猫の舌とかで眼球舐められて失明すればいいのに

 鳩緒さまと一緒になるために私条院に転入できたのはいいものの、大きな問題というか……さすがの私でも少しばかり頭を抱えたくなるような懸案事項が、1つ。

 私条院には、まぁ……俗っぽい言い方をするならば、日本中のセレブが集まっているわけなのだけれど。当然、私が字幕家というはた迷惑なほどに超大規模な財閥の娘である以上、家どうしの付き合いなどで他の家の息子や娘と挨拶したり一緒に食事をしたりしたことがあるわけで。

 つまるところ……私の本性に気付いている人間が、いるかもしれないのだ。


 小学校に入った時くらいには、人前で素を隠すことを覚えた。微笑んで、自分を殺して、そうした方がメリットが大きいことを学んだ。

 だが、それ以前の記憶は、ほとんどないのだ。

 その頃の私が人前でどんな振る舞いをしていたか、全く分からない。空岸は「ごく普通の大人しい女の子でしたが……」なんて言っていたが、なんとなく含みのある言い方だし、そもそも私は自分で確かめたこと以外は信じないタチなので、そんな気休めを聞いても全く安心できない。


 もしも、空岸や他の使用人に接しているような態度で他の家の誰かに接していたとしたら。そして、その本性を覚えられていたとしたら。


 モシモ、ソレヲ、鳩緒サマニ告ゲ口サレタラ。


 『知っている人間』がいたなら……見つけ次第、始末しないとね。


 はぁ。高校生活って、ホントに骨が折れるわね。

 私の骨じゃないからいいけど。


「これからこの学校で過ごす日々をとても楽しみにしています。皆さん、よろしくお願いします」


 頭の中では全く別のことを考えながら、完璧に当たり障りのない自己紹介を終えると、教室のクラスメートたちから、大きな拍手が上がった。

 適当に今流行りの俳優を好きだと言ってみたり、ありもしない座右の銘を理由も合わせてペラペラ喋ったり、作り物の笑顔を貼り付けて微笑んでみせたり。このモブたちに、実際の私とは何一つとして噛みあわない偶像を見せて、好感を持ってもらう簡単でつまらない作業だ。

 このクラスメートたちは、1人を除いて、一生本当の私を知ることはないだろう。

 ただひとり、以前お会いした時の優しい微笑みのまま拍手をしてくれている鳩緒さまだけが、私を知ってくれればいい。私の隣にいてくれればいい。


「素晴らしい自己紹介でしたね。それでは字幕さん、あそこの空いてる席に……」

「お待ち下さい、先生!」


 担任の先生が私を席に案内しようとするのを遮る、ドブのような声。

 聞き覚えがある。この不愉快でウザくて、人の迷惑なんて何一つ考えず、2ミリグラムの脳ミソと下半身だけで生きているような最低最悪の声は……。


「そろそろ席替えの時期ですし、この機会に席替えをしては如何でしょう! 勿論、桜子の席は、この私・速達届そくたつ とどくの隣で!」


 こんな虫けらにも劣る何かの事など、1涅槃寂静ねはんじゃくじょう(10の-24乗のこと)ほども興味はないのだが、コイツも腐っても名家の息子であるため、いちおう頭の中に最低限のプロフィールは叩きこまれている。


 鎌倉時代、飛脚であった先祖の速達丸(本名不明)が、全国の飛脚と連携を取り合うシステムとして始めた『速達組』が速達グループの始まりだと言われている。江戸時代、幕府は速達組らの協力を得て、飛脚屋・飛脚問屋など、町人らも利用できる飛脚の新たな形を整備。

 明治、速達走ノ助そくたつ そうのすけは外務省からイギリスへの渡航免状を発行してもらうと、英国にて進んだ郵便制度を学び、日本に持ち帰った。

 その後も裏で日本の郵便事業を支え続け、現在では『速達グループ』として、郵政事業民営化による混乱を最小限に抑えるなど活躍を続けている。


 ……とまぁ、歴史だけで言うなら字幕よりも長い、文句なしの名家である。

 もっとも跡取り息子がコレでは、没落待ったなしだと思うけど。日本の郵便の未来はどこへ行くのだろう。


「いきなりどうした速達」

「うっせーぞ速達」

「死ね速達」


 案の定、クラスでの扱いも残念な感じらしい。いちおうクラスメートたちはまともな感性を持っているようで、ひとまず安堵する。

 私条院では、男子は学ラン2種かブレザー2種、女子はセーラー服3種かブレザー2種と、独自にデザインされた制服をいくつかの種類から選ぶことができるのだが、この速達届という男、学ランの上にブレザーを羽織ったあげくサ〇エさんのカ〇オくんみたいな学帽を被っているセンスの欠片もない変態である。

 いくらまだ4月とはいえ暑くないのだろうか、それとも脳みそが小さすぎて暑い寒いが分からないのだろうか。学帽からはみ出しているクルクルとした天然パーマの金髪も鬱陶しさに拍車をかけている。

 格好だけで暑苦しいのに、さらに演劇じみたステップでこちらににじり寄ってくると、速達は私の前に跪いて見上げてきた。


「さぁ、私の手を取って!」

「ええと……困ります」

「どうして! 幼稚園では結婚の約束まで交わしたのに!」


 幼稚園時代の記憶は全くないけれど、少なくとも私が貴方のような下賤な輩からの求婚を受け入れることは過去現在未来永劫ぜったいにあり得ないから。

 そう吐き捨ててやりたいが、この場には鳩緒さまがいる。感情を露にして印象を悪くしてしまうわけにはいかない。いや、そもそもこんな男と一緒の幼稚園に通っていて顔見知りであるというだけで醜聞なんだけど。


「速達さん、そう顔を合わせるたびに言い寄られては困ります。それに先生も戸惑っておられるようですし……」

「字幕さんの言う通りだ」


 自由な学風ゆえに制服を着崩した学生が散見される中、完璧にきっちりと学ランを着こなした真面目な男子が立ち上がり、速達を制止する。

 切れ長の目に、昔風の丸渕眼鏡。カッチリと七三分けされた黒髪。いかにも日本らしい形式じみた真面目さを全身から放出しているその彼は、少しだけ空岸に雰囲気が似ている。


「席替えについては帰りのホームルームの時間にでも行おう。今はとりあえず、あそこ。最後列の右から3番目に空席が用意されているから、字幕さん、そこを自席としてもらってもよいだろうか」

「ええ、ありがとう。役所やくしょくん」

「委員長として当然だ。よければ荷物を運ぶが」

「大丈夫、軽いから」


 役所博樹やくしょ ひろき

 字幕家や速達家とは違い、代々同じ業界で仕事をしているというわけではないが、一族全員が公務員という驚くべき特徴を持つ。

 家訓は『質素・堅実・勤勉』らしく、富を人にひけらかしたりすることはなく、住まいもごく普通の一軒家で、そこらへんの庶民と変わらない暮らしを送っているらしい。派手でないのは鬱陶しくなくていいが、謙虚もここまでくると息苦しい。


「ふん」


 速達には役所の紳士的な態度が面白くないらしく、しかしここで突っかかるのも私に対して悪印象だと判断したのか、憮然とした表情で自分の席に戻っていく。

 椅子を引いたところで、黙って座ればいいものを、もう一度私の方に向き直ると、キザったらしく手のひらの側を天井に向けて私を指差し、


「後でゆっくり話をしようじゃないか、桜子! 幼き頃から私の目には君以外映っていないのだということを嫌と言うほど思い知らせてやるからな!」

「あはは……」


 猫の舌とかで眼球舐められて失明すればいいのに。


 自分の席に座ってカバンをかけようとしたとき、ぼんやりとした顔で私たちのやり取りを眺めていたらしい鳩緒さまと目が合った。私の席から右に2つ、前に1つの席だ。目が合った瞬間、真っ白な歯をのぞかせた微笑みを返されて、顔が熱くなる。

 咄嗟に微笑みを返すが、いつものように上手く作れている自信がない。


「よし、じゃあうるさい速達くんも黙ったところで、連絡事項が3点。まず、月極さんは先週休んだ体育の授業の件で……」

「あ、さっきもう行ってきました」

「ああ、ならよろしい。じゃあ2点目、今日の世界史の授業についてですが……」


 ホームルームを行う教師の声もほとんど耳に入らず、結局、一時間目の授業が始まるまでの時間は、熱くなってしまった体温を隠すので必死だった。



 ポポポポポ。ズギューン。「激アツ!!」「ボーナス確定!」

 「……と流れ星を見ていない!」パラパラパラ。「まだです!」

 キュインキュインキュインキュインキュイィィィン!!


 いつ来ても耳が壊れるかと思うほど煩い場所ですね、ここは。

 遊技機特有の、本当に人間が作ったのかと疑いたくなるほど狂っている射幸心を煽る高音。それが幾重にも重なり、蔓延る煙草の匂いと相まって、賭博に狂う人々の狂乱を演出しています。

 嗜む程度にしかやったことはありませんが……博打が楽しいとか脳汁が出るとか、そういった価値観は否定し難いものではございますが、それを踏まえても、長時間腰を据えて機械と向き合えるような場所だとは全く思えません。煙草の匂い自体は、私自身も喫煙者ですから問題ないのですが、頭が割れるような音だけは……。

 地下1階、20円スロットのフロアに降り、いつも決まった台に座っている彼の姿を探します。

 ……オレンジ色の箱に、1枚20円のメダルがギッシリと盛られたものが、4箱積まれています。その奥には、普通のサラリーマンのような風格の男性が黄色のスロットマシーンと向き合っている姿が。


後藤ごとうくん」

「………………来ました」


 私の声に気付いて、一旦、ぬるりと、肩越しに後ろを振り返り。しかし、すぐにリールが回転中のスロットマシンの方に向き直ります。

 一番左のボタンを押すと、ドゥン、という音とともに、液晶画面の左側に、虹色のオーラを纏った『7』の図柄が停止します。そのまま、中にも『7』が停止。

 後藤くんは、左手に持っていた煙草を灰皿に押し付けると、両の掌を合わせ、ゆっくりと目を閉じて、


「……神に感謝」


 と、一言呟いてから、右のボタンを押しました。

 『7 7 7』。

 豪華なファンファーレと共に、画面がホワイトアウトし、壮大な背景には、リールに3つ並んで停止しているものと同じ、『神』を意味する3文字のアルファベットが並びます。

 懐から煙草の箱を取り出してメダルの排出スペースに入れ、ようやくスッと立ち上がり、後藤くんはこちらを向いてくれました。


「お待たせしました。ここじゃ話しにくいでしょうし、駐車場に降りましょうか」

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