3000文字ゲームエッセイ

鋼野タケシ

1 ミステリー小説とドラゴンクエスト

■『ドラゴンクエストとミステリーの親和性』


 仮にも小説を書く人間である以上、

 エッセイの一つ目くらいは小説と絡めて書こうと思う。

 たぶん二つ目からは絡めない。ネタがないから。


 というわけで

『ドラゴンクエストは優れたミステリー小説である』

 最初のテーマはこれでいこう。


「なんのこっちゃ」と思われたか、

「いまさらなにを」と感じられたか。


 1986年5月27日にエニックス(当時)から発売された、

 いわずとしれた国民的RPG。

 初代ドラクエのストーリーは簡単に書くと以下の通り。


〇ドラクエの世界アレフガルドは闇に閉ざされています。

「ひかりのたま」という重要アイテムが竜王に奪われてしまったから。


〇主人公であるアナタは勇者です。

 竜王を倒し「ひかりのたま」を取り戻さなければいけません。


 さらわれたローラ姫を救う要素があるものの、

 これが大筋のストーリー。


■『はんにんは りゅうおう』


 すべての元凶が竜王であることはわかっている。

 竜王の居場所が、開始地点ラダトーム城の、

 対岸にある城だということもわかっている。


 でも、どうやってそこに辿り着くのかがわからない。

 勇者であるアナタは世界中を旅して、ヒントを探し、

 道具を集め、力をつけ、竜王の居城に迫る 


 この一連の流れ、お気付きだろうか。


 勇者=探偵。

 道具=証拠。

 竜王=犯人(あるいは真相)。


 こう置き換えると、まるきり探偵小説だ。


 竜王にたどり着くまでの道筋はさながら、

 真犯人を追い詰めるための証拠探しになる。


 犯人の居場所がわかっても正しい証拠がなければ、逮捕はできない。

 正しいヒントをすべて集めれば、真相(竜王)にたどり着く。

 すべての解決を見られるというわけだ。


 そう考えると古来からの探偵小説やミステリー小説に

「プレイヤーが介入する要素」を入れ、

 ゲームに姿を変えたのがドラゴンクエストだと思えないだろうか。

 

 ちなみにこの話を友人に力説したところ、

「〇〇歳にもなってゲームしか考えることないのか」

 と同意は得られなかった。

 なので、こうしてカクヨムの皆様に是非を問うている。


 それにしても、いいじゃん何歳でゲームやってたって。

 好きなんだから。


 ともかく。

 私はドラクエのつくりから大切な小説技法をいくつも学んだ。


 たとえばコレ。


■『登場人物のできることは明示されなければならない』 


 主人公が元空き巣の小説があったとする。


 物語の途中、誰かが閉じ込められて絶対絶命の時、

 主人公が空き巣の経験を活かしピッキングで開錠、

 危機を救った。 


 という展開があったとしよう。

 主人公が元空き巣であることが明示されていれば、

 ピッキングの可否は読者も推察できる。

 

伏線である。


 でも、これで主人公は元銀行員だったら?

「実は趣味でピッキングを習っていた」などと言いだして

 鍵を開けたら「なんじゃそりゃ」と思わないだろうか。


 ドラクエの主人公はできることは最初から提示されている。


 これは有名な話で、ファミコン版を遊んだ世代には周知の事実だが、

 王様の部屋を出るまでに、勇者はすべての行動を取らなければならない。


 つまり、コントローラーを使って移動する。話す。宝箱を調べる。

 アイテムをつかってカギを開ける。階段を降りる。


 自然と学べるチュートリアルになっており、

 同時にプレイヤーに「何ができるか」を提示するのである。


 これは小説においても同じことで、主人公や登場人物が何をできるかは、

 前もって読者に提示しなければフェアではない。

(と思わない? 思うよね?)


■『物語には、謎がある』


 ローラ姫はどこにいるのか? どうやって竜王にたどり着くのか?

 1の短いシナリオの中にさえ謎はある。


 2も同じだ。敵に攻め入られたムーンブルクはどうなったのか。

 サマルトリアの野郎はどこにいるのか。


 3、4は飛ばして。


 ドラクエ5の冒頭には、主人公の出生の謎がある。

 片乳丸出しのかわのこしまきパパと二人旅の主人公が、

 何故か王城で産まれる夢を見る。父に話すと、

 寝惚けているようだなと笑われる。


 ミステリー作品のように大仰な「謎」ではなくても、

 読者(プレイヤー)が「これってなんだろう?」と

 疑問に思うようなポイントが散りばめられる。


 私はこれも小説を書く際に重要だと思っているし、

 できる限り作品の序盤に謎を置くようにしている。

 効果的かどうかは別として。


■『時に予想を大きく裏切って展開する』


 ドラクエ3に話を戻そう。

 1、2とやってきたプレイヤーからすれば、

 魔王を倒せばクリアというのは「お約束」だった。


 3ではなんと「敵は魔王バラモス」と断言しておきながら、

 バラモスを倒すと真の敵、大魔王ゾーマの存在が明らかになる。


 当時の私には衝撃的だった。

 私は何も知らず、バラモスで終わりだと思い込んでいた。


 何度も全滅してひぃひぃ泣きながらバラモスを倒し、

「ようやくエンディングだ感慨深いなぁ」などと思っていたら、

 まだ道半ばだと知らされるのである。


 しかも、恐る恐る地下世界に降りてみたら、

 1&2の世界に繋がっているではないか!

 当時の私はぷるぷる震えながら地下世界を進んだ。

 覆面パンツとの再会は、本当に泣けた。


 ちなみにSFC版ではバスタードソードを取るために

「はんにゃのめん」を装備した勇者一人で、

 がんばってバラモスを倒した。


「隠しの最強武器」だと友人に騙されて、

 ひぃひぃ泣きながらバラモスを勇者一人で倒したのに、

 普通に手に入る普通の武器だと知って、泣いた。


 あとドラクエ3で一番好きなのは女商人である。

 ポニーテール。


■『遊び心を忘れない』


 なんか真面目に書くのも疲れてきたが、

 要するに「ぱふぱふ」である。


 だって、1はファミコン。ロムカセットである。

 とにかく使えるメモリ容量が少ない。


 片仮名だって全種類は入れられず、

 よく使う「20文字」しかゲーム内で使っていない。


 そうやって頑張って容量を削っているのに、

 真っ先に削られる対象である「無駄」が

 ドラクエ1には入っている。


 要するに「ぱふぱふ」である。

 温泉街マイラに行くと「ぱふぱふしてあげようか」と

 持ち掛けて来る女性がいる。

(ファミコン版の時はこの会話に選択肢なかった気がするが確証はない。

 検証しようと思ったがめんどうくさくなってやめた)

 

※追記:友人の検証班の手によって

 やはり選択肢はないことが確認できた。

 あと、FC版はマイラではなくリムルダールであった。


 以降のシリーズで現れても、

 必ず「ハイ」を選んでしまう魔性の言葉である。

 だってぱふぱふだぜ。


 他にはローラ姫を連れて宿屋に泊まると

「ゆうべはおたのしみでしたね」と言われたり、

 本当にまったく何の効果もない「せんしのゆびわ」を

 装備しているかどうかでセリフの変わる町の人とか。


 ドラクエはゲームクリアに必要な情報だけではなく、

 ゲーム体験を楽しませるための遊び心に満ちている。


 エンタメを書くなら、遊び心は大切だ。

 私は読者を楽しませたいと思っている。

(できているかどうかは別ね)


■『ドラクエには創作のヒントがたくさんある』


 ドラクエに限らないが、

 大勢が楽しむゲームにはヒントが詰まっている。


 何がユーザーの心を掴むのか?

 何がユーザーを飽きさせるのか?

 名作、傑作にはそういった研鑽の数々が跡になって残っている。

 それを読み解くことができれば必ず自らの創作にも活かせる。


 だから私はゲームをやる。 

 あくまで創作のため。

 だから遊んでいい。

 だって創作のためだもの。


 ドラクエについて語り出すと止まらなくなるが、

 1話3000文字までと制限した。

 なので、今日はここまで。

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