3 Welcome to Regaria(3)

 ワイアットが目覚めたのは、その翌日のことだった。目を覚ませば、ワイアットの脇腹の近くに顔を埋めて眠る金髪の男性、クレア。掛け布団の上にはクレアのものである黒い軍帽が落ちていた。


(軍帽? じゃあこれ、支部長、だよね。この姿、どっかで見たことがある気がする。ネアって人みたいに、どんな関係かまではわからないけれど)


 クレアは昨日、支部長としての仕事を終えてワイアットの個室に来た。のはいいが、疲れのせいかそのままワイアットのすぐそばで寝てしまったようだ。ワイアットがそっと身体を動かせば、その僅かな振動にクレアが目を覚ます。


 ワイアットの赤い目とクレアの青い目が交わった。かと思えば、クレアはニヤニヤとした笑顔を浮かべる。傍から見ると変質者に思われかねないほどニヤけている。


「……支部長?」

「クレアでいいよ。堅苦しいのは嫌いなんだ。おはよう、ワイアット」


 クレアが幼い子供に言い聞かせるように告げる。穏やかにワイアットを見つめるその顔にはほうれい線と隈が目立っていた。見た目の若さに反して疲労の色が濃い。


 ワイアットが目覚めた後、クレアはワイアットの養父となる手続きをした。そのため、書類上では二人は家族である。故にクレアは嫌う、ワイアットに「支部長」と堅苦しく呼ばれることを。


「ねぇ、支部ちょ――クレア。クレアは僕のこと、目覚める前から知ってたの? 昨日の晩、うつらうつらしてたら、聞こえちゃった」

「な、何が?」

「思い出してほしくない、とか。また話せるなんて、とか。だから多分、僕が覚えてないだけで、知り合いだったのかなって」


 ワイアットの言葉にクレアは口元を覆う。それは昨晩の自分の失態を後悔してのこと。まさかワイアットが偶然そのタイミングで起きていたなんて、考えもしなかったのだ。


迂闊うかつだった。まさか聞かれてたなんて。もっと警戒するべきだった)


 見開かれた青い目を誤魔化すようにワイアットから視線を逸らす。だがその仕草が不自然で、逆にワイアットに怪しまれる。


「何か、よくないことなの?」


 ワイアットの赤い目がじっとクレアを見据えた。心すら見透かすようなその眼差しに、クレアはもう誤魔化しきれない。俯きながらも言葉を選んで口を開く。


「ワイアットは、記憶の一部が抜け落ちてるよね」

「うん。文字とか言語は覚えてる。でも、アリアンとかは、わからない。クレアも、ネアって人も、姿形しか、思い出せない」

「僕は、その記憶の一部を知ってる。僕は、君がこのレガリアに来る前に会っていたんだ。……ワイアットは、自分の記憶を知りたいかい?」


 クレアの青い目が少し潤む。それはワイアットのことを思ったが故。誤魔化せないなら素直に話してワイアットに答えを選んでもらう。それがクレアなりの思いやりだった。


「その記憶は、いいことばかりじゃない。むしろ悪いことばかりかもしれない。僕が言えるのは……ワイアットが、無くしたいって思うほどの記憶ってことだけだ」


 迷うワイアットに更なる言葉が告げられる。クレアが示唆するのは「記憶が辛いものである可能性」。それでもワイアットは――。


「知りたい。クレアのこと、ネアのこと、思い出したい。僕のこと、知りたい。そうじゃなきゃ、胸が、押し潰され、そうなんだ」

「そっか。そう、だよね」


 ワイアットの返事にクレアの顔があからさまに曇る。だがワイアットはなぜクレアがそんな表情をするのかを知らない。過去に何があったのかも。


 好奇心は時に残酷である。その好奇心のために悲しい結果になるとしても、好奇心を満たすことを止められない。人の興味は、理性だけでは止められない。


 今のワイアットもそうである。自分の知らない自分。それに対する興味が、好奇心が、ワイアットを掻き立てる。クレアが忠告しても、それを抑えることなど出来はしない。


 敢えて言うなら、クレアは一つだけ策を講じた。ワイアットに与えていない情報をあえて隠した。それは、ワイアットが聖戦士であるという真実。ワイアットを守るためにその真実だけを敢えて知らせなかった。


 自分が聖戦士だと知れば、戦いに行こうとするだろう。そうなればワイアットは、早く辛い記憶を思い出すことになるかもしれない。それを避けたかった。ワイアットを死なせたくなかった。


 ワイアットの答えに、クレアは迷う。本人が記憶を思い出すことを望んだ以上、それを拒むことは出来ない。でも、一気に思い出してほしくない。そんな矛盾する思いがあったのだ。


「クレア?」

「んー? ちょっと考え事してただけだよ。一気に教えると負担だろうから、少しずつ教えるよ。記憶を知るためにも、まずはリハビリを頑張らないとね」

「リハビリ? シェリファ先生の、言ってた、やつ?」

「そう。車椅子のままじゃ不便だよね? 自力で歩いたり出来るようにならないと、僕のことも教えられないなぁ」


 沈黙していたクレアに疑問を感じたワイアット。そんなワイアットに、クレアは嘘をついた。迷っていたことは教えない。ワイアットの身に何が起きたのかも、ワイアットの正体も、今はまだ教えられない。


(この笑顔が崩れるのを見たくない。何より、ネアの願いだったからな。『本人が聖戦士であることを忘れていたら、その事を教えずに平穏に暮らしてもらう』って、約束したから)


 黙ったままだったシェリファがクレアとワイアットに近付く。時計を見れば、もうクレアの仕事の時間らしい。都市一つを動かす立場にある支部長に、自由な時間はあまりない。


「早く行きなさい、クレア。レガリアはクレアがいなきゃ動かないでしょ?」

「はいはい」

「『はい』は一回!」

「はい」


 シェリファに促され、クレアは渋々ワイアットのそばから離れた。だがその青い目は名残惜しそうにワイアットの姿を見ている。今日も仕事場に連れて行こうとしたのだ。


「駄目よ。ワイアットはリハビリがあるの。この一週間が特別だっただけ。わかったらさっさと職場に向かう!」

「わかったよ、シェリファ」


 ワイアットは目覚めてからの一週間、刺激を得るためにとクレアの職場を訪れていた。だかそれも昨日まで。今日からは、ワイアットは自立するためにリハビリしなければならない。


「クレア、頑張って。僕もリハビリ、頑張るから」

「ワイアット……。うん、行ってくる。そうだ、遅くなったけど、支部長として一言。ようこそレガリアへ。ワイアット・グランバーグ。君の人生に幸運がありますように。……今度こそ行ってくる」


 なかなか部屋を出ていきたがらないクレア。そんなクレアの背中を押したのは、ワイアットの一言だった。クレアは支部長としての言葉をワイアットに伝えると、駆け足で個室から出ていった。



 その晩のこと。アリアンレガリア支部の最上階 には、支部長の書斎と寝室を兼ねた広めの部屋が確保されている。そんな支部長の書斎に、四人の聖戦士が集められていた。


 全員が聖戦士の証である黒い軍服に見を包む。身につける武器は四人共異なる。髪型や髪色、目つき、顔……それらが異なるのは当然なのだが、四人共ワイアットと同じ赤色の瞳をしていた。


「で、本題は何なんだ?」


 人影の一つが気だるそうに催促する。その視線の先にいるのは、クレアだ。四人の視線がクレアに集中する。


「ワイアットが、目覚めたよ。でも、僕のことも君達のことも、エアのことも聖戦士のことも覚えてなかった。本人は記憶を知ることを望んでる。聖戦士であることは隠してたけど、思い出すのも時間の問題かもしれないね」


 クレアが告げた途端、場の空気が凍りついた。


「ワットが、自分から言い出したのか? 嘘だろ? ワットは俺らより酷い目に遭ったってのに。大丈夫なのか?」

「ワーちゃんがそれを望むなら……自分は全力でそれを補佐するヨ」

「ワー君のためなら俺っち、何だってするからな! 頭使うことは無理だけど」

「問題は、俺達のことを覚えてないってことだよね。いきなり俺達が馴れ馴れしく接しても、ワットは困るんじゃない?」


 四人それぞれが違ったリアクションをする。四人に共通してるのは「ワイアットを心配している」という事実だけ。それぞれバラバラに思考していた彼らは急にピシッと姿勢を正した。


「クレア! 俺らはどうすればいーんだ?」

「ねぇクーちゃん。自分らは何をすればいいと思う?」

「クレアー、俺っち達、どーしたらいいと思うー?」

「クレア。僕らに出来ること、教えてくれねえかな?」


 先程までバラバラだったのが嘘のよう。今度は見事なまでに四人の声が重なる。なぜだろう。四人共目を輝かせていた。


「あのねぇ。いい加減僕のこと、さん付けするか支部長って呼んでくれないかな?」


 わざとらしくため息を吐いたクレアが最初にしたのは、四人のクレアに対する馴れ馴れしい態度を牽制することだった。

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