6 レベルアップとモンスターハンター

■とにかく現代人は忙しい。


 朝は早く起きて身を粉にして働き、わずかな休憩を挟んで会社の業務に追われ、また働く。

 24時間は瞬く間に過ぎ、一週間は振り返る余裕もなく終わる。気が付けば一ヶ月が経ち、2018年もすでに3ヶ月以上が経過している。


 光陰矢の如し、月日は凄まじい速度で時間が進むというのに、ゲーマーはそのスピードに食らいついて月に何十時間もゲームをする。


 これはもう偉業である。


■一狩り行かない。


 寝る間も惜しんで働いた激務続きの2月、私はモンハンに百時間を費やした。2018年1月26日に発売された最新作のモンスターハンターワールドである。百時間も費やしておいて何だが、私は今までモンハンが好きではなかった。


 モンスターハンター2Gが爆発的に流行していた頃。多くの大学生がヒマさえあればPSPを持ち寄ってモンハン2Gを遊んでいた。

 私の周囲の友人たちも同じように熱中しており、普段はゲームに興味を示さないような友人も、PSPごと買っていた。


「みんなで遊べる」という要素は強い。

 今でこそみんなで遊べるアクションRPGは数多くあるが、当時はオンラインゲームを除けば似たようなゲームは少なかったように思う。当時はモンスターハンターと言えば共闘、みんなで遊べるゲームと言えばモンスターハンターだった。

 友人や知人が遊んでいるゲームには興味が沸くし、興味はなくても一緒に遊べるなら買ってみようかな、という心理も働く。


 そうして瞬く間に広がったモンハンブームに、私は乗り遅れた。みんなが散々に遊び尽くし、G級も終わろうかという頃になって買った。

 それから夢中になって遊び、散々苦戦して、初心者の入り口と言われるイャンクック先生を倒せるようになった。

 ようやく操作にも慣れたので、一緒に遊ぼうかと友人たちとPSPを持ち寄った。


 それが間違いだった。


 私が苦労して倒せるようなモンスターを友人たちは片手間に倒す。私にとっての強敵を、友人たちは談笑しながら切り刻む。武具の性能もまるで違う。彼らにとってのかすり傷は私にとっての致命傷となる。


 結局、モンスターに太刀打ちできない私は叩きのめされるドドブランゴを横目で眺めながらキノコを掘っていた。


 友人たちの協力があれば、どんなモンスターでも簡単に倒せる。だが、私は強敵と戦うのが好きだ。ゲームでも小説でも、いわゆる「俺TUEEEE」要素は好きではない。圧勝してはつまらない。ゲームをやるなら苦戦して、戦略を練って、ようやく倒せる強さの敵と戦いたい。

 小説なら、苦境に落ちて散々苦しみ、何度も叩きのめされてそれでも立ち上がるような主人公がいい。


 苦戦することを楽しみたい。なのに、倒すべき強敵が目の前で雑魚も同然に蹴散らされては興醒めだ。勝てるかどうかの緊張感がなければ、そんなものはただの作業と変わらない。

 そんな状態で強い装備を作り、勝てるようになったところで嬉しくない。


 よく考えてみれば、仮に一人で遊び続けても強い装備をつくるには同じモンスターを何度も倒さなければならない。


「同じ相手を繰り返し倒す? 何度も同じことして何が楽しいんだ?」


 疑問を覚えた途端に、不思議とゲームへの熱は醒めた。私はモンハン2Gをやめた。

 それ以来、モンスターハンターを遊ぶことはなかった。


■にもかかわらずモンスターハンターワールドを買った。


 買ったのである。

 そして瞬く間にハマった。


 広いフィールドを探索しモンスターを探す探検感。多様化し爽快になったアクションに美しいグラフィック。


 新しい魅力にアッと言う間に引き込まれた。何より感動したのは、採集道具や砥石を用意しなくて良くなったこと。

 色々なアイテムを準備して戦いに臨むというのは面白さの要素でもあるが、必需品を毎回用意しなければならないのは面倒くさい。

 ワールドではその手間が省かれている。


 シリーズ物では当然、新作が出るたびに新しい要素が増える。バージョンアップを重ねていけば、今までは当たり前だった部分に不便さや手間を感じることもある。

 最初は目新しく、楽しいと感じた要素であっても、何シリーズも同じことを続けていれば面倒だと感じるプレイヤーもいる。

 ファンはその不便さも「●●シリーズの特徴だから」と受け入れるかも知れないが、シリーズのお約束と決めつけずに細かな点に改善を施したのは英断だと思う。


 シリーズのファンでなかった私ですら、ワールドでの様々な改善点に驚いた。長きに渡ってモンスターハンターシリーズを愛していたファンはことさらに改善された要素の良さを感じているのではないだろうか。


 この一ヶ月、無我夢中でドスジャグラスを倒した。プケプケに殺されアンジャナフ先輩から逃げ回り、リオレイアに怯えつつ生焼け肉とコゲ肉を量産した。


 最初は逃げ回るしかなかったアンジャナフ先輩と、ついに戦う時が来た。

 何度も蹴り飛ばされ何度も焼き払われ敗走を繰り返し、ようやく勝てるようになった。何度も戦っていると一度も死なずに勝てるようになった。それでも戦っていると、ついには簡単に勝てるようになった。


 弱点武器を持ったからだろうか? 防具を強化したからだろうか?

 竜杭砲でアンジャナフ先輩のアゴを砕きながら思った。


 違う、これは私のレベルが上がったのだ。


■「やれやれ、またプケプケか……今の私の敵ではないな。2分で片を付けてやる」


 とナメて掛かった初対面の上位プケプケに殺された(しかも2連敗する)


■レベルアップが最大の魅力。


 勉強も趣味も、新しく始めた時期はすぐに上達するから面白い。最初の内はめきめき上達するし、学ぶべきことが次々に見つかる。


 だが段階を踏んで学んでいると上達はどこかで頭打ちになる。初心者を脱する頃には上達のスピードが遅くなり、上手くなったという実感が得られなくなる。どんな趣味だろうと上達を感じられる間は楽しく続けられるが、それがなくなると辛い。

 自分の限界が見えて、楽しかったはずの反復練習が意味のない「繰り返し」だと感じてしまう。

 楽しむためにやっていたはずが、ただの作業に感じる。やがて何もかも無意味で退屈な「繰り返し」だと感じてしまう。


 しかしモンスターハンターは、退屈に陥りがちな「繰り返し」をゲームシステムにうまく組み込むことで、飽きさせるどころか上達の実感を何度も味わわせてくれる。


 倒し方がわからない敵でも、戦っている間にパターンが見えてくる。

 どういう攻撃をしてくるのか。攻撃はどうやって防ぎ、避ければいいのか。一撃を叩き込む隙はどこにあるのか。

「繰り返し」戦うことで手の内がわかるようになる。

「繰り返し」倒すうちに、楽に勝てるようになる。

 そうして敵に慣れる頃には新しい装備が完成している。

 弱点武器に耐性装備。歯を食い縛りながら立ち向かった強敵を、ついにハンターは圧倒する。

 次の段階へと進み、また新しい敵と「繰り返し」戦う。

 

 多彩なモンスターや新しい装備を作る楽しみもプレイヤーを飽きさせない魅力だが、何よりもモンスターハンターは自分自身のレベルアップを「繰り返し」感じさせてくれる。


「同じ相手を繰り返し倒す? 何度も同じことして何が楽しいんだ?」


 かつて私が感じた疑問の答えが今ならわかる。

 レベルアップを実感するのは、どんな趣味でも快感だ。だから世界中のプレイヤーを、十年以上も魅了し続けているのではないか。


 上位のヴァルハザクにやられながら、私はそんな風に思った。


 今日はここまで。

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