11 ゲームは時間の無駄 後編

◾️時間の無駄?


 前回に引き続き。


「ゲームで遊ぶのは時間の無駄だ」と、何度も言われたことがある。ゲームに費やす時間を勉強や他のことに使っていれば今頃は……などと平然と口にする連中がいる。


 昔はゲームを遊んでいたヤツですら、やめた途端に同じことを言う。初めて言われた時はただ腹が立つだけだったが、そのうち聞き流すようになった。何度も言われるうちに感情的な否定ではなく、疑問を感じるようになった。


「ゲームは時間の無駄」なのだろうか?


 理屈抜きにすれば無駄とは思えない。仮に無駄ではないのなら、何故「時間の無駄」と言う人がいるのだろうか。


 何が「無駄」なのか考えた。

 前回に引き続き。


◾️理屈で考えても、無駄ではないように思える。


 ゲームだけが「時間の無駄」と槍玉に上がるのは矛盾していると、前回は書いた。


 趣味にはインドアで行われるものもあればアウトドアで行われるものもある。頭を使うものもあれば身体を使うものもある。金はどうだろうか? ゲームは特別、金のかかる趣味ではない。ゲーム機を新品で買ったとしても四万、五万。スキーやスノーボードを始めたらこの程度では済まない。音楽で月に一回ライブに行っても五、六千円は程度は飛ぶ。年間で考えれば、決して金のかかる趣味ではない。


 時間も、日に数時間。隙間時間の利用や仕事が終わってから少し遊べる程度。


 では何故ゲームばかりが時間の無駄と言われるのか。もしかしたらゲームを批判する人々はゲームを遊ぶことが人生においてプラスにならないから「無駄」なのではなく、マイナスになるから無駄なのだと、つまり「有害」だと言いたいのではないだろうか。


 たしかに「ゲームの危険性」が問題になることはある。ゲームに熱中して受験勉強をしないで浪人しただとか、学校を辞めただとか。オンラインゲームの遊び過ぎで仕事を辞めただとか、待ちガイルにやられた腹いせに灰皿をソニックブームとか。


 悪い事例ならいくらでも挙げられる。


◾️脳への影響


 ゲームは危険で、青少年に悪影響があると過去に何度も問題提起がされた。未だに覚えているのはゲーム脳という言葉だ。


 エセ科学のひとつだが、ゲームを遊ぶことで脳にダメージを負うからゲームを遊ぶ連中は見た目に気を遣わず小汚くなる、凶悪になる、要はそう言った無茶苦茶な理屈だ。ゲームを悪役にするにしても、ここまで露骨だと笑うしかないなと思った記憶がある。


 しかしどこまで無茶苦茶で馬鹿げた理論でも信じたがる者は信じる。

「人種によって脳の容量が違うから白人は優れており有色人種は劣っている」と主張した医者がいる。馬鹿げているし、一考にも値しない。それでも人種差別が当たり前に行われていた時代には多くの人がその話を信じた。


 人は信じたい言葉を信じる。ゲームを悪役にしたい大人にとって、ゲーム脳は飛び付きやすい言葉になった。


◾️凶暴になる、現実と空想の区別がつかなくなる。


 ゲーム脳理論が幅を利かせていた時代、私は教師にも言われた。


「ゲームを遊んでいるといつでもリセットできるから空想と現実の区別がつかなくなり、現実でも死んだ人間が生き返るようになると思いこむんだ、だから若者は簡単に人を殴ったり殺したり凶悪犯罪が増えているんだ」


 などと。


 授業中にネオジオポケットを遊んでいた私に非があるとしてもこの言い分はおかしい。じゃあ聖書の代わりにファミコン配れば人が生き返る話みんな信じるんじゃねーのアホかよ、などと言ったらその教師に殴られた。たぶん彼はゲームのやり過ぎで凶暴になっていたのだと思う。


◾️当たり前だがゲームにも適量がある。


 ギャンブルで身をもち崩す人がいれば酒で依存症になる人間もいる。キャバクラやホストクラブ通いが辞められず借金を抱える人もいる。買い物でストレス発散するからと服を買いあさりリボ払いで地獄を見る人も。異常に熱中することで生活に支障が出るのはゲームに限った問題ではないはず。一日30分ランニングする習慣を身に付ければ健康には良い。これが一日に23時間30分ランニングを続ける習慣なら、死ぬ。

 

 適量を守れなかった人間や怒りで自制の効かない人間がゲームに手を出したからといって、ゲームを攻撃するのは論点が違う。授業中に生徒がネオジオポケットで遊んでいたならSNKが悪いのではなく生徒が悪い。


 子供が暴力的なゲームを遊んでいると人格形成に悪影響を与えるのではと、親世代が心配するのはわかる。もし自分に息子が居たとして敵にシャベルを投げつけて笑いながら刺し殺していたら、ちょっと将来が心配になる。しかしイギリスやアメリカで長期にわたる調査が行われており影響は薄いことが論文で発表されている。


 私自身について言えばゲームの中で過去に数万を超える人間を殺害してきたが、今のところ現実には何の影響も与えていない。


 ゲームは他の趣味と比較して特別に時間を多く使うものではないし、ゲームを遊ぶことで利益を生む可能性もある。有害になるのはのめり込んでいる者だけ。


 では何をもってして「無駄」などと言われるのか?


◾️もしかして:悪口


 時間の無駄という言葉になぜ腹が立つのかと言えば、反論できないからだ。


「時間の無駄」か「無駄じゃないか」なんて水掛け論にしかならない。無駄か有益かは誰にも証明できないし、利益を求めて始めるのなら趣味ではなく事業だ。プラスにならない趣味だとしても、マイナスをゼロに戻すことはできる。仕事や人間関係に疲れ果てて摩耗した心身をゲームで癒すことができるなら、日に数時間の消費くらい安いものだろう。こんなことは改めて説明するまでもなく、言う側だって考えればわかるはず。


 彼らは考えていないのか? たぶんそうだろう。考えずに根拠なく「時間の無駄」と言っている。何故そんな言葉が飛び出すのか? 思うに、他人より上に立ちたいという無意識の歪んだ優越感の発露が「時間の無駄」という言葉を生むのではないだろうか。つまりはマウントを取るという行為だ。


 ゲームというのは昔から大人たちが悪の枢軸のように取り上げて「ゲーム脳」なんて言葉まで作り上げて徹底的に貶して来た。人を殴ることや暴力は悪いことだと誰もが言うが、言葉の暴力になると途端に手綱が緩み、平気で他人を傷付ける。粗のある相手とみると面白半分に炎上させ、死ぬまで追い込んで大喜びするのが人間だ。ゲームを遊んでいるなんて、殴りやすい格好の標的になる。


 趣味を馬鹿にするということは思想を馬鹿にすることだ。別の言葉を使えば「差別」だ。肌の色が違う人間を差別して許されると思うだろうか? 許されるはずがない。何故、思想で差別することは許されると思うのだろうか。ゲームなら馬鹿にして良いと思うのだろうか。


「時間の無駄」だと、その言葉が相手を批難する為に出たのであれば気を付けた方が良い。差別は無自覚の侮蔑から始まる。つまり「ゲームは時間の無駄」だからそのように言われるのではない。無自覚な者たちが放つ無自覚の悪口で、差別意識の無自覚の表れだ。


 人には譲れないものがあるし、それはゲームを遊ぶことも小説を書くことも音楽をつくることも同じだ。利益か不利益の話ではなく信念の問題だ。誰が何度繰り返し無駄と言おうと同じだ。そんなものは根拠のない悪口だとわかれば考えるまでもない。私にとってゲームは必要なものだから「時間の無駄」ではない。


 貴方にとってはどうだろうか。


 今日はここまで。

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3000文字ゲームエッセイ 鋼野タケシ @haganenotakeshi

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