第10話 僕の歌を総て君にやる

 肉の焼ける音と、近くのテーブルの話し声だけが聞こえる。

 築山はずっと、俯いて押し黙ったままだ。なにを考えているのだろうか。わたしは築山から視線を外さない。

 覚悟や、計画、そして感情。わたしは折田春香という人間に賭け金を目一杯まで釣り上げ、そして勝負コールした。もはや逆立ちしたってなにも出てこない。このギャンブルが成立するか否かは、すでにわたしの手からは離れている。“配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどんな意味であっても”――。ニヒルに語る犬のキャラクターの存在を、わたしはここにきて思い出す。

「どこかに泊まるってこと?」

 築山は間の抜けた声で確認する。

「そう、築山くんとね」

 わたしは念を押す。

「……それは」

「あら。女の子をこんな繁華街に置いてけぼりとは、なかなかの胆力をお持ちね。見直したわ」

 ぐうの音も出ないようだ。わたしは、築山という人間の善性には一目置いている。こいつはわたしとは違う。目的のためには手段を選ばないような生き方は、絶対にできない。優しい築山は、わたしを見捨てたりなどしない。そして、その優しさゆえに、なにもかも失うことになる。他者の善性につけこみ、弄ぶ。わたしは、この男からだけは下劣のそしりを免れないだろう。もしもこいつが今里のような下衆ゲスだったら、わたしの残り少ない良心が痛むこともなかったのだろうか。

「そうだな。わかったよ。付き合ってやるよ」

 築山は、観念したかのように笑ってみせた。

「ありがとう」

 おまえは、おまえだけはわたしを恨む資格がある。


 コンビニエンスストアで飲み物を買って、夜の街をしばらく歩く。

 居酒屋のキャッチ営業が何度か話しかけてきたが、全て無視する。築山は、焼肉屋を出てからあまり喋ろうとしない。

「わたしはここがいいな。築山くんは?」

 わたしたちが立ち止まったのは、妙に仰々しい出で立ちの、城をモチーフにしたラブホテルだった。さすがに築山も、くらいは知っているだろう。

「えっ?ここ?あ……あのさ、ビジネスホテルとか、ネットカフェとかにしない?」

「なにを言ってるの?年齢確認をされたらどうするの?学生証でも出す?」

 わたしは、築山の手を引いて門をくぐる。庭には、こじんまりとした噴水があり、間接照明に照らされている。「土日祝宿泊七千円」という文字が書かれた看板を横目に、自動ドアを越えていく。大きいパネルに、部屋番号が割り振られている。どうやらこのパネル内の照明のついている部屋が空き部屋で、ついてない部屋が使ということらしい。事前に少し概要を調べていてよかった。さもなければ、こういうハイコンテクストな構造に面を食らっていたことだろう。横にいる、狼狽を隠しきれないこの男のように。

「これにしましょう。ジャグジーのついたお風呂があるわ。楽しみね」

「えっ、ああ、うん。そうだな」

 心、ここにあらずと言ったところか。六○四号室のパネルの隅にあるボタンを押すと、パネルの照明が消える。築山の手を引っ張りエレベーターに乗せる。二人以上の人間を乗せることを想定してないかのような狭いエレベーターの中で、築山は口を半開きで、目を見開いて天井を仰いでいる。

「緊張しているの?」

 わたしは少し嗜虐的な気分になり、意地悪な質問をする。「別に、緊張なんて」やや上ずった声で築山が答える。百人が見て百人が緊張しているとわかるような状態だった。わたし自身、緊張していないといえば嘘になるが、ここまでわかりやすいと自分を棚に上げて笑ってしまう。

 六階につく。エレベーターを出てすぐ左を見ると、六○四と書かれた看板がちかちかと点灯している。ご丁寧にどうも。ドアを開けると、すぐ横に自動清算機がある。なるほど。わたしが調べたのは顔の見えない受付で清算するものだったが、こういうパターンもあるのか。靴を脱いで、廊下を横切る。トイレとバスルームは別だった。奥にドアがあり、そこを開けるとキングサイズのベッドがあり、二人がけのソファと化粧台、冷蔵庫、そして大型のテレビがあった。窓もあったが、開かないように鍵が閉められていた。

 わたしは化粧台にバッグを置いて、ソファに体を預ける。

「今日は歩き疲れたね」

 わたしは部屋に入ってから棒立ちのままの築山に、暗に横に座るよう促す。コンビニ袋から紅茶を取り出して、ストローを突き刺し喉を潤す。まだ築山は動かない。

「座ったらどう?」今の彼には、直接的な言い方がいいだろう。

「えっ、ああ。うん」

 こいつはこれからあと何度「えっ、ああ。うん」という間の抜けた返事を使うのだろうか。築山がよそよそしく隣に座る。わたしの方を決して見ようとしない。石像のように固まった築山を、わたしはじっと見つめてみる。視線に気づいてはいるのだろうが、こちらを振り返る素ぶりを見せない。

「なんだよ」

「なんだとは随分な物言いね。そんなに壁を見つめて穴でも開けたいの?」

「こういうところ、来たことあるのか?」平凡な皮肉も理解できないほど脳のメモリを浪費しているのか、築山はわたしの問いかけを無視して質問してきた。

「初めて来たわ」ここは正直に答えることにした。

「そうなのか?それにしては落ち着いてるな」

「慌てふためく必要性が無いからね」わたしはふん、と鼻で笑う。

「悪かったな」ようやく皮肉が理解できるくらいには、クールダウンできたらしい。

「さて、と」

 わたしはソファから立ち上がり、カーディガンのボタンを外し始める。

「え、おい。なにする気だ?」築山が再び狼狽え始める。

「なに、って、シャワーを浴びるの。汗もかいたしね」

「あ、なんだシャワーか」

 築山は何故か安堵したような声だった。

「そう、シャワーよ。さ、築山くんも脱いで。せっかく大きいお風呂があるんだから、二人で入らないと損でしょう?」

「えっ、ああ。うん――って、ええ!?」

 その返事は、これでもう三回目だ。カウントしてみるのも面白いかもしれない。

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