帰ったら『ダー〇ィンが来た!』でも見ましょうか
私、字幕桜子は、字幕家の方針及び自分の意志で、『普通の県立高校』に通っていた。
字幕家の方針曰く、庶民の言うところの『お嬢様学校』に入って学ぶようなことは、字幕家の人間ならば全て小学校に入る前に使用人たちに教わることだからと。また、若いうちに顧客の大部分である庶民の一般的な感覚を掴むことは極めて重要であるからと。
私としても、他の名家の令嬢や御曹司が集まるような学校には行きたくない。たかだか資本金10億程度の企業の子供が、字幕家の人間である私と同類、同レベルのような
それならば、庶民のフリをして、普通の高校で庶民感覚の把握に努める方がよほど有意義だ。
そう信じて疑っていなかったが……。
「えー……というわけで。急なことだが、字幕さんの転校が決まった。みんな、寂しいとは思うが、暖かく見送ってあげてほしい」
教師のくせに何を見ていたの?
寂しいわけないでしょう。上辺の付き合いしかしていないのに。
「皆さん、2年間と少しの間、仲良くしてくれてありがとうございました」
私は笑った。自分に吐いた嘘が、無理やり口角を釣り上げる。
「えー、もっと遊びたかったー!」
「字幕さん、俺らのこと忘れないでくれよ」
もっと遊びたかった? 私と貴女の接点って、2回3回お弁当を一緒に食べたことくらいじゃない。
忘れないで? これ以上忘れるほどの思い出が私と貴方たちの間にあった?
「うん、またきっと会おうね」
私は笑った。自分に吐いた嘘が、無理やり口角を釣り上げる。
「一緒に卒業したかったよぉ」
「もっとBCSの話したかったぁ」
一緒に卒業することに何の意味があるの? 卒業したらすぐに全員バラバラの進路なのに。くだらない過去の関係は、卒業後自分で将来の道を切り開いていくときの足かせになるに決まってる。
私が貴女とアイドルグループの話をしたのは、自分を一般的女子高生に見せかけるためよ。字幕財閥は向こうの芸能事務所とも繋がっているのだ。私のきまぐれひとつで潰せるアイドルグループをどう好きになれと?
「寂しくなるね。またラインするね!」
私は笑った。自分に吐いた嘘が、無理やり口角を釣り上げる。
口角を釣り上げたまま下校し、少し歩き、国道に出る。周りに同じ高校の生徒がいなくなったタイミングで、停めてあったセンチュリーに乗り込む。
空調が心地いい。運転席のブルック爺がいつも通りニヤニヤしていて不快だ。隣に座る空岸は、いつも通り、可もなく不可もない何の面白みもない無表情だ。
私はようやく、口角を下げた。
#
お嬢様の愛想笑いが消え去り、いつもの冷淡な表情が帰ってきます。
「出して」「はいよ」という運転手のブルックシュタインくんとの短いやり取りを終え、車がゆったりと発進すると、ふう、と雀の羽ばたきの如き溜め息をひとつ零されて、お嬢様は力なく肩を落としました。
「字幕家の方針とはいえ、やはり庶民と同じ教室で過ごすのは、ストレスが溜まりますね。庶民というのは、みんなああいう風に、中身のない上辺だけ取り繕った関係しか築かないものなのかしら?」
「さぁ、どうでございましょう。少なくとも、お嬢様とクラスメートの方々とでは、波長が合わなかったようですね」
「当たり前でしょう。人間と虫けらの間に友情が芽生える?」
「犬や猫を家族同然に扱う方もおりますし、無い話ではないと思いますが」
私の言葉に被せるようにお嬢様が溜め息を吐きます。
あぁ、「お前の意見などどうでもいい」ということですね。これは大変失礼致しました。えぇ、いつものように大人しく頷きと沈黙だけを返す木偶人形になって差し上げますとも。
「『友情に厚い自分』に擬態するためだけに、大して仲良くもない人間をあたかも幼いころからの親友であるかのように扱う寄生虫じみた虫けら。
ドラマや映画の見すぎで、転校というだけで感動スイッチが入ってしまう、自分を主人公とした劇場に他人を勝手に巻き込むはた迷惑な虫けら。
相手が適当に話に合わせているだけだということにも気付かないで、延々と自分の好きなことを押し付ける勘違いの甚だしい虫けら。
虫けらの見本市ね。全員殺して標本にしてあげたいわ」
「お嬢様は本当に虫がお好きですね。帰ったら『ダー〇ィンが来た!』でも見ましょうか」
「空岸も標本にしましょうか。ポケットの中で握りつぶしてあげるわ」
そうか、そうか、つまりお嬢様はそんなやつなのですね。
私の中のエーミールがそんなことを言いますが、どうやらお嬢様は今かなりストレスフルなご様子。下手な冗談を言えばその時点で本当に標本にされかねないので、黙っていることに致します。
「どうして人間は、こうも
「あっはっは。お嬢様、仮面があるから人生は楽しいんだぜ。役者が全員演技を放棄してる舞台なんざ、面白くもなんともねぇだろ?」
怖いもの知らずのブルックシュタインくんが、ご機嫌にハンドルを回しながら話に入ってきます。
「幸せそうね、老人は。ひょっとこのお面と鏡に映った自分の見分けも付かなそうで」
「そういえば、こないだ鏡に映った自分とジャンケンして5連敗しちまったんだよな。ツイてねぇ日だったよ」
「憑いてるんじゃないですか?」
「いやそもそも鏡とジャンケンしてんじゃないわよ。ウチの洗面所で気持ち悪い儀式しないでくれる」
……中世の没落貴族の古城で使われていた大鏡を仕入れたのがよくなかったのでしょうか。今度IK〇Aに売ってるものと買い替えましょう。
車は坂を下り、市道を外れ、住宅街を回ります。ブルックシュタインくんの
「でもこれで、ようやく掌さまと同じ学校に通えるわ」
一転、お嬢様はうっとりした声色で仰います。お嬢様の転校のために、私が一夜中東奔西走して無理やり手続きを済ませたことに関しては、全く労う気がないようですが。
「1週間後に出来上がる制服以外は、全て用意が整っております。明日から、
「……私条院かぁ」
鳩緒様と同じ高校に通えるとはいえ、お嬢様はやはり、その名を聞いて渋い顔をなされます。
私条院は、日本でも有数の『隠れた名門校』。一般向けに戸口が開かれることはなく、限られた名家の令嬢や、中学校で様々な分野で優れた成績を収めた者だけにスカウトがかかる、漫画のような学園でございます。
当然、字幕家の令嬢である桜子お嬢様にも幾度となく熱烈なスカウトがあったのですが……幾度となく、お嬢様はそれを蹴っているわけで。そのような背景があったからこそ、私条院の方も、今回のような無理な転入にも快く応じてくださったのですが。
今更そういった高校に行くということに対して、さすがのお嬢様といえども、複雑な気持ちがあるのでしょう。
「まぁ、高校がどんな所だろうが関係ないわ。掌さまと同じ高校なのかどうか。それだけが1と0を分つ要因なのですから」
それっきり、お嬢様は黙ってしまい、私も何も話さず。ただ、車の走る静かな音だけが車内の静謐と調和していきます。
屋敷に帰ったら、もう一度私条院の方と打ち合わせをしなくては。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか日は暮れかけ、閑静な住宅街に、うすい橙色の影を落としているのでした。
#
「坊っちゃま。字幕家の桜子様が……」
「分かっているさ。ウチに転校してくるのだろう?」
「お、お早いですね……」
「当然だ。僕が部活もせずに毎日まっすぐ帰っているのは、桜子をストーキングするためなのだからな」
「き、キモい……」
「フフフフフ……高校3年の春になってようやく転校してくるとは、やはり素直じゃない女だよ。字幕桜子……」
「吐きそうなので帰ってもいいですか」
「この私、
「おえ……。この仕事辞めてぇ〜……」
#
「……な、何か、悪寒がするわ……」
「ん? 悪ぃ、クーラー効きすぎだったか」
「具合が悪いのでしょうか? 必要ならば、屋敷の者に連絡して看病の用意をさせますが……」
「いい……多分、そういうのじゃない」
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