7 狂気とFar Cry 5
■私はこのゲームのエンディングが好きだ。
シャベルとスコップの違いを知っているだろうか。
シャベルは英語でスコップはオランダ語だが、日本ではこの2つの違いはJIS規格[JIS A(土木及び建築)8902:1988]の「ショベル及びスコップ」で定義されている。大まかに言えば足が掛けられるようになっているものがシャベル(正確にはショベル表記)で、足が掛けられないのがスコップだ。
Far Cry 5は誤解を恐れずに言うなら、シャベルで大量の敵をぶちのめすゲームだ。もちろんそんなゲームではないので誤解はしないでもらいたい。
今回はエンディングに対するエッセイなので、エンディングまでネタバレする。まだ遊んでいない人は気を付けて欲しい。ネタバレがイヤな方はこのページを閉じて、代わりに鋼野タケシの他作品を見に行くのをお勧めです。短編が多くどれも完結しているからどの作品も安心して読めますね(雑な宣伝)
■狂気のカルト集団から街を救い出せ
Far Cry 5のシナリオを説明しておくと、主人公は新人保安官となってカルト教団エデンズ・ゲートに支配された街「ホープ・カウンティ」を解放するために戦う。
終末思想に囚われたエデンズ・ゲートはもうすぐ世界が崩壊すると信じており、世界の終わりに備えるために武装し、誘拐や監禁、洗脳や拷問とあらゆる手段を尽くして自分たちの信者を増やしていく。そして逆らう者は殺す。
教団のボスであるジョセフ・シードと、他に三人の幹部もいるが、彼らもそれぞれ狂気に囚われた人物である。細かいバックボーンがそれぞれの人物にありゲームを進める(あるいは各地のポイントを探索する)ことで彼らの背景も見えてくるが、いずれにせよ全員が狂気に支配されている。でなければ武装カルト集団をつくりあげて、世界の終末に備えようとはしない。
主人公である保安官やホープ・カウンティの住民に感情移入すればするほど、危険極まりないカルト教団エデンズ・ゲートをどんな手を使っても排除してやらねばならないと感じることだろう。
■どんな手を使っても街を救い出せ
ゲーム内の各地にエデンズ・ゲートの拠点があり、拠点は武装した信者によって守られている。この信者から拠点を奪還することで物語は進んでいく。そして、拠点を攻略する方法はプレイヤーに委ねられている。
こっそりと拠点に忍び込み全員を素手でノックアウトしても良いし、遠くからスナイパーライフルでひとりずつ始末しても良い。
物音で敵を誘い出して、茂みから弓矢で暗殺する方法もある。クマをけしかけて混乱しているところを車で轢いたり、ロケットランチャーを打ち込んでまとめて吹き飛ばすことも可能だ。武器とスキル、それから仲間を整えれば真正面からゴリ押しで戦うこともできる。
私はシャベルを槍のように投げつけて刺し殺す方法が好きだった。
だからFar Cry 5はシャベルで大量の敵をぶちのめすゲームだ。もちろんそんなゲームではないので誤解はしないでもらいたい。
拠点を取り戻しホープ・カウンティを解放した後、保安官とその仲間たちは幹部のジョセフ・シードと対面することになる。
■「これで満足か?」
武装したレジスタンスを率い、エデンズ・ゲートを排除し、街を解放した主人公に、対面したジョセフ・シードは問いかける。
「これで満足か?」
「いつになったら、銃で解決できないこともあると理解する?」
主人公は最後の戦いの時に、選択肢を与えられる。
『抵抗する』か『立ち去る』か。
「君は自尊心を満たすためなら、世界すら犠牲にする」
『抵抗する』を選択した主人公にジョセフは言い、そして最後の戦闘が始まる。
■物語の結末。
ジョセフ・シードを倒し、手錠をかける直前、山の向こうに巨大な爆炎が上がる。遅れて衝撃波と熱波が訪れ、ホープ・カウンティの山が炎と煙に飲み込まれる。
核兵器と思われる爆発が次々と起こり、山々が燃えて人々が逃げ惑う。
主人公たちは車に乗って脱出を図るが、ついに車は大破し仲間たちもまた死んでしまう。
生き残るのは、主人公とジョセフ・シードの二人だけ。
「つまりは……私が正しかった」
「崩壊が訪れた。我々の知る世界は、もうない」
「私は君の父。君は私の子だ」
「君と私でエデンズ・ゲートへと歩もう」
生き残った主人公にジョセフ・シードが語り掛け、物語は終了する。
■は??
物語が終わり、スタッフロールが流れた時の正直な感想がコレだ。
「は??」
エンディングを迎えたあとは、ロード画面に映される牧歌的だったホープ・カウンティが核によって荒廃した映像へと変わる。そしてメニュー画面には、ジョセフを排除しホープカウンティを解放したと表示される。(酷い皮肉だ)
隠しシナリオがあってジョセフを倒せるとかあるのか……と、しばらく探し回ったが本当に何もない。物語はそこで終わっており、続きも補足もない(他にエンディングは2つあるが、ハッピーエンド的なものはない)
結局のところ正しかったのはジョセフ・シードで世界は崩壊して物語は終わりを迎えるというのが、この物語のエンディングだ。
しかし私は、この終わり方がとても好きだ。
■狂気。
このゲームの重要なテーマに「狂気」はある。三人の幹部もジョセフ・シードも、すべて狂気じみた人物だった。
では主人公は?
無数の信者を撃ち殺し、撥ね飛ばし、爆殺し、挙句の果てにはシャベルを槍のように投げつけて刺殺する。人を人とも思わぬその姿は間違いなく、
「これで満足か?」
「いつになったら、銃で解決できないこともあると理解する?」
ジョセフ・シードの言葉は痛烈な皮肉となり、心を抉る。
まるで自分の中の狂気を見透かされたような気分だ。銃を持って立ち向かうことを選ぶのは
銃では解決できないとジョセフは言う。その言葉通り選択は無駄に終わり、世界は崩壊する。
現実はゲームと違い、暴力での解決を選ぶ場面など普通はないが、選べるものなら銃を選びたい、と考えることがないだろうか。
たとえば凶悪な犯罪者のニュースを聞いた時に「こんなヤツ酷い目に遭って死ねばいいのに」と思う、同じ目に遭わせてやりたいと感じる。
気に入らない相手への暴言や罵倒も同じで、暴力による報復に他ならないと私は思う。
『問題』に対して暴力での解決を望んでも、世界は何も変わらないという、強烈なメッセージのように私は感じた。
■だからって、ゲームでこのエンディングはちょっと……
正直、腑に落ちずもやもやする終わり方だし、私は好きだけど他の人はどうかな……という気持ちもある。
しかし「喜び」や「笑い」だけが「楽しい」という感情ではないし、「感動」には様々な形がある。
ホラー映画を見て恐ろしさを味わったり、報われない悲しみに涙を流したり、怒りを感じたり。すっきりとしない結末にモヤモヤといつまでも考えてしまうような、答えの出ない苦しみさえフィクションならエンターテイメントになると思う。
「楽しさ」の正解が決まったひとつの形ではないから、クリエイターは試行錯誤して新しいものを生み出そうとするのではないだろうか。
刺さる人にはとにかく刺さるエンディングだと思うので(まさかここまでネタバレを読んだ人でやっていない人はいないと思うが)とにかく遊んでみて欲しい。
今日はここまで。
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