3 昭和生まれとFGO

■仕事辞めてずっとFGOやってたい


 忘れもしない2016年の暮れだ。

 ゲーマーである友人がそんなことを言い出した。


 私は80年代の生まれで、彼も同じだ。

 ファミコンから段階を踏んでゲームの進化を目の当たりにして来た我々だが、当たり前のように普及するスマホゲームはどこか異質で相容あいいれない存在だと思っていた。


 私は友人の発言にショックを受けた。

 我々はスマホゲームを敵視していたはずではなかったのか?


■スマホゲームは大嫌い。


 いや、憎んでいたと言っても過言ではない。


 何故なら普通に一本のゲームを売るよりもスマホゲームの月間の売り上げの方が高いからだ。


 企業は利益を追求する。

 スマホゲームが金になるなら、金にならない家庭用コンシューマーはどうなる? 

 コストばかりかかって回収ができないなら当然、縮小する。家庭用コンシューマーの客は金にならないからと切り捨てられてはたまらない。


 スマホゲームの台頭によって家庭用ゲームが衰退することを私は恐れていた。


 だから、スマホゲームは絶対に遊ばなかった。


■無料で遊べるよ?


「Fate好きだよね? FGOやらないの?」


 スマホゲームなぞやらん。


「無料で遊べるよ?」


 無料で遊べてもやらん。


「合わなかったらやめればいいのに」


 ええい、もうウンザリだ!

 無料だから遊んでみればいいだと?

 今なら石が何個もらえるからガチャが回せるだと?


 馬鹿野郎!

 俺はゲーマーだ!

 RPGが遊びたいんだ!

 ガチャガチャ回したいワケじゃねぇよ!


 だいたい武器を集めるのも仲間を集めるのもRPGの醍醐味だろうがそれを金を払ってガチャを回して仲間になりましたじゃねぇあの頃俺たちが学校サボってまで買いに走ったRPGはこんな風に楽しむものじゃなかったはずだクライブを仲間にしようと大急ぎでイベント進めたのはなんの為だちょこを仲間にする為に泣きながら地下50階のダンジョンを行き来したのは何故か忘れたか! 全部、全部その苦労が楽しかったからだろ! 目を覚ませ! おれたちが好きだったRPGの仲間は金で買えるものじゃないんだ!


「ところでFGOなら両儀式が使えるよ」


 え? なんで


「あ、あとこいつクー・フーリンのキャスター」


 ええ? どういうこと


「これがセイバーのランサー」

 

 えええ? どうなってんの


「ニトクリス好きそう」


 何これ褐色娘?? 最強じゃないですか???


「世界が滅ぼされてそれを回避する為にサーヴァント仲間にして過去に遡って戦うストーリー」


 遊びたい!


「ダウンロード無料」


 やります!!


■私の手のひらはドリルのように高速回転する


 FGOをダウンロードした私は、すぐに驚くべき事実に気が付いた。


 おもしろい。


 人類滅亡を回避する為に戦うという魅力的なシナリオ、魅力的なサーヴァントの数々。

 どのサーヴァントにも元ネタが存在するので、知っていればニヤニヤできるし知らなければ調べたくなる。原作のfateを知っていても知らなくても、どちらでも楽しめる構造も良い。

(Zeroが好きな私はエルメロイ二世とアレクサンダーが共闘しているのを見て感動した)


 戦闘システムもサーヴァントのクラスによる優劣や固有のスキル、宝具があるのでうまく編成して戦わないと勝てないバランス。キャラクターを強くする度に新しい姿が見られるのも楽しい。

 演出も派手で、ついつい見たくなるものが多い。


 最初は抵抗のあったガチャも、一度回してしまえばなんてことはない。


 欲しいキャラクターが狙い通りガチャで出た時は思わずガッツポーズしてしまうほど嬉しい。家庭用とはまた違う快感がある。おみくじで大吉が出たら嬉しいのと同じだろうか。


■何故ガチャを引きたくなるのか?


 以前「ローマ法王に米を食べさせた男(著:高野誠鮮)」という本を読んだことがある。


 本の中で書かれていた物が売れる三大原則に「これだけ、ここだけ、今だけ」という記述があった。


 もしすべてのガチャの限定期間が撤廃されたらそれほど欲しいと思うだろうか?

 すべてのキャラクターが恒常ガチャに入っていたら?


 少なくとも私はガチャに使う金を減らしただろう。いつかは出るのだから、気長に回して機会を待てばいい。


 しかし、今だけ。

 このチャンスだけ。


 つい回してしまう。


 値段設定も巧妙だ。

 ガチャを回す為に購入する石は、一回分の金を払うより二回分の金を払う方がオマケでたくさんの石が貰える。


 十回分、二十回分ならもっとオマケが多い。

 それでついつい、じゃあ二十回分買おうかと思わされてしまう。


 私のように意志薄弱とした人間には大変危険な誘惑だ。自覚があるからギャンブルには決して手を出すまいと決めていたが、ガチャには手を出してしまった。


 でも、やめられない。


 夏のイベントで水着ニトクリスが出た時は喜びのあまり鼻血が出そうだった。褐色娘の白水着は無敵で最強ってことじゃないですか?


 でも沖田ピックアップで大爆死した時は二度とこのクソゲーには触るまいと思った。

 ほんとに。ほんとにさ。


 だが、もう抜けられないのだ。


■データにお金払うなんて馬鹿じゃないの? 自分の物になるワケじゃないしサービス終わったら消えるのに。


 私の家は決して裕福ではなかったし、独立してからもお金に余裕のあった時期は一度としてなかった。一時期は三食もやしだけを食べて生き延びていた。


 あの日々を思えば、ガチャの約3000円は決して安くない。

 だが当然、それだけのお金を払う価値はある。


 私たちはデータを使用可能とするためにお金を払っているわけではない。

 私たちは体験に対してお金を払っている。


 そのキャラクターを使用する体験だ。

 仲間になるという体験、共に戦い、強くなるという体験だ。

 体験によって得られる充足感に対してお金を払っているのだ。


 体験を提供してくれるものがデジタルかアナログか、ましてや所有権がどこにあるかなんて何の関係もない。


 人は体験の為にお金を払う。面白い小説を読むのも最高の読書体験をしたいからではないだろうか。面白い、感動する、そんな体験を期待してお金を払っているのだと思う。


 だいたい、最終的に無駄になるから意味がないと言うなら高い金払って美味しいものを食べても最終的に贅肉か、う●こじゃないか。


 まあ最近は食べ物買って食いもしないで写真だけ撮る人らも増えているようだが、あれだってインスタで承認欲求を満たすという体験を期待して金を払うわけだろう。むかつくけど。


 私は昔からビックリマンのシールだけ集めてチョコを捨てる富裕層に憎悪を抱いていた勢なので、インスタ映えとかクソ喰らえと思う。


■スマホゲームは、十分おもしろい。


 思えば子供の頃、ゲームを否定する大人たちを冷ややかな目で見ていた。最新の技術を受け入れられない老害だとしか思っていなかった。


 大人になっても新しい技術を受け入れられる人物でいたいと思っていた。しかし、気付けば私は愛するゲームの進化についていけなくなっていたのかも知れない。そしてスマホゲームは悪いもののだと勝手に嫌悪し、軽蔑した。


 FGOは大切なことを思い出させてくれた。

 ゲームの本質は楽しむことだ。たとえ売り方が変わり、インターフェースが変わり、遊び方が変わっても本質は変わらない。


 ゲームは楽しい。楽しいから大人も子供も夢中になって遊ぶのではないだろうか。


 と、これを書きながらニューイヤー2018ピックアップガチャを回した。


 いくら回しても武蔵ちゃんは出なかった。

 

 いくら!


 金を!


 使っても!


 出なかった!


 やはりガチャは悪い文明だ滅ぼそう。




 今日はここまで。

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