毎朝バカになるサプリでも飲んでるの?

若草菊花わかくさ きっか


 登校二日目の夕方。迎えのお車に乗り込むなり、お嬢様は腕を組み、眼光鋭く、その人名を発されました。

 発進。ゆるやかに速度が上昇していく中、やはり車内はお嬢様の醸し出す冷気に満ち満ちております。どうしてこう毎日毎日不穏な気配に晒されなければならないのでしょうか。


「……申し訳ございません、覚えのないお名前にございます。その人物がどうかなされたのですか?」

「転入間もないこのタイミングで人名を挙げるということはその人間を調査しろということに決まっているでしょう。そんなことも分からないの? 毎朝バカになるサプリでも飲んでるの?」


 あぁ、よかった。ここまで罵倒がスラスラ出てくるということはまだそこまでご機嫌斜めというわけでもなさそうです。

 ただ、少し焦っているような印象を受けますが……。私はメガネの位置と姿勢をキュッと正し、お話を続けます。


「大変失礼しました。その人物が、鳩緒さまと親しげであるといったことなのでしょうか?」

「馬鹿言わないで。たとえ若草が鳩緒さまを下の名前で呼んでいたとしてもそれは親しげであるとは言えないわ」

「語るに落ちるという言葉をご存じですか?」

「ええ知っているわよ。目上の人間に対して失礼な語り口を取る人間は時速60キロで走っている車から落とされても仕方がないという意味よね?」

「誠に申し訳ございませんでした」


 まぁ時速120キロくらいまでなら落とされても平気なのですが。字幕家から支給されている高級燕尾服を汚さない自信はないので、いらないことは言わず素直に引き下がります。


「ともかく、早急に調べなさい」

「かしこまりました」


 この頃、お嬢様は我々に直接的に命令をなされます。

 以前は、「貴方たちが早くコトを済ませなければ、私が直々に手段を選ばずやっちゃうわよ」という内容を、ひどく遠回しに仰るだけだったのですが。

 鳩緒さまに恋慕を抱いてからのお嬢様は、いつもより楽しそうではあるのですが、どこか……どこか、焦っているような気がするのです。


 そんな気がかりに呼応するように、懐の携帯電話が震えました。



「結論から申し上げますが。字幕家新館に頻繁に現れる不審者はほぼ間違いなく、全て『さる家』の派遣したものだと思われます」

「……『申家』というと、あの」

「ええ。万事屋よろずやです」


 後藤くんは溜め息でも吐き出すようにそう言い切ると、煙草を咥え直し、いつもより少しだけ強く、先端を赤く赤く染めてふかしました。

 今回の件を依頼した時と同じパチンコ屋の駐車場。後藤くん曰く「今日は旧イベント日なんですよ」らしく、車の数は以前の倍以上。頻繁にエンジン音が響き、少しだけ話しにくい環境です。

 私は後藤くんに断りを入れ、ここに来るまでにコンビニで購入した6ミリの煙草に火を点けます。


「俺は空岸さんやお嬢様のように日本の名家に詳しいわけではありませんが。申家のことはさすがに知っていますよ」

「……考慮に入れてはいたのですが、それにしてもまさか。本当に申家とは」


 さる

 干支の9番目に位置し、動物の猿を表す。

 その一文字を苗字とする一族・申家さるけは、古くから探偵や密偵を生業としており、祖先に、かの有名な忍である猿飛佐助を持つとされています。

 発祥や歴史については、家柄もありほとんどが謎に包まれているのですが。現代においては『申ノ腰掛さるのこしかけ』という万事屋……何でも屋を展開しており、インターネットから相談・見積もりを行った翌日には担当者が面談に来てくれると話題になっているようです。

 仕事内容は失せ物探しから浮気調査、身辺警護まで多岐にわたり、我々字幕家の人間も幾度かお世話になっております。


「派遣元が申家だということは、少し調べればすぐに分かりました。細かい経緯はメールにまとめておきます。問題は、そのです」

「誰が、それを申家に依頼したか……」

「主観的な感想ですが。申家からすれば、不審者の派遣元が自分たちであるということについてはほとんど隠す気がないのだと思います」


 まぁ、確かに。いくら後藤くんが凄腕とはいえ、半日そこらで尻尾を掴ませるほど甘い人たちでもないでしょうからね。


「ですが、依頼者のことを探ろうとした途端、こんなものをプレゼントされまして」


 そう言って、後藤くんは煙草を一旦咥え、懐からチャック付きのナイロン袋を取り出し、私の方に差し出します。


「――銃弾、ですか」

「煙草の箱の中に、いつの間にか入っていたのです。『お前の命など、その気になればすぐに奪える』……というメッセージなんでしょうかね」


 ご丁寧にスナイパーライフル用の使用済み弾頭を用意してきているあたり、少し凝り性さが伺えますね。

 後藤くんは煙草をふかし、灰を落とすと、私に向き直ります。


「とにかくこれ以上は危険なようです……如何致しましょう、命令であれば、命を危険に晒してでも調査続行させて頂きますが」

「冗談にしてもやめて頂きたい。私以外の使用人に命を掛けさせるわけにはいきません、この件のことは早急に忘れてください」

「ホワイトな職場で助かります。俺は果報者だなぁ、これで明日も元気にパチスロが打てる」


 申家のことについては、私が直接調査に乗り出すしかないようです。

 たしか、私条院学園には申家のご息女様が在学していたはずです。我々字幕家の人間があちらのことを探っているのはバレているのでしょうから、翌日以降、お嬢様に何かしらの接触を図ってもおかしくないはず。

 直接危害を加えるようなことはないにしろ、お嬢様の身に何かあれば、その時点で私の命は終わりです。ひとまず明日は、お嬢様の学校での様子を監視することに勤めましょうか。


「以上が俺からの報告になります。で、もう一件の鳩緒家の調査についてですが」

「舎香くんと釘打くんに任せているのでしたよね」

「……まぁ何というか、今のところ、とても普通です。大項駅徒歩10分のマンション302号室にて母親、父親、妹との4人暮らし。共働き。世帯収入は平均程度。ごく一般的な仲のいい家庭、強いて言うならば中学2年生の妹が父親とケンカ中。経済的にも社会的にも大きな問題は見られない。

 その他の詳細は、今奴らにパソコンで報告文書を作成させていますのでそちらでご確認ください」

「承知しました」


 ……あの2人の、書いた、文書。

 少し不安、いえ、酷く不安なのですが。後藤くんが彼らに一任しているのですから、信頼して大人しく報告を待つことにしましょう。


「奴らも、真面目に調査はしているのでしょうが……如何せん、腑に落ちないのですよ。報告を受ける限り、鳩緒家は

「………………」

「『とても普通』。『一般的』。『平均程度』。『仲のいい家庭』。『問題は見られない』。……おかしい。普通すぎる。狂っていない。狂気じみていない。とても字幕家の血を引いている家庭だとは思えない」


 桜子お嬢様に仕える身としては、ここで後藤くんを引っ叩いたりして失礼な発言を咎めなければならない場面だったのかもしれません。ですがそれはできませんでした。私は、全面的に後藤くんに同意してしまっていたのです。

 字幕家は、狂っていなければ成り立たないはずなのですから。

 字幕家は、20年近く仕えている私だからこそ知っている狂気を。20年近く仕えている私ですら知らない狂気を。入った初日の使用人を震え上がらせる狂気を。美しいほどに濁り醜いほどに澄んだ狂気を、血脈レベルで受け継いでいる一族なのですから。


「そのことは奴らも分かっているみたいなので、自主的に調査を継続しています。また続報があれば報告すると意気込んでいましたよ」

「そうですか……報告文書が届いたら、あまり無理はしないようにと返信しておきましょう」

「奴らにそんな気遣いは無用ですよ。それで、空岸さん。メールでは、新しい調査依頼があるということでしたが」


 私は若草菊花さまのお名前と、調査依頼に至った経緯を伝えます。後藤くんは表情こそ一切変えませんが、話を聞いて肩が少し下がったような気がしました。


「……空岸さん、いつも大変ですね。こう言っちゃなんですが、早死にしたいんですか?」

「長生きしたいとは微塵も思いませんが、いたずらに早く死のうとも考えておりませんよ。少なくとも、お嬢様がこのような頻度で無茶な要求をしてきている間は生き続けましょう」

「忠義や使命に従って生きるのもたっといことではありますが……せめてこの言葉を贈らせてください。――『人生は確変』。簡単に捨てちゃ勿体ないですよ」

「パチンコ名言どうもありがとうございます。二度と人前で使わないことをお勧めしますよ」


 私の苦言を少しでも意に介しているのか、いないのか。後藤くんは少しむせた様子で荒っぽい咳をして、煙草を半分くらいで火を消してしまうと、ゼブラ柄の吸い殻入れにそれを入れて、恭しく頭を下げました。


「何はともあれ……委細承知しました。半日ほどお時間を下さい」



「ねね、字幕さん! バスケに興味ない?」

「きゅ、弓道部……一度、見学、来てもらえませんか……」

「その長い脚はどう考えても空手向きですよ!」

「ピアノもフルートも何でも一通り吹けるって本当!? 吹奏楽部どう!?」

「君なら全国制覇を狙えるッ! 高校最後の夏は是非水泳部に!」


 うるさっ。

 スピーカーとヒトのハーフなの?


 昨日、登校2日目。体育の授業ではスポーツテストが実施された。

 握力測定以外の全ての分野にて本気を出し(握力では日本女子17歳の平均である26.7キロちょうどになるよう加減した)、生まれながらにして文武両道の字幕家の力を遺憾なく発揮したところ、1日でその噂が学校中に広まってしまったらしく。

 結果として、スポーツテスト翌日の今日。朝からずっと、制汗剤を肌に塗り込み過ぎて脳まで侵されてしまったようなバカ共の対応に追われている。

 陰鬱な文化部の人間共はこういう時にしゃしゃり出てこない分まだいい。問題は、これまでの人生で下唇を噛むくらいの苦渋すら味わったことがないのだろうなという感じの、運動部や吹奏楽部といった、いわゆる『陽キャ』な楽天人間共である。

 今年のハロウィン辺りを狙って渋谷のスクランブル交差点に核でも落とせば日本からこういった人間は数割減ってくれるのかしら。今度お父様に頼んでみましょう。


 とはいえ、私は字幕の娘。

 そんな呪詛をそのまま吐き出せるわけもない。


「もう少し色々見学してから考えたいの。ごめんなさい」


 と、いつも通りの笑顔の仮面を貼り付けて単調なAIのように応対するしかないのだった。


「……ふぅ」


 そんな感じで、校門から教室までの地獄を思わせるような長い長い道のりを越え、私はようやく自分の教室、自分の席に着いた。

 いくら仮面を着けようと、品のいいお嬢様を演じようと、さすがに少し溜め息が漏れる。自分に人嫌いのきらいがあるのは自覚しているので、朝から多数の人間に囲まれてワァワァ喚かれるとかなり堪える。


 若草は……まだ来ていないようだ。

 空岸に頼んだ身辺調査の結果を、早く知りたい。

 今のところ私の恋愛に特に大きな障害はないのだ。もしもあの女がその障害となり得るのであれば、速やかな排除が……。


一寸ちょっとよろしおすか、字幕氏」


 私は驚き、顔を上げる。

 ……目の前に、女子生徒がいる。こんな至近距離まで接近されて、この私が、気配のひとつも感じ取れなかった。

 生気を感じられない無表情な顔。真っ白な髪、真っ白な顔、真っ白な唇。モデルをそのまま剥製にしたかのような美人。瞬きのひとつもせず、言葉を発する口元を最低限動かすだけで、身体の他の部位はぴくりとも動かない。


「字幕氏、えらい色んな部活動から引っ張りだこみたいやしなぁ……。これはうちもダメ元で勧誘してみなあかんな、思いまして」

「……あなたは?」


 屈辱だが……正直、圧倒されていた。

 彼女の持つ、まるでこの世のものでは無い、ある種都市伝説やオカルトじみた雰囲気に、圧されていた。


「……あぁ。これはえらいすみません。字幕氏のことやから、家同士の付き合いでうちのこと知ってるか思ったんやけど……自惚れてました、ほんま、えらいすみません」


 んふふふ、と、彼女は笑った。

 無表情から、突然笑い、そして2秒間笑い終えるとすぐにまた無表情に戻った。機械のような切り替えがまた、彼女を非人間たらしめている。


 彼女は恭しく頭を下げ、挨拶をした。


申幸祁さる さちぎ、いいます。よろしゅうお頼み申します」

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純情サイコパス OOP(場違い) @bachigai

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