最終話 トゥルー・ロマンス

 もうすぐ待ち合わせの時間だ。

 あの頃と比べ、わたしは幾分約束の時間というものに対して寛容になった。十分くらいなら、他人を待てるようになった。

「春香さんですか?」

 声をかけられる。黒のダブルライダースジャケットに白いマキシ丈のスカート。事前に伺っていた通りの服装だ。化粧はやや野暮ったいが、初々しくもあり、わたし好みだ。

「ええ。もえこさんね。はじめまして、と言うべきかしら。可愛い服装をしてるわね。とてもよく似合ってる」

 もえこは、顔を赤らめながらも満更ではないようだった。そして、プロトコル通りに、わたしの外見を褒めそやす。

 あの街から遠く離れた国立大学に進学したわたしは、由奈と卒業後に関わりを持つことはなかった。

 由奈だけではない。築山、今里といった、同じ高校に通っていた全ての者との関係を断ち、あの街から遥か彼方の地方に下宿している。築山と由奈が、その後どうなったかなど、知りようがないし、知りたくもない。

 大学では、他人との付き合いをできるだけ最小限に絞り、休みの日にSNSで知り合った本名も顔もわからない女の子と遊んで無聊ぶりょうを慰めている。

 今まさに出会ったもえこという女の子もそうだ。もえこという名前も、SNSのハンドルネームであって本名かどうかはわからないし、いちいち詮索する気もない。わたしたちは、現実の七面倒くさい人間関係から切り離された、お互いにとって都合の良い人間を求めあっているに過ぎない。

「もえこ、と呼んでいいかしら」

 わたしは栗色の髪を指で弄びながら、彼女の耳元で囁く。塗られたチーク以上に頬を赤らめて、もえこは「はい」と小さく頷く。

 わたしは彼女の小動物のような所作に嗜虐性をくすぐられ、思わず破顔する。期間としては短いながらも、多くの逢瀬を重ねてきた経験によって理解する。与し易い子だ。この少女も、現実と虚構の狭間にある――かもしれない――好奇を求めているのだろう。

 インターネットとはいえ、現実と地続きであることは誰でも――わたしも、おそらくは彼女も――理解している筈だ。。にも関わらず、現実では埋めらない欲求を、そこに求めてしまう。手に入らないとわかっていて。徒労に終わる儚いものだと知りながら。しかしながら、思考と欲求が食い違う事態というのは、そう珍しいことではない。意志としてはダイエットをしたいのに、体が、舌が、脳が、甘いものを求めてしまうのと似たようなものだ。

 わたしは高校で経験した初恋から、感情を理性で御することを諦めた。開き直った。居直った。

 埋められない欲求だと割りきって、事に及んでいる。そうすることにより、わたしは脆く傷つきやすい自己という存在に仮面を被せ、守護することができる。後ろ暗い自分と向き合わず、煩雑な人間関係から逃避し、上っ面だけの甘い思い出だけを重ねることができるのだ。

 わたしは、年齢も苗字もわからないもえこと名乗る少女と、チープなラブホテルに入室する。シャワーも浴びることなく、彼女をベッドに押し倒す。まるで始めからこうなることを予想していたかのように、もえこはわたしに全てを委ねる。

 唇を奪い、強引に服を脱がす。ふと鏡に目をやると、そこには我を忘れて獲物を貪るおぞましくも寂しそうなわたしがいた。

 彼女の揺れる胸の重さを両手で確かめながら、わたしは少し考える。

 曖昧で茫漠で有耶無耶な、あるいは今夜のような情事を何度繰り返せば、ときどき刺さるように痛むこの胸の疼きも、脳裏にこびりついたきらきらと輝くものも、綺麗さっぱり忘れることができるのだろうか、と。

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きらきらと輝くもの。 ひどく背徳的ななにか @Haitoku

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