第11話 リルカの葬列

 バスルームは、二人で浸かるには十分な広さがあった。わたしは電子制御のパネルをいくつか操作しながら湯量と温度を設定する。四十二度くらいだろうか。こういう嗜好に関しては、家庭環境によって大きく変わってきそうだ。迷うくらいなら、いっそのこといつものわたしのお風呂の温度にしてしまおうか。築山が、ぬるま湯に浸かる家で育ってないことを祈るばかりだ。

 風呂の設定を済ませて戻ってきたわたしが見たものは、冷蔵庫の中を覗き込む築山だった。

「なにをしてるの?」

「飲み物を冷やそうと思ったら、なにか入ってて」

 わたしも一緒に覗き込む。中に入っていたのはピンクローターやディルドといった、いわゆるだった。これは冷蔵庫ではなく、だ。

「こういうのに興味があるの?」

「無い!!無いよ!!」築山が慌てて叫ぶ。

「安心して。別にわたしは他人の性的嗜好を笑ったりしないわ」

「違うから!!」

 築山がそう否定したところで、彼を揶揄からかうことに楽しさを見出している自分に気づく。他人とのコミュニケーションを楽しいなんて感じるのはいつぶりだろうか。由奈以外では、そうそうなかったことだった。他人に投げかけるわたしの言葉は報告と命令。その二つで満たされていた気がする。

 で緊張がほぐれたのか、築山の方からも率先して話しかけるようになってきた。

「折田のこと、最初は本当に苦手だったんだよな」

「どういうところが?」

「きついじゃん。性格が」

見えたのなら、なんでしょうね」

「おまえってさ、あんまり他人にどう思われても平気なタイプだよな」

「否定はしないわ。他人が自分をどう思っているかなんて、理解できる日は一生来ない。理解なんてものはね、おおむね願望に基づくものなのよ。あの人にこう思われたい、こう思ってくれたら嬉しいのに、といった幻想に過ぎない。そんなまやかしにいちいち傷ついたり嘆いたりしてるくらいなら、まだ自分の気持ちに正直に生きた方がいいでしょう?」

「そりゃそうかもしれないけどさ」築山はそこでコーヒー牛乳をぐいっと呷る。

「他人に期待をしない生き方ってのも、結構寂しいんじゃないか?」

 寂しい、か。そうか。わたしは、寂しかったのか。由奈に「またね」と言われた放課後が頭をよぎる。折田春香、おまえは偉そうに築山に講釈を垂れているが、その実、おまえも他人に勝手な期待を寄せていたんだ。おまえは、んだ。

 築山の問いかけに考え込んでいると、ぴぴ、という電子音が部屋に鳴った。

「風呂、湧いたみたいだな」

「そうね」わたしは生返事でバスルームに歩き出す。

 脱衣所でブラウスを脱ぐ。続けて、スカートのホックも外し、ブラジャーもかごに投げる。大きな鏡を見ると、そこには築山の言う通りの、寂しそうな女が立っていた。

「折田、入るよ。――って!!おまえ脱ぐの早くないか?」

 築山が慌ててドアを閉める。

「先に入ってるから。早く来てね。来なかったら、を、築山くんで試すわ」

 わたしはそう宣言し、パンツを脱ぎ捨ててバスルームに入る。いつもは必ずシャワーを浴びてから入るが、今日のわたしはそのまま湯船にどぼんと身を投げた。浴槽から、お湯が溢れ出る。無色透明の湯が、排水溝に流れていく。わたしの人生もこの湯のように無為に感じて、自嘲の笑いがこみあげる。

「なに笑ってんの?」

 股間をタオルで隠した築山が、バスルームに入ってきた。

「早かったわね」

「あんな太いものぶちこまれたくないからな」

「本気にしたの?」

「いや、おまえはよ。あれは本気の声だった」

 わたしはふふ、と笑う。おそらく、来なかったら築山の想像通り、わたしはだろうな。

 築山がシャワーを浴びている。男性の体というものをまじまじと見るのは初めてだった。なんだか、筋張っていて、堅そうだ。築山は両手で頭をぐしゃぐしゃと洗っている。髪が傷みそうな洗い方だ。

 築山はシャワーである程度泡を洗い流し、浴槽に向かってくる。なにを恥ずかしがっているのか、股間は手で隠したままだ。

「入るけど」

「どうぞ」

 どぷん、と大きな音を立てて、築山が浴槽に浸かる。また湯が大げさな音を立てて流れていく。広いとはいえ、わたしは三角座りのような体勢で築山が入るスペースを空けた。築山は、わたしと背中合わせの形で座る。築山がジャグジーのスイッチをオンにする。ぶくぶくと、湯船が泡立ち始めた。

「さっきの話なんだけど」築山が唐突に切り出す。

の話?」

「違う。おまえが寂しそうだ、って話」

 うすうすわかっていたが、ここでそれを蒸し返すのか。

「なにか、悩んでるんだろ?最近のおまえは、なんか無理してるように感じてるんだけど。こんな形で泊まってるんだからさ。おれでよかったら話を聞くよ」

 思わず、膝に爪を立てる。血液が逆流を始める。わたしは、同情されたくなかった。!!必死に、叫びたくなる衝動を抑える。わたしはおまえをめようとしているんだ。そんな女のことを、気遣ったりするな。泡立つ水面に、顔を埋めたくなる。こんな惨めな気持ちは初めてだ。

「築山くん」

 わたしは必死に、憎悪が表に出ないように慎重に自分を抑圧しながら、か細い声で築山を呼んだ。

「なんだ?」

「ごめんね、先に出て。すぐ行くから」

「……わかった」

 築山は、それだけいうとなにも言わずに浴槽から出ていった。すぐに、すりガラスの奥から、ドライヤーをかける音が聞こえてきた。

 ひとりになった浴槽で、じっと水面を眺める。

 わたしの心が、ぐちゃぐちゃに、無秩序に、混沌に、あるいは、ジャクソン・ポロックの絵画アートのように、乱れていくのを感じた。


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