お嬢様なら首席も夢ではございません

 皆様はご存知でしょうか。


 公立や国立の学校とは違い、学校法人が運営する学校に対して用いられる、『私立しりつ』という言葉。

 そう、『市立』と混同させないために、『わたくしりつ』とも呼ぶことのある、アレでございます。


 皆様はご存知でしょうか。


 あの『私立』の文字が表すのは、実は、「この学校は私立学校法に基づいて学校法人が設立したものである」という意味ではないのだということを。

 あの『私立』の文字が表すのは、実は、「この学校は私条院しじょういん家の協力のもと作られている」という意味なのだということを。


 日本では、江戸時代後期に学校の前身である『藩校』や『寺子屋』、『私塾』が整備されたとされています。

 幕府への反乱を起こしたことで知られる大塩平八郎も、元は洗心洞せんしんどうという私塾で教えていた教師でした。

 また、最新の西洋医学を日本に伝え、日本医学を大幅に前進させたことで名高いシーボルトや、もはや説明不要、幕末の重要人物を多数輩出した松下村塾の吉田松陰。

 そういった日本中の教育機関を巡り、彼らと教育の何たるかを論じ、教え合った……その人物こそ、私条院家の御先祖・私条院教右衛門しじょういん きょうえもん様なのでございます。


 そんな日本の教育に深く関わる長い歴史を持つ私条院家の現当主であり、私立私条院学園高等学校の学園長でもある男性・私条院教慈しじょういん きょうじ様は、今。


「うっ……ううっ……ううううう……」


『…………』


 泣いておられました。


 時刻は午前7時。

 私条院学園の学園長室にて、お嬢様も交えた、最終的な面接を行っております。

 すでに転入は決まっており、面接は形式的なものなのですが、いちおう手続きとして外せないからということで。転入初日の早朝、かなりギリギリのタイミングで行うことになりました。

 机に伏せって泣きじゃくる学園長を、そのご息女でありこの学園の生徒でもある、私条院教香しじょういん きょうか様が、他人の家の玄関で飼われている金魚でも見るかのような目で父親を見下しながら言います。


「……お父さん。みっともないから」

「そうは言ってもだね教香……字幕家の方に我が校に通って頂くというのは、私条院家の長年の悲願なのだよ……うぅ……今となっても信じられない……」


 こんなに喜んで頂けるのは、字幕家の使用人としても嬉しいことなのですが。さすがにそろそろ泣き止んで頂かなければ、話が一向に進みません。

 痺れを切らしたのか、お嬢様はお出かけ用のにっこり笑顔で、可愛らしく口の前で両手の指と指を合わせて、


「そこまで喜んで頂けるなんて。うふふ、なんだかこちらまで嬉しくなってしまいます。ですが、これ以上始業までの貴重なお時間をお取りするのもご迷惑でしょうし、そろそろお話を進めませんか?」


 誰ですかこの人。

 私利私欲のために自分の叔父を殺す提案をしたり、食事の時に暴れてナイフを投げたりしなさそうです。とてもお淑やかですし、きっと彼女のようなご令嬢に仕えている執事はとても幸せ者なのでしょうね。

 お嬢様のやんわりとした窘めを受けて、学園長は「あぁ、これは失礼を」と姿勢を正すと、自分の手元に置いてあったいくつかの書類とペンを机の上でくるりと滑らせて、お嬢様の手前に置かれました。


「この書類に必要事項を書いて頂いて、簡単にお話をさせて頂ければ手続きは完了です」

「承知致しました」


 お嬢様はペンを手に取ると、さらさらと迷いなく、まるで芸能人が描き慣れたサインを描き上げるかのような手早さで書類に必要事項を書かれます。字もパソコンで入力したものと見紛うような達筆でして、さすが硬筆書写検定1級を3歳でお取りになっただけのことはあると感服致しました。

 氏名・住所・連絡先など、実に一般的な必要事項を全て埋め、お嬢様はまた書類をくるりと回して向きを戻し、学園長の方に差し出します。


「たしかに頂きました。それでは面接の方を始めさせて頂きます」


 学園長は受け取った書類を分厚いアルバム型ファイルの一番後ろに挟み、それをテーブル脇に移すと、姿勢を正されました。お隣の教香様も、それに倣うように座り直されました。


「ではまず。おいえの事情に無遠慮に踏み込むようで申し訳ございませんが、今回このように、急な転校に至った経緯などをお聞かせ願います」

「半分は個人的な希望です」


 いや、9億%がお嬢様のワガママですよね?


「貴校のような特別な学校に通うよりも、一般的な方々の通われる学校に通いたいと思い、実際に小中高と一般校に通っていたわけなのですが。お恥ずかしながら、家の都合で、そういった場所ではお友達を作れなくて……」

「ほう、ほう……お辛かったでしょうね」

「お父様たちに相談しましたら、もう十分に庶民感覚を身に着けただろう、と、転校を認めてくださいましたので。それで、高校生活の最後の1年間を貴校にて謳歌したいと思い、今回の転校に至りました」

「いやはや、実に! そう言って頂けると実に教育者冥利に尽きます! うぅ」


 お嬢様の本当の志望動機は『鳩緒さまLOVE』のみなのですが。よくもまぁこんな立て板に水といった感じでスラスラと虚言を並べられるものですね。この面接が終わりましたら、ディベート部に入ることを進言して差し上げましょう。

 待望の字幕家からの入学者であるお嬢様に自分の学校をベタ褒めされている学園長は、先ほどからまた感涙しむせび泣いておられます。

 ですが、隣の教香様はそれが面白くないご様子で。


「うぅ、本校にはですね、たくさん部活やサークルもありますし、名家のお坊ちゃまお嬢様も在学しておられますから、桜子様もきっといいお友達を……」

「贔屓はいい加減にして、お父さん」


 ぴしゃり、と父親の言葉を遮って、教香様はお嬢様の方へその鋭い目を向けられます。対するお嬢様は、人畜無害なにこにこ顔のまま。


「桜子先輩。ただ今のお父さんの質問は、『急な転校に至った経緯』です。志望動機を聞いているのではありません。ただ高校生活最後の1年を謳歌したいだけならば、このような急な転校でなくてもよかったはずでは?」

「こ、こら教香。失礼じゃないか」

「相手が字幕家の方だからと、面接を適当に済ませる方が失礼でしょう」


 さすが教育の名家に生まれただけあって、教香様はまっすぐ育ったようですね。


「うふふ」


 まっすぐ育たなかった名家の令嬢が笑います。


「これは失礼しました。急な転校に至った経緯は、『それができたから』です」

「お嬢様」

「ごめんね。続けさせてもらえるかしら、空岸」

「は。失礼しました」


 この面接の中で、初めて口出しをした私を、お嬢様がにこにこ顔で睨みます。

 他のどの人間にもその顔が睨んでいるようには見えないでしょうが、私の目にはハッキリと、お嬢様の背中からスタンドのように浮き出てこちらをめつける大蛇の姿が見えているのです。


「高校に、ましてや名門私条院学園にたった1日で転校するなんて、普通の人にはできないことでしょう。ですが、字幕家にはそれができるのです。ならば、それを使わない手はない。違いますか?」

「……通常の倍以上の費用がかかりますし、手続きをさせる使用人の負担も大きいでしょう」

「時間はお金で買えませんが、特別手続きも使用人も全てお金で買えます。総合的に考えて、転入を3日以上遅らせることは、そういった支出を増やすことよりも損失であると判断したまでです。私の回答は、以上です」

「分かりました」


 もっと食い下がるかと思いきや、教香様は説明を聞き終わると同時に深く頷き、口を閉ざされました。

 にこにこ顔のお嬢様。無表情の私。困惑顔の学園長。凛とした真顔の教香様は、学園長の方へ向き直ると、少しだけ表情を和らげて座ったまま頭を下げられます。


「勝手な真似をしてごめんなさい、お父さん。お父さんがあまりにも桜子先輩を特別扱いするものだから」

「う……す、済まない。感動にかまけて、自分のやるべき仕事を見失っていたようだ」

「桜子様、先ほどの発言、大変失礼致しました。面接の流れを戻すためとはいえ、著しく礼を欠いた物言いでした」

「いえ、こちらこそ。そちらの歓迎ムードに甘えてしまい、気が緩んでいたようです」


 …………。

 なんでしょう、この……この空気。

 お嬢様も教香様も本心で話されていないというか、あまりの仮面の厚みに恐怖すら感じます。いったいこの微笑みの仮面の裏にどれほどの感情を隠し持っているのか……。


 その後、気を取り直して10分間ほど面接を行い、全ての手続きは終了という運びになりました。

 始業まであと1時間半。いよいよやっと学園長室を辞するという時にも、学園長はまた咽び泣いておられます。


「うぅ……こうして手続きを終えても実感が湧かない……本当にありがとうございます……」

「お父さん……本当にやめて」


 ここまでくると、お嬢様の完璧な作り笑いにも少し苦笑の色が見え始めます。

 教香様は嗚咽する学園長の背中をさすりながら、お嬢様の方へ凛とした眼差しを向けられました。


「それでは……学年こそ違いますが、何かの機会にてまたお話出来る機会を楽しみにしております、桜子先輩」

「ええ、こちらこそ。教香さんのような後輩がいたら、きっとどんな部活動や委員会でも充実した時間を過ごせるでしょうね」

「…………ありがとうございます」


 ……? 何か、言葉に詰まった感じがしましたが……。



 学園長親子と別れ、お嬢様と二人、廊下をコツコツと歩きます。

 さすが私条院学園、ただの廊下もF1サーキットか何かかと思うくらい長く、大きな窓から差し込む朝陽がくたびれたように、高級床材が惜しみなく使われた廊下を、のっぺりと照らします。

 お嬢様は、以前の学校のセーラー服姿。いつものコルセットドレス姿とは違い、私のような厳つい執事を連れているとかなり違和感のある組み合わせでございます。

 しばらく歩いて、周囲に私以外誰もいないことを確認すると、お嬢様は小さく溜め息を吐かれました。屋敷に帰ったらこの数十倍大きい溜め息を吐かれることでしょう。


「……庶民相手ほどではないにせよ、やはり、名家の人間相手も疲れるわね。いや、庶民にあんな変人いないし、やっぱりこっちの方が酷いかも」

「今のうちから何を仰っているのですか。名家の人間など変人しかおりません。この学園の全校生徒は変人だとご認識下さい」

「その全校生徒って私も含まれてる?」

「学業もスポーツも、精一杯頑張ってくださいねお嬢様。お嬢様なら首席も夢ではございません」

「何の首席かしら? 次調子に乗ったこと言ったら本家の動画広告部に回すわよ」

「……それだけはご勘弁を」


 字幕家でここ8年ほどかなり力を入れて研究・運営されている動画広告事業ですが、最近は外部企業の協力を受け付けたせいか、少し迷走気味というか。

 アニメ風の微妙な3Dキャラクターに、「毛深すぎて彼女にフラれた俺が2ヶ月で完全脱毛!?」みたいなことを言わせる広告を量産しているのですが、不快だというクレームが相次いでいるそうで。そのような事業に関わるくらいならこの空岸、舌を噛んで死ぬ所存でございます。


「……あの子は、かなりマトモだったわね」

「私条院教香様、ですか?」

「当たり障りのない友達付き合いをするなら、ああいう人間がいいわ。毒にも薬にもならない、まっすぐで真面目な人間。大体思い通りに動いてくれそう」


 思い通りに動いてくれるとか考えている時点でお嬢様に『当たり障りのない友達』なんてものは一生できないと思うのですが、たぶんそんなことは全くお気になさらないのでしょうね。


「私は始業まで、適当に学校を見て回ったりしておくから。あなたは先に屋敷に帰って、引き続き鳩緒さまの調査を行いなさい」

「かしこまりました」


 恭しく頭を下げながらも、私は胸の奥で、お嬢様の小さく危ういその身を案じておりました。

 ……どうか、教香様のようなお方が、お嬢様のお友達になって頂けたなら……。

 孤独を孤独と感じず、鳩緒さまを除く他人に全く興味を示さないお嬢様を見ていると、そう願わずにはいられないのでした。

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