」

「聖戦士は遺伝子を書き換えた人間よ。遺伝子を書き換えることで、エアの持つ優れた筋肉と自己治癒力を取り入れてる。でもあくまで四肢の筋肉と自己治癒力だけしか改造されてない」

「聖戦士は、改造された人間」

「そう。都市には『アリアン』って組織があってエアと対抗してる。そうすることで人が生活するのに必要な物資を集めて、都市を動かしてる。ここまででわからない言葉とかはある?」

「自分でも不思議だけど、不自然なくらいにない。僕、遺伝子とか自己治癒力とか、どこかで聞いたことがあるみたい。意味がわかる」


 ワイアット達のいる世界はエアに対抗すべく、ひどく偏った方向に技術が発達している。生物科学や遺伝子工学など、生物や限りある資源を有効利用することに特化しているのだ。


 遺伝子の書き換えや操作、さらにはDNA解析。この世界ではそれらを行うことは当たり前で、倫理的問題すら生じない。倫理観より人々の命の方が大事だから。


 六年間もの間寝たきりだったワイアットがたったの一週間で普通食を食べたり話して思考出来るようになった理由もそこにある。彼は自分では気付かないが、聖戦士と同様に遺伝子操作された体を持っている。それが理由だ。


 内蔵の筋肉も自己治癒力も身体のエネルギー効率も。何もかもが普通の人と異なる。この調子であればあと一ヶ月もリハビリすれば一人で様々なことが出来るようになるだろう。


 アリアンはエアと対抗するための組織。そして地上都市の運営も行っている。聖戦士が戦ったり、一般人が聖戦士を補佐することでエアを討伐。エアや建物の外から、様々な物資を得て人々の生活を守っているのだ。





 聖戦士。それはエアと戦う改造人間のこと。聖戦士とは言え人間だ。人間が対等にエアという化け物と戦うには、改造措置の他にもう一つ必要なものがある。それは「波動」と呼ばれるもの。


「『波動』は簡単に言うと」

「言うと?」

「人が持つエネルギーを利用して様々な現象を引き起こすこと、ね。このエネルギー自体は人全員が持っているけど、エアと戦うのに十分なエネルギーを持つのは聖戦士だけなの。そのエネルギーを装置に流して、増幅して使うのよ。装置が無くても発動出来るけど、エネルギーを消耗しやすくなるから。波動は弱点以外で唯一エアに有効な攻撃手段なの」


 そのエネルギーは体力や基礎代謝に近い。普通に生きる上で、聖戦士であろうとなかろうと誰もが一定量のエネルギーを放出し、その一定量を自然回復で補うことで損失がゼロになる。


 だが聖戦士だけは少し違う。エネルギーの総量が常人より多く、体外へ放出するエネルギー量をコントロール出来る。そして、その常人より多く放出されたエネルギーを用いて「波動」と呼ばれる超現象を引き起こす。


「聖戦士は波動を扱う。波動の元となるエネルギーはみんなが持ってる。波動は超現象」

「その通りよ」


 ワイアットは復唱して言われたことを確認。字を書けない状態でも記憶しようと必死になる。ここで覚えないと困ると判断したのと、シェリファの説明が少しややこしくなってきたためだ。


 波動はこの世界の人間なら誰もが持つエネルギーを利用して起こる超現象である。聖戦士はその波動を使いこなして戦う。それだけだ。


「装置って何?」

「武器のことよ。『波動機』って呼ばれてるわ。波動以外ではエアをまともに死なせることは出来ないわ」

「え? それならエアって化け物、どうやって倒すの?」


 ワイアットの言葉にシェリファは返答を渋る。どう説明するかに困った。それは、ワイアットのことを考えてのこと。





 ワイアットには昔の記憶がほとんどない。記憶喪失と考えられるのだが、その原因は不明だ。実を言うとシェリファはワイアットの過去を知っている。故に恐れている、ワイアットが記憶を思い出して混乱することを。


 下手に説明すればそれが引き金となって思い出すかもしれない。もし記憶喪失の原因が冬眠ではなくストレスが原因であれば、記憶を思い出したワイアットは間違いなく混乱するだろう。


「シェリファ、先生?」

「大丈夫よ。説明の仕方に困っただけだから」


 エアは人を喰らう生き物である。世界中に生息しており、生き残っている人々はこのレガリアのような、建物を模した地上都市の中で細々と暮らしている。


「エアは、動物が進化を遂げた姿なの。でも厄介なのはそこじゃない。エアは、心臓を破壊するか取り出すかしないと死なない。それが問題だった」


 シェリファはここで一呼吸する。少し顔が強ばって見えるのは気のせいではない。


「ある程度物理的攻撃を与えると、ダメージ回復のために活動を停止する。活動停止中なら、心臓を取り出すことが出来る。そして心臓を取り出すのに必要なのが『波動機』。活動停止に追い込んでから心臓を取り出してると時間がかかる。その時に考案されたのが『波動機』よ。エアはね、波動が弱点だったの」

「波動が、弱点?」

「そう。波動を使ってエアを効率的に活動停止にする。そして心臓の摘出か破壊をする。エアは自己治癒力が高くてね、波動による傷以外はすぐに再生しちゃうの。だから、わざわざ波動を利用して攻撃して、エアを殺す」

「えっと……エアは普通の攻撃だとすぐに再生する。でも波動による攻撃なら再生しない。エアは心臓を壊すか取り出さないと死なない。だから、聖戦士は波動を使って戦う。合ってる?」

「合ってる。『波動機』の仕組みとかは、あなたが聖戦士に選ばれた時に習うから、今は秘密ね」


 ワイアットが復唱して納得するのを確認。話を聞く時のワイアットの態度から、その精神状態を目視で確認しようとした。表向きには異常はない。それがいいのか悪いのかはわからないが。



 いきなり知識を詰め込んで疲れたのだろう。ワイアットはその日、夕方に深い眠りについた。幸か不幸か、ワイアットが爆睡している時に個室の扉をノックする音がする。


「部屋に入ってもいいかい?」

「いいわよ、クレア」


 ノック音に応えたのはシェリファだった。承諾を得るや否やワイアットのいる病室へと急いで入ってきたのは、この地上都市レガリアで最も偉い人物であるクレアだった。


 聖戦士であることを示す黒い軍服、支部長であることを示す黒い軍帽。腰には波動機である剣が装備されている。その濃い青色の目が眠っているワイアットを捉えた。


「ワイアット・グランバーグ。被検体『WATワット』。まさかこうして会えるなんて、また話せるなんて、夢にも思わなかったよ、ワット」


 クレアが何を言おうとも、夢の中にいるワイアットには届かない。だからこそクレアは素直に言葉を紡げた。ワイアットの過去に関することを少しだけ吐き出せた。


 ベッドの上で眠るワイアットの頭をそっと撫でてやる。乱れた白髪を優しく整えてやった。穏やかな顔で眠りについているワイアットの顔は、クレアの記憶通りの優しい顔だ。


「いつまで隠せるだろう、守れるだろう。きっと、ずっと隠し通すのは厳しいだろうね。でも、知ってるんだよ。僕は知ってるんだ。ワット……ワイアットの無くした記憶は、思い出さない方がいいくらい辛い記憶。壊れなきゃ耐えられないくらい辛い記憶なんだよ。僕のことさえも忘れるほどに、辛い過去だったんだ」


 クレアの金色の瞳が潤む。鼻をすする音が室内に響く。


「僕は、出来るなら思い出してほしくない。あんな記憶、忘れられるなら忘れた方がマシだ。もし神様がいるなら、このまま忘れさせておくれ。もうワットは、一生分の苦しみを味わったんだから」


 眠ろうとしている子供に言い聞かせるように語る。ワイアットに届かないと知っているからこそ紡がれるその言葉は、虚しく病室の中に響き渡った。

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