バグったファミコンの画面ですか?

「じゃあ俺は先に指定の駅まで先回りしとくが……タヨリちゃん、あんたは?」

「無論、お嬢様を尾行します」


 私の即答に、ブルックシュタインくんはわざとらしく呆れたように肩をすくめ、何も言わず乗り込んだハチロクのドアを閉めました。

 お嬢様からは「余計な手出しをするな」とキツく言われておりますが、それでも私の務めは、執事の務めは、お嬢様を陰ながらお守りすること。愛する殿方が隣を歩いているとはいえ、お嬢様から目を離すわけにはいきません。

 ブルックシュタインくんの乗ったハチロクが、重く緩やかな初速で駅に向けて走り始めます。


「さて……」


 眼鏡を押し上げ、私は靴をトントンと鳴らします。

 皆様は『縮地法』というものを御存知でしょうか。所説ありますが、日本武術の足運びにおける体捌きのひとつで、まるで移動前の地点と移動後の地点との距離を縮めて瞬間移動をしたかのように、離れた距離を一瞬にして移動するというものでございます。

 こう書くとお嬢様の好きなバトル漫画の解説文のようですが、現実においても修得可能ですし、割と簡単なのですよ。日常で使う場面も多く、便利ですしね。


 ここからお嬢様と鳩緒様のいる場所は……ふむ、まだ見えない場所ではありませんね。目視距離124.3メートル、信号を2つ渡った先。お嬢様たちに悟られないよう身を隠しながらお姿を確認できる場所は、あの電信柱など有用でしょうか。

 と、まずは目指すべき地点を定めます。

 そうしたら、あとは姿勢を低くし、たっぷりと息を吸い込み、しっかりと地面を踏みしめ、筋肉を弛緩させた状態から急に緊張させることで生まれる爆発力によってブーストをかけ、あとは体の赴くままに息をゆっくり吐きながら進むだけでございます。

 感覚としては、ジェット風船を飛ばすようなイメージですかね。

 音を立てず電信柱の陰に侵入し、肺の中に残った息を静かに吐き出します。この距離であれば、緊張していらっしゃるお嬢様のお姿がよく見えますね。

 雨で地面が濡れているのと、手に傘を持っているためフォームを完璧にできなかったため、今回は4秒かかってしまいましたが、万全の状態ならこの程度の距離であれば3秒で移動できます。簡単でしょう?


「桜子さんっていうんですね。綺麗な、良い名前ですね」


 おぉ、早速声が聞こえてきました。

 鳩緒さんという殿方の声ですね。誠実そうな、優しい声色です。これは確かに恋愛マンガ脳のお嬢様が出会ってしまったら一瞬で恋に落ちるであろう、現実にはほぼいないようなステレオタイプの王子様キャラですね。

 ていうか、初対面の女性相手に男子高校生が『良い名前ですね』って。

 今どき「オレ最近ホンマ出会いないからさ~、ちょっと女の子と出会う練習してみたいねんやんか。ちょっと相手になってくれへん?」から始まる芸人の漫才でしか発されることのないであろう作り物じみたセリフですよ。

 鳩緒様のことを悪く言うつもりはありませんが、それにしたってコレはないでしょう。何か早速心配なのですが、これに対してお嬢様はどう返すんでしょうか。


「い、いいいいいいいいいいいいいいいいえいえいえいえいえいえいえいいいいいいいいいいいいいいいいえいえいえ、いえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんなそんな、い、いい、いいいいい良い名前だなんて」


 バグったファミコンの画面ですか?


 いやいやいやいや。最初声をかける時はまともに話せてたじゃないですかお嬢様。なんで名前を褒められただけでアホな子供がハッピーセットの音出る系のおもちゃを連打した時みたいになっていらっしゃるんですか。

 私の記憶の中のどのお嬢様とも合致しません。あんなお嬢様は見たことがありません。たしかに字幕家の教育方針上、あまり同じ年頃の異性と関わることはなかったでしょうが、別に殿方が苦手だとかそういったことはなかったはずなのですが……。


「僕は鳩緒掌はとお つかむという名前なのですが、小学校の頃はよく名前でからかわれましたよ。第一印象で綺麗な名前は憧れますね」


 いや何で何事もなかったかのように話を続けているのですか。

 隣に並んでる女が急に電マみたいにカタカタ震えてニコ動の音MADみたいな声出したのに、なんで平然と会話続けられるんですか? この世の不自然な事象を一切関知できないように設定されているNPCなのですか?

 なんか、お嬢様とは別方面でのサイコパス感を鳩緒様に感じるのですが、本当に大丈夫なのでしょうか。


「そ、そそそそそ、そんな。い、いいいいいいい良い名前ですよ、つつつつつつつつつツカムさんも……」


 ちょっとマシになりましたけど、まだ裸の大将みたいになってますよ。財閥令嬢の対角線上にあるキャラクターですよ。ぼ、ぼくは、お、おにぎりが食べたいんだな、みたいな感じになってますよ。

 というか、そんなにどもってる癖に何ちゃっかり下の名前で呼んでるんですか。何でそういうところだけ思い切りがいいんですか。童貞なんですか?


 ちょうどその時、私の燕尾服の懐に入れたスマホがブルブルと震え始めました。

 画面を見ると、電話をかけてきているのは黒越洋くろこし ようくん。屋敷内の機械はどんな故障でも大抵修理することができるメカニックでもあり、それと同時に木曜日の料理を担当するシェフでもある、ハイスペックなアラサー男性です。

 声を押し殺して電話に出ます。


「もしもし。現在お嬢様を尾行中なので、急用でなければ、あとでかけ直して頂けると……」

『奇遇ですね、俺もお嬢様を追跡中ですよ』

「なんですって?」


 周囲に目をやりますが、黒越くんの姿はありません。周囲300メートル内に彼らしき気配も感じませんし……。

 と思った瞬間、目の前に、カナブンくらいの大きさの物体が飛んできます。

 球体に、プロペラが4つついたような形状。


「……まさか、コレで?」

『そうです。遠隔操作型対象追尾用超小型ドローン、名付けて『コマメ13号』! 12号までは失敗作です』

「はぁ。さすがは黒越くんといいますか……とんでもない技術力ですね。」

『空岸さんの運動能力には敵いませんよ……コマメの高性能カメラでも動きを追いきれませんでしたからね』


 しばし社交辞令的に相手の能力を褒め合います。内心では、おそらくお互いに「コイツ気持ち悪い技術持ってんな」としか思っていないのですが。


『それにしても……大丈夫なんですかねぇ、お嬢様』

「音声も映像も問題なくそちらに届いている上でちょっとでもこの状況を大丈夫だと思えるなら、すぐに14号の製作に取り掛かった方がいいですね」

『ですよね。あんなお嬢様見たことないですもん』

「普段は他人をダニとしか思ってないようなクソサイコなのに、さすがに好きなオスの前ではメスになってしまうのですね。お嬢様も」

『前から思ってましたけど空岸さん、お嬢様のサイコパスうつってますよ』


 はは、まさか。

 と、黒越くんの戯言を一笑に付している間にも、お嬢様と鳩緒様は歩みを進め、とうとう小学生の自己紹介レベルの会話しか交わさないまま駅に着いてしまいました。

 電話で黒越くんと話しながら2人の会話にも聞き耳を立てていたのですが、鳩緒様が「好きな食べ物は何ですか?」「映画とかって見ます?」とか聞くのに対して、お嬢様が「ハハハハハハムでしゅ!」「む、むむむムカデ人間とか見ます!」とか答えるだけ。

 一貫して一問一答、答えに対して鳩緒様が「いいですね」とか返すだけ。延々その繰り返し。最初はスムーズに会話できていたのに、何故このような体たらくに……。


 はぁ……思わず溜め息が零れます。

 果たしてこんな調子で大丈夫なのでしょうか。お嬢様自身がある程度上手くやってくれないと、そのうち「私は直接話すと照れてしまうので、あなたたちで何とかして彼から私への好感度を上げなさい」などと命じてきそうで胃が痛うございます。


「き、きききききょうは、おおおおお送ってくださってありがとうございました」

「気にしないでください、困っている女性を助けるのは、男として当然のことですから。……それじゃ、僕はこれで」

「…………はい……」


 鳩緒様はキザなセリフを吐くと、ちらりと腕時計を確認してから、速足で駅のさらに向こう側、ビル街の方へと去っていきました。

 寂れた駅の入り口で立ち尽くすお嬢様が、鳩緒様に聞こえるはずもない距離で、(私のように訓練を積んでいる人間でなければ)聞こえるはずもない声量で、小さく返事を零します。


『あーあ。本当に最後まであの調子で終わっちゃいましたねぇ』


 つまらないんだか面白がってるんだか分からない黒越くんの声。

 ぽつんと駅前に独りで取り残されたお嬢様は、私の目にはいつも以上に小さく映って。まるで、子供の頃の彼女に戻ったかのように、儚く脆い雰囲気を纏っておられました。


「ふむ……本当に途中から突然呂律ろれつが回らなくなりましたね。何かあったのでしょうか」

『空岸さん、心配ですか?』


 ……心配。

 心配、ねぇ。心配、かぁ。

 何度もその言葉を頭の中で反復するうちに、少しおかしくなってきて、ククッ、と通話に乗るかどうか分からない程度の笑いが出てしまいます。


「お嬢様の周りを、ならともかく。お嬢様自体を心配したことは、ここ10年以上ありませんね」

『ハハ……』


 乾いた笑いと共に、通話は切られました。

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