第6話 ハッピーアイスクリーム
あの夜の光景が脳裏に焼き付いている。
由奈と築山が抱き合っていた。その事実により精神的にも体調的にも最悪なコンディションになり、わたしの胃は液状のものしか受け付けなくなっていた。
由奈と築山は、付き合っているのだろうか。わたしが、あんなにも怖い思いをして今里らのグループを瓦解させている間に。ふたりは、愛の言葉を囁きあっていたのだろうか。わたしが女どもを責問している間に。
無論、由奈を責めるつもりなどない。ただ、わたしの努力への報いがこれなのかと思うと、押しつぶされそうになる。
由奈は、元気に登校してきた。それはそれは元気そうに。
わたしは努めて平静を装いながら、由奈に話しかける。
「おはよう。しっかり休めたかしら」
「うん。ずっと家にいたからちょっと太っちゃったかも」
「そういえばそうかもね」
「ええ?本当に?」
由奈はお腹のあたりをさすりながら気にする。何気ない会話だが、わたしは昨夜の築山との一件を問いただしたい衝動を抑えるのに必死だった。築山とはどういう関係なのか。いつからそうなったのか。何故わたしに黙っていたのか。由奈、わたしはあなたの何なのか。親友なのか、ただの顔見知りの友達なのか。わたしはこんなにもあなたを愛しているのに、その想いは伝わることがないのか。
わたしは、思わず奥歯を噛み締める。
恋愛感情はともかく、由奈とはもう少し、わかりあっている気でいた。今ではもう、由奈が何を考えて何をしたいのか、全くわからない。そもそもわたしは、他人の気持ちを慮る能力に難があった。女に生まれて、この能力が欠けていると、かなり生きづらい。学校社会は知能や運動能力ではなく、共感や同調という能力が幅を利かせる。わたしには、未開の部族の掟のようにしか感じられなかったが。だが幸いにも、わたしは愚鈍に生まれることがなかったので、16年生きてきて、人間がどうしたらどう感じるのか、少しずつ部族の掟――いや、人間の感情のプロトコルが読めるようになったところだ。
由奈に惹かれて、わたしは女である自分を恨んだ。わたしがもし男だったら、由奈は疑いもなくわたしに心身を委ねていただろう。女に生まれた。ただそれだけの理由で、由奈と一緒になることが出来ないなら、わたしは女でなくていい。そう考えたことも何度もあった。
「春香ちゃん。手、どうしたの」
由奈の気遣いに、わたしは我に返る。
「ちょっと夜に紅茶が飲みたくなって、お湯を溢してしまったの。軽い火傷だから、気にすることはないわ」
「かわいそう。どう?痛む?」
気にすることはない、そう言ったつもりだったが。今のわたしは、この子の優しさが本当に辛い。
「痛くはないんだけどね。念の為、保健室に寄るわ。ありがとう」
わたしは、微笑んだ――つもりだった。頬の肉が、まるで麻痺したかのようにうまく作用しない。
隣の席ということもあり、それから由奈と話す機会は何度もあったのだが、その間、わたしはぎこちない表情を作ることしかできなくなっていた。胸が締め付けられ、軽い耳鳴りが起こる。わたしは、なんて不幸な人間なのだろうか。もしわたしの苦しみを他者に貸せるのならば、その者はたちまち自死を選ぶだろう。真に承認を得たい人間から承認を得られない辛さが、これほどまでに精神的あるいは身体的な影響を及ぼすことを、わたしは知らなかった。
授業のあいだ、わたしはあることに思いを馳せていた。
隣で、必死にノートを取っている由奈には、おおよそ考えが及ばないような、とても邪悪なことを。由奈が知れば、きっとわたしを軽蔑するだろう。だけど、それでもわたしは由奈を
「築山くん。ちょっと、いい?」
わたしは、昼休みに築山有斗を呼び出した。もうわたしはなにも恐れない。他者の気持ちがままならないものならば、自分の気持ちに素直に生きれば良いのだ。わたしの気持ち、それは由奈を喪いたくないというエゴだ。由奈を問い糺すことは出来ない。では、
わたしなら出来る。こいつには思考や行動を操り、由奈の元から穏便に去ってもらう必要がある。
「なんだ折田。おまえから話なんて珍しいな」
築山は、寝癖を手櫛で直しながら約束通りに食堂に現れた。
わたしの覚悟は決まっていた。
「待ってたわ、築山くん」
そうだ。わたしはおまえを待っていた。おまえに恨みはないが、これから、少しだけ、わたしの苦しみに付き合ってもらうことにする。
さきほどまで粘土のようにぎこちなかった表情筋は、一転して、とても自然に、そして、あたかも本心から友好的であるかのような微笑みを作ることが出来た。
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