仲良くしてくれたら嬉しいわ

 ホームルームの間、鳩緒さまの微笑みで体温が上昇してしまったのをなんとか隠し通し、先生が教室を出て行ったあと。1時間目が始まるまでの5分くらいの休憩時間、生徒たちは各々、手洗いに行くなり授業の用意をするなりして過ごす。

 速達は先生の話をむやみに遮った罰として廊下に立たされているらしい。教室に残っていたら絶対に話しかけに来ていただろうから、助かった。このまま別のクラスに行けばいいのに。ていうか死ねばいいのに。


「字幕さん」


 名前を呼ばれ、左を振り向くと、大きく額を出した金髪ショートの女子が、頬杖をついて悪戯っぽい微笑みをこちらに向けて来ていた。

 猫のようなアーモンド形の釣り目で、道路標識の青い『一方通行』がデザイン化された髪留めをつけている。見覚えが全くないということは、この名家の子ばかりが通う私条院学園で一割しかいない、庶民の生徒だろう。


「隣の席になったのも何かの縁だし、友達になろうと思って。アタシ、若草菊花わかくさ きっか。よろしく!」

「若草さん……素敵な名前ね」


 下賎な庶民が。当然のように対等に口を利けると思わないでもらいたいものね。

 嫌悪感を隠しながら微笑んで『若草さん』と言った途端、少し離れた席の男子から笑い声があがった。


「ははは、若草さんだってよ!」

「そんな風に呼ばれたの1年ぶりくらいじゃねーの、!」


 男子たちにからかわれ、若草は頬を膨らませて「むーっ」と威嚇するように唸りながら中指を立てた。……ぶりっ子をするなら絶対やっちゃいけないジェスチャーでしょう、それ。


「ま、まぁ……普段からこんな風にちょっかいかけられるようなキャラクターなんだけどさ。字幕さんとは友達として釣り合わないかもしれないけど……仲良くしてくれたら嬉しいなって」


 かもしれない、じゃなく、釣り合わないのよ。貴方のような下民と私とでは。


「『桜子』でいいわよ。こちらこそ、仲良くしてくれたら嬉しいわ」


 私はまた、心にもないことを言う。

 心にもないことならば、どこにあるのだろうか? 思ってもいない、少しも本心の含まれていないはずのこの言葉は、どこにある言葉なのだろうか。

 馬鹿らしい詩的なことを考えながら吐いた言葉に、若草は、目を輝かせて喜んでくれる。


「嬉しいな! じゃあ桜子ちゃん、さっそくひとつ聞きたいんだけどさ」

「何かしら」


 接近。耳。唇。

 突然。若草が私の側頭部に顔を寄せる。




「パチンコにはパチンコの良さがあって、スロットにはスロットの良さがある……なんて道徳の教科書みたいなことを言うつもりはありませんよ、俺はね」

「…………」


 まず、道徳の教科書にパチンコやスロットなどという単語が載ることはありません。あってたまりますか。

 後藤くんを相手にそんな正論をぶつけても意味がないのは理解しているので、とりあえず黙ることにします。


 場所は、パチスロホールから移動して、同店の駐車場。

 たまに人が出入りして、駐車場とホールを隔てる自動ドアが開く時だけ、静寂を引き裂くように店内の喧騒が侵入してきます。それ以外は、風が空気を切り裂く音だけ。今のところは、車の出入りもほとんどありません。

 新しいタバコに火をつけた後藤くんは、私にも一本勧めてくれます。ありがたく受け取り、自前のジッポで火をつけ、一服。


「パチンコっていうものは、ボタンとかレバーとかまぁ可動部分は色々ありますが、結局はハンドルさえ握ってりゃ必要な操作はできますからね。左打ち、右打ち、止め打ち、あとは細かく打つ場所変えたり。基本的にそれだけしてれば何も知らなくても打つことはできる。知っていれば、レバブルが熱いとか金カットインの信頼度が何パーセントとか、演出に一喜一憂できる。そういった、何も考えずにハンドルを握って演出を眺める時間こそが面白いのだという意見も否めないですが、しかし、スロットの魅力には劣る。基本何をしようが基本的な操作を淡々と行えば確率や勝率に変化のないパチンコとは違い、スロットにはATタイプ選択やリールストップの順番でゲーム性が大きく変わるものだってあるのですよ。ビタ押しの巧拙で期待値が変化するのも面白い。そして一番大きな違いはフリーズの有無にあります。パチンコにはフリーズ演出こそあれ、機能的なフリーズは存在しない。スロットには、何千分、何万分の一という確率でフリーズが存在します。機種によって様々ですが、多くの場合、フリーズは遊戯者に通常の大当たりでは得られない多大なる幸福をもたらす。だから俺はG〇Dが好きなのです。あの、G〇Dを、1/8192を引き当てた時の、レバーオンの感触が味わいたくて、毎日毎日こうやってホールへと足を運んでいるのです。まぁアレは確定役であってフリーズとは別物なのですが、とにかくそういった要素があってこその遊戯だと思うわけです。俺がホールに通いだした頃のG〇Dと比べると今の凱〇やハ〇デスは少し確定役の恩恵がしょっぱい気もしますが、しかし、4セットのストックがあれば、ヒキ次第でそこからいくらでも伸ばせるというものです。さらにその中でもう一度G〇Dを引いてしまった時の至福といったら、それはもう。今ではG〇DinG〇Dにも慣れてしまいましたが、初めてG〇DinG〇Dを引けた時は今この場で死んでもいいとすら思ったほどです」


「後にも先にも人生でこれ以上の長ゼリフを言う機会はないだろうという長文の演説痛み入りますが。しかし後藤くん、私が話したいことは自動球遊器パチンコの事でも回胴式遊技機スロットの事でもないのですよ」


 私もよく無表情だとか何を考えているか分からないと言われますが、後藤くんも大概無表情ですし、何を考えているか分からない度合いで言えば彼の方が高いのではないかと思うのです。

 後藤揃ごとう そろう。字幕家の使用人、役職は『雑用』。

 もっとも、雑用とは名ばかりで、実際には『何でも屋』と言い換えた方がしっくりくる感じがします。私の手が回らない時に屋敷の清掃をしてもらうなどの軽作業から、探偵じみた危険な調べ物まで、何でも、本当に何でもやってくれるのです。

 しかし、彼の本当に凄い所は、頼まれた仕事は内容にもよりますがほぼ全て、確実に即日で終わらせ、仕事を終えたその足ですぐにパチンコ屋に赴く所にあります。凄まじい執念というか、本当にそれしかやることがないのかというか……。


「はぁ。というと、仕事の話ですか」

「そうです。というか、私がわざわざ後藤くんに話を聞かせてもらうほどパチスロに興味があるとお思いですか?」

「仕事一筋という人ほどハマるものですよ。ああいえ、そっちのハマるではなくね。ふふふ」

「……たぶん、『のめり込む』という意味の『ハマる』と『パチンコやスロットなどで何百回転も回しているのに大当たりが引けない状態』という意味の『ハマる』をかけた小粋なジョークのつもりなのでしょうが、伝わりにくい上に全く面白くありませんよ後藤くん」


 ジョークを言ったあとの「ふふふ」でさえも、目も口も全く笑っていません。私のことを無表情だとか罵っているお嬢様も、普段私と話していてこんな気持ちになっているのでしょうか。

 一度大きくふかし、タバコの灰を携帯灰皿にポトリと落とすと、後藤くんは改まって、こちらに向き直ります。


「では……ご用件をお伺いしましょう。俺でもできることでしたら、何なりと」

「2点、ございます。どちらも、調査して頂きたい事です」


 先ほど、後藤くんたち雑用の業務は軽作業から危険な調べ物までだ、と申しましたが。今回私は、後藤くんに『危険な調べ物』をしてもらいたくてパチンコ屋へ足を運んだのでした。

 後藤くんの他にも桜子様直属の雑用は何人か存在するのですが、後藤くんは、その雑用班をまとめているリーダー格なのです。


「お聞きしましょう」

「まず、1点。こちらはメールで連絡させて頂いたと思いますが……字幕家新館を嗅ぎ回っている人物について、です」


 活人様の話では、屋敷の周辺から敷地内の様子を伺っている不審な人物が、何度も目撃されているとのこと。そして、その不審な人物たちは特定の役職や特徴に縛られず、老若男女、様々な人種であるということ。

 時期的に、蓮願様がお亡くなりになった直後から不審者の出現が始まっていることが引っかかります。早めに対処をしておかなければ、いずれ本館や桜子様に何らかの被害が及ぶ恐れもあるでしょう。


「心得ておりますが……しかし、字幕家新館を嗅ぎ回る人物というのは毎日違う人種なのでしょう。突き止めても意味が無いのでは」

「えぇ。ですから後藤くんたちには、そういったたちを派遣している大元おおもとを見つけ出してもらいたいのです」

「……それはまた、何と言うか、危険な匂いのするご依頼で」


 たしかに、危険です。

 危険というか、現時点で相手の正体も目的もまるで掴めていないため、未知数。何が起こるか、調べた先に何が待っているか、全く予測がつかないのです。


「まぁしかし、委細承知しました。報告はいつまでに差し上げればよろしいでしょうか」

「2週間の間調査を行って、何かしらの情報成果を上げた時点ですぐに報告をください。大元に繋がる情報でなくとも、人形について何か判明したことがあれば報告を。危険すぎると判断した場合は即刻調査を取りやめて構いません。どのように危険なのかを私に教えて下されば、調査を引き継ぎます」

「……承知しました。して、もう一件の方は」

「こちらはもともと私ひとりで行うつもりだった調査なのですが……手が回らなくなって参りましたので、依頼させて頂こうかと。

 鳩緒掌さまのご家族……つまり、鳩緒家について調査して頂きたいのです。家族構成や家庭状況など、細密に」


 鳩緒家。

 蓮願様がお亡くなりになるまで、誰も存在を知らなかった、字幕家の分家。お嬢様の想い人である鳩緒掌さまの家。

 活人様の話では、蓮願様の遺書によって存在が明らかになり、蓮願様の莫大な遺産の数割を受け取る権利を与えられた際に、鳩緒家はそれを放棄したのだとか。

 鳩緒家の現家長である鳩緒犬久さま曰く、『遺産を手にするメリットは要らないから、字幕家の人間として扱われるデメリットを我々に背負わせないで欲しい』との事。字幕家の血が流れているとは思えないほど真っ当な感性をお持ちのようです。

 そのあたりの事情は後藤くんも聞き及んでいるようで、タバコを灰皿の上へ運ぼうとする手が、ぴたりと止まります。


「……失礼ながら空岸さん。向こうさんは、遺産を手にしない代わりに字幕家の面倒事に付き合わせるなと仰っているんでしょう。でしたら、こちらからあれこれと詮索するのは不義理というものでは」


 一理ある。というか、万理くらいあります。完全なる正論でしょう。

 ですが、どんな理も、正論も、権力には敵いません。1億の理があったとしても、1億円には勝てないのです。


「後藤くんは正しいですね」

「正しくありませんよ。博打とタバコをやっている時点でその人間は『誤り』です」

「……お嬢様は、既に掌さまとのご結婚を考えていらっしゃいます」

「…………」

「どの道、『字幕家と関わりたくない』というあちらの願いは踏みにじられる運命にあるのです。ならば、せめて先に調査を行い、未来でお互いが負うダメージを最小限に抑える努力をした方が建設的というものではありませんか?」

「字幕家でなければ許されない屁理屈ですね。字幕家だから許されて当然だ、と言い換えることもできますが」


 正義は、我々の側にはないのです。お金と権力というものは、正義の対義語のようなものなのです。それらを行使しようがしまいが、所持している時点で、力をちらつかせ弱者を怯えさせる悪役になってしまう。

 『核の傘』という言葉があります。他国から攻撃されないために核を保持するという考え方。こちらからはいつでも報復できるのだぞ、という、動かぬ威嚇。

 そういった考え方は、たびたび「不用意な威嚇はいたずらに戦争を起こす火種になりかねない」と批判を受けます。それをお花畑だとか性善説だとか皮肉ることは簡単ですが、しかし、非現実的であるとはいえそれもまた正論ではあるのです。

 力を持つことは悪である、だから力を手放せ。力を持つことは必要悪である、だから力を持ち続ける。この議論の興味深い所は、両者ともに、核武装を形は違えど悪だと捉えているところにあるのです。

 それほどまでに。考えの違う両陣営の認識が一致するほどに、『力』とは即ち『悪』であり、『権力者』とは即ち『加害者』なのです。


 だからこそ、我々はこういった問題を、仕方が無いと割り切るしかないのです。

 桜子お嬢様が悪だというわけではございません。加害者というわけでもございません。

 ただ、お嬢様が何かをしようとした時点で、その瞬間、その行為が『悪』であり『加害』になってしまうというだけのことでございます。そこに善の心があろうとなかろうと、お嬢様の壮大な一挙手一投足は、一般市民にとってはさながら歩くだけで街を破壊する大怪獣のようなのです。

 そして、そのことはお嬢様が一番よく分かっていらっしゃるのです。

 お金を使って本来必要な手順を省いたり、お金を使って順番抜かしをしたり、お金を使って最短距離で目的を満たすことが、一般感覚で『悪』となってしまうことをご存知でいらっしゃる。

 いつからか、お嬢様は必要以上に露悪的に振る舞うようになりました。恐らくは、そういったことを悟ったのでしょう。

 「自分は悪だ、そう認めている。だから不用意な同情も、いきすぎた批判もしないでくれ」と……。


「つまらない口を挟みました。2件の内容、我々雑用チームで引き受けましょう」

「よろしくお願い致します」

「不要な連絡かとは思いますが……1件目、新館の不審者についての調査は俺が。2件目の鳩緒家についての調査は、舎香しゃこう釘打くぎうちに任せます」

「承知しました。舎香くんと釘打くんにも、何か判明した時点ですぐに報告をするように言って頂けますか」

「委細承知しました。……では、G〇Dゲームを消化しだい、すぐに取り掛かります」


 そう言って、後藤くんは大きめの背広を翻し、ホールへと戻って行きます。

 本来は勤務時間なのだからスロットは諦めて早く仕事に取り掛かれ……と、上司としてはそう言うべきなのかもしれませんが。しかし、趣味を最優先にしながらもやる事はしっかりやってくれる人ですので、うるさく言うのも信頼関係上良くないでしょう。

 それに、私自身も……自分の仕事を果たさねばなりません。


「さて……屋敷に戻りましょうか」

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