第15話 再殺部隊

 築山にを成したあと、由奈には「わたしにも彼がなにを考えているのかわからない」と伝えておいた。これは嘘ではなかった。全容を知るわたしでさえ何を考えているのか理解できないのだ。由奈に理解しろというのも酷な話だった。

 放課後、わたしは築山が再度別れを切り出しやすいように計らい、一人で帰ることにした。

「おい」

 駅に向かう道で、急に呼び止められる。金髪の根元が黒くなっている、清潔感のない男。わたしは無視して横切ろうと試みる。趣味の悪い指輪を嵌めた手が、前を塞ぐ。

「シカトこいてんじゃねえぞ」

 わたしは、そこで初めて男の面貌を見る。鼻と唇に、大振りのピアスをつけた、知的さとは生涯無縁そうな顔だった。明らかにわたしに敵意を抱いている。それはわかる。が、皆目見当がつかない。わたしはこういう野蛮な人種を積極的に避けて生きてきた。

「人違いではないですか?」

「折田春香。人違いじゃねえ」

 名前を知っている。ああ、なるほど。これで合点がいった。わたしは今、窮地に立たされている。

「今里さんのお知り合いかしら?」

「そうだ。瑞穂が世話になったそうだな。そのお礼に来たんだ」

 おそらく、今里は近くにいる。わたしの様子をどこからか伺っているだろう。それは問題ではない。問題なのは、だ。この阿呆面と今里だけならなんとかなるだろう。それ以上の人数がいた場合、それが危うい。ここは駅前だ。わたしが大声で叫べば全てが御破算になる。こいつが底なしの阿呆でなければ、場を変えたがるはずだ。ならば——。

「場所、変えませんか?」

 男は意外そうにわたしを見つめる。自分が提案しようとしていたことを先に言われた。そんな顔だ。

 だがこれでは足りない。更にもう二手、先に立たねばならない。走る?いや、相手は男だ。すぐ捕まえられる。叫ぶ?いや、それは最終手段だ。敗北はないが勝利もない。逃げられて終わりだ。それではまた同じ状況に立たされる。考えろ、折田春香。

「そこの路地がいいかしら。そこなら人目につかない」

 敢えて、場所を指定する。車の出入りが出来なさそうな小道を。わたしを拉致する車が入れなさそうな横道を。更に言えば、わたしが無作為に決めた場所に人間を待ち伏せさせるというのは考えにくい。逆を言えば、この提案を却下するということは、複数の人間が存在する公算が大きくなる。

「ふん」男の反応を吟味する。罠にはめる筈だった獲物に先手を打たれているのが気に入らない、といったところか。

 わたしに向かって、顎でしゃくる。乗った、と考えていいだろう。あと一手だ。

 男を先導し、路地に入っていく。奴が連絡をとってないかどうかを確認しながら、路地の先に人の気配があるかを警戒しながら。

「何の用かしら」わたしは、路地の丁字路の交差点に立ち、男を問い質す。ここならば、奥から誰がきても見通せる。

「何の用かって?」男はわたしとの距離を詰める。そして、左腕で胸ぐらを掴み、煙草臭い息がかかるまでわたしの顔を引き寄せる。

「舐めてんのか?てめえ」

 そう凄むやいなや、わたしの鳩尾みぞおちに深々と男の膝が刺さる。肺にたまっていた空気が無理やりり出される。胃液が逆流し、口腔内に酸味が広がり始める。うまく呼吸ができない。痛みと呼吸困難から、わたしはひざまずく。

「人の女のツラ殴っておいて、そりゃねえだろ」

 男の声が頭上で響く。わずかに首をあげて、周囲を見渡す。女の足がこちらに向かってくる。今里だ。

「シュン、早くやっちゃって」

「わかってるよ」

 シュンと呼ばれた男は、うずくまるわたしの胴体を、まるでサッカーのフリーキックのように大げさに蹴り上げた。衝撃で、アスファルトの上を半回転する。下腹のあたりに、鈍い痛みが広がっていく。シュンの腕が、わたしの髪を掴む。雑に引っ張り上げられたわたしの目に、右拳が映り込む。咄嗟に手で庇うと、拳は軌道を狂わされて額のあたりに命中した。掴まれている髪のせいで衝撃が逃げない。「ってえな」シュンは右手をひらひらと動かしながら、わたしを睨んでいる。その痛みなら、わたしはよく知っている。おまえの女を殴った時に感じたものだ。

「なに笑ってんだこら」

 シュンはわたしの首を、右手で締め上げる。頸動脈ではなく、気道が締まっている。このやり方は、すぐ意識が落ちるものではない。この私刑が始まって、そろそろ五分が経とうとしている。こいつらに他の仲間がいれば、いくらなんでもすでに駆けつけているはずだ。

「ふふ、ふふふふ」おかしくてしょうがない。この男はわたしに舐めてるのか、と聞いた。いや、違う。

 わたしは、太もものホルスターに忍ばせていたを、右手で掴む。そして、を男の体にあてがい、を入れる。これで、詰みだ。

「そんな物騒なもの。なにに使うんだ」

 築山の言葉を思い出す。彼と行ったショッピングで購入したのは、こういう時のためだ。バチバチと音を立てたスタンガンは、彼の運動系を本人の意思とは関係無く収縮させ、筋肉を痙攣させる。わたしの拘束はいともたやすく外れ、男は無様にのたうち回った。

「痛いなら叫んでもいいのよ。そのために路地ここを選んだんだから」

 五十万ボルトの電圧を受けた男からの返事はない。

「久しぶりね。今里さん」

 わたしは上半身についたアスファルトのかけらを払いながら、今里に挨拶をする。目の前で起きた現象が信じられないらしい。口を半分開いて、目を丸くしている。

。そう言った筈だけど」

「あ……あ……」今里は逃げ出さない。おそらく、恐怖で足が動かないのだろう。

 わたしは振り返り、転がり回る男に、スタンガンをもう一撃入れる。「ぎやっ」という甲高い絶叫が響く。水揚げされたばかりの魚のように、地面を跳び跳ねる。

「罠にはめたつもりだったんだろうけど、徒労だったわね。こういう事態をわたしが予想していないと思った?」

 口には出さなかったが、これは築山のお陰でもある。成人男性に素手で立ち向かう愚を思い知ったのは、皮肉にも由奈と築山が抱きあっているのを見たあの夜からだ。

 今里との距離を詰める。彼女は、ひっ、という悲鳴とともに顔を手で隠す。

「このクソ袋を連れて帰りなさい。今度やったら、これだけでは済まさない」

 スタンガンを空打ちする。今里はその火花と音に、びくっと体を震わせる。スタンガンはそれ自体の威力もそうだが、その音と光は、威嚇としても機能する。目の前でデモンストレーションを見せつけられていたのなら尚更だ。

 恐怖が閾値しきいちを越えた。今里は膝から崩れ落ちる。小さく痙攣している男を一瞥し、無力化していることを確認して、わたしは路地を進む。

 もうこれで、邪魔はない。

 わたしはそう確信して、痛む体に鞭打ち、駅へと向かった。

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