再放送① 「誰が言うか」

「仕事は早いし、腕っぷしもある」


「…………」


「顔立ちもいい、ここぞの度胸も目を見張る」


「…………」


「けれど口を開けば生意気、文句、屁理屈、デリカシーゼロ」


「…………」


 物憂げで力ない、儚い溜め息。だけどそれには、どんな熱源も、どんな炎も、たちまちにして凍らせてしまう力が宿っているような、そんなオーラとでも呼ぶべき何かがあった。

 雪を思わせる白い肌、果実を思わせる潤んだ唇、オーロラを思わせる長い睫毛まつげ。そんな、いくつもの小説で飽き飽きするほど使い古されてきた『美人』を描写するための言葉の数々が、俺の脳ミソから湧き出て、彼女の影へと解けゆく。

 長い長い艶やかな黒髪は、いま、彼女の影と全く同化してしまっている。

 絵を描きたい。絵心のない俺でも、彼女を見て、そう思った。

 花園の見えるテラスで、ロッキングチェアにだらりと座り、身体の起伏を綺麗に描く真っ白なワンピースの少女。その意思の強さが現れ出でたかのような大きく紅い瞳が、体勢的には下から、しかし、精神的にはこれ以上なく上から、自分を見下している。

 モデルとしても構図としても完璧な美がそこにあった。


 俺はこの時初めて、『見惚れる』を経験したと思う。


「空岸、あなた、死んでミイラになったらきっとモテるわよ」

「普通に『黙ってればカッコイイ』って言えねぇのか」


 だからこそ、彼女にそう言われて、普通にちょっと凹んだ。

 字幕桜里奈じまく さりなは、笑わない。

 くだらないテレビ番組をなんとなく見ている時も笑わないし、大好きなスプラッタ映画を見て気分が高揚している時もそれを表に出さない。妹が産まれてみんなが幸せそうに笑っていた時だって。そしてもちろん、自分が冗談を言うときも。

 俺には、彼女が今言ったことが冗談なのか本気なのか、図りかねた。


「別に黙っていればカッコイイというわけでもないもの。生意気さやデリカシーのなさは態度にも表れるし。だから、死ねばそういうマイナス面が消えてモテるわよ」

「死体に欲情するような女がお前以外に沢山いてたまるか」

「あら、失礼ね。私は死体に欲情するわけではないわ、ただ美しいものが好きなだけ。そしてあなたの場合は死んでいれば美しいのになぁ、と思うだけよ」

「生きとし生ける生命はみんな美しいだろ」

「そんなわけないでしょう。脳に大麻でも咲いているの?」

「普通に『頭の中がお花畑なの?』って言えねぇのか」


 彼女の言語センスは基本的に遠回しで、物騒で、毒があり、捻くれている。

 彼女は常に厭世的で、父親に似て人嫌いだ。

 会話していても、レスポンスは速いしテンポはいいのだが、いまいち楽しいのかどうか分からないし、頭に浮かんできた言葉をそのまま咀嚼もせずに吐き出しているような感じだ。

 だから、そんな捻くれていて人嫌いで感情の読めない彼女と会話するのは、どことなく1人で壁打ちでもしているかのような虚しさがあるのだが、それでも俺は彼女と2人で話せるこの時間を愛しいと感じている。


「嫉妬、強欲、怠惰、傲慢、憤怒、色欲、暴食……人間の7つの大罪それ自体は、私は、人間なら持っていて当たり前の健全な感情だと思っています。本来は透き通っていて、ピュアで、どこまでも純情。

 それを、せっかくそのままで美しいそれに、他人からの視線とか社会的常識とか、汚らわしい不純物を混ぜてしまうから、人間は美しくなくなってしまう。

 妬ましいなら妬めばいい。欲しいなら勝ち取ればいい。面倒なら怠ければいい。プライドが高いなら驕ればいい。いかりたいなら怒ればいい。欲求不満ならセックスすればいい。食べたいなら食べればいい。

 いつかの時代のどこかの阿呆が、こういった当たり前のことに『大罪』なんていうとんでもない濡れ衣を着せてしまったせいで、それ以降の人間はみんな、生きたいように生きれなくなってしまった。自分で自分に枷をつける、滑稽な機械人形です」


「理性を捨てて欲望に忠実に生きることが美しいとは思わない。そんなものは獣と同じだ」


「それは当然です。だけど、本当に人間の欲望を阻害しているのは、理性だけなのかしら。

 子供が年老いた親の面倒を見なければいけないなんて誰が決めたの? 同性同士で愛し合うことが罪? 自分よりも早く生まれただけの低能をどうして敬うことができるのでしょう?

 人間を縛り付けているものって、本当に、必要最低限の理性だけ?」


 俺は黙ってしまった。


 彼女は……何かやりたいことがある時とか、手に入れたいものがある時、手段を択ばない。


 幼い頃、屋敷の廊下でボール遊びをしていた時に、展示台にぶつけてしまい、祖父・蓮願様の気に入っていた骨董品の壺を割ってしまったことがあるそうだ。

 その時桜里奈は、地面に散らばった壺の欠片のうち、比較的大きいものに目を付け、あろうことか……自分の頭を、思い切り、その壺の欠片に打ち付けた。

 そして、血まみれのまま蓮願様のもとへ行き、自分が展示台にぶつかって壺を落として割ってしまった、その時に頭に当たった、ごめんなさい、と、泣きながら謝ったのだという。

 彼女は、自分が怪我をすれば、自分の過失がうやむやになることを分かっていたのだ。怒られたくないからという理由で頭を自傷したのだ。

 蓮願様は大層慌てて、自分で桜里奈を屋敷の医務室に運び、住み込みの医師に手当をするよう言った。のちに屋敷の監視カメラで一部始終を知ると、戦慄し、当時桜里奈の教育係として雇っていた使用人全員にいとまを出した。


 ブルックシュタインさんから聞いた話だし、細部に些末な違いはあるのだろうが。この他にも俺は自分で彼女のエピソードに触れてきた。

 彼女は、世にいうサイコパスだ。

 目的のためなら手段を択ばず、良心が欠如しており、罪悪感が希薄である。

 そういった生き方を彼女自身がどう思っているのか、俺には図りかねたが、少なくとも全く悩んでいないわけではないことは、さすがに分かる。


 彼女は、なおも表情を変えずに、溜め息を吐いた。

 今度は、少し温い雰囲気を纏った吐息だった。


「……まぁ、算数すら怪しいレベルの貴方の頭で考えるには、少々難しすぎる話だったわね。いいのよ、忘れなさい」


「お前がどんなことしでかそうが、俺はずっとお前の執事だ」


「は?」


 何か言わなければ。

 彼女のいつもの無表情が、少しだけ陰っているような気がして、焦って、心が口を追い越して、咄嗟に吐き出した言葉だった。

 文脈や会話の流れをまるで無視した言葉に、彼女は、少しだけ瞳を小さくする。


「お前は俺の恩人で、俺はお前の執事だ。他のヤツらが否定しても、俺はお前の生き方にケチつけたりしねぇ」

「何、それ。口説いてるつもり?」

「……お前が俺の事デリカシーないって言うから。お前がちょっと元気無さそうだったから、気遣ってやったんじゃねーか」


 あぁ、格好悪い。

 目がきょろきょろ泳いで、後ろで組んだ手に汗をかく。口はモゴモゴ、ゴニョゴニョして、ウジウジと、言葉を重ねるほどに声が小さくなっていく。

 桜里奈は、俺の言葉にきょとんと目を丸くして、しばらく間を置いてから。


「ふふふ、あははははは!」


 笑い出した。

 初めて、彼女が爆笑するとことを見てしまった。少しのけぞり、大きく口を開けて、息や鼻だけじゃなく、声をあげて笑っている。

 そのことを、とても嬉しいと思っている自分がいた。

 彼女が、俺の目の前で感情を露にしてくれた。なんでもできる彼女のことだから、もしかしたらこれも演技なのかもしれないけれど、それでも、他の人には見せない表情を俺にだけ見せてくれた。

 そのことがたまらなく嬉しかったけれど、それを表に出すのは恥ずかしくて、俺はわざとムッとした顔を作った。


「何がおかしいんだよ」

「あなたが柄にもなく可愛い事言うからじゃない。あーヤバい、これしばらく笑い収まらないわね」

「一生笑ってろ、性悪サイコパス女」

「誰が性悪ですって? 訂正しなさい」

「サイコパスの部分はいいのかよ」

「事実だもの。私は普通だと思ってるけど、世間的にはそういう呼称なのですから」


 彼女に、「君はサイコパスなんかじゃないよ」と声をかけることは無意味だ。

 「サイコパスなお前のままでいてくれ」と言ってあげることこそが、彼女に寄り添える手段なのではないだろうか。

 この時ようやく、俺の中で、彼女に対する接し方、彼女の支え方が確立した。


「主人に向かって性悪はいただけないわね。桜里奈お嬢様は優しくて、賢くて、気立てが良くて、可憐で美しいお人です。はい、復唱」

「誰が言うか」

「うふふ」


 風に、花が揺れる。

 この時の桜里奈の微笑みは、言葉にも絵にもできない……いや、したくない。俺にだけ向けてくれているこの屈託のない笑顔を、言葉とか絵とかにして他の人間に伝えるなんてまっぴらごめんだ。



 窓の外、風が運んできたあの花の香りを、今でも思い出せます。

 強く胸に染みついて離れない、嗅覚と連動した記憶。今でもあの花の匂いを嗅ぐと、あの笑顔を思い出すのです。


 6月、梅雨時には珍しく、晴れた日の、昼下がりの記憶。

 紫陽花アジサイの花の香りを、いつまでも忘れられないのです。

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