転入生・字幕桜子
良く映る鏡を発注させて頂きますね
字幕家・新館。
普段お嬢様と我々使用人どもが暮らしている本館から、車で30分弱。防犯上、もとい家主の都合上どのような立地かは明かせませんが、とにかく、絶対に人目につかない場所に、その豪邸は建っています。
車で乗り入れ、新館の使用人の方々に挨拶をし、屋敷の奥へ奥へ、下へ下へと進んで参ります。
夜でも明るく、鮮やかな色のカーペットや調度品で彩られている本館とは違い、この新館はいつも仄暗く、あえて言い方を選ばず申し上げるのであれば、吸血鬼の棲み処、中世ヨーロッパの没落貴族の古城のようでございます。
字幕財閥の現当主が住まう屋敷でありながら、本館のようにそこかしこにモニターが設置されているというようなこともなく。今にもコウモリが襲い掛かって来そうな廊下を、新館の案内役、メイドの
「いかがですか、桜子お嬢様のご様子は」
「それはもう、元気にすくすくと育っておりますよ。怖いぐらいに」
「ふふふ。怖いぐらいに、ね」
雛橋くんは私の笑えない冗談も朗らかに笑ってくれます。まだ大学生とは思えないその包容力、私も未成年のお嬢様を見守る立場として見習いたいものでございます。
もっとも、この包容力が、あの困ったご主人様のお世話をしていく中で自然に身に着いたものだと思うと、かなり悲しい気持ちになってしまうのですが……。
「空岸さん、今年で何歳になるんでしたっけ?」
「31ですね。いつまでアラサーを名乗っていいのか分かりません」
「34まではアラサーですよ。それに空岸さんは見た目的に20代前半でも通用します、自信もってください」
……何か、久々に人の優しさに触れた気がします。目頭が熱くなって参りました。
地下3階からは螺旋エレベータを使って地下6階に降ります。
人払いの仕掛けが多数設置されているので、雛橋くんに全て解除してもらいながら先へ進みます。
目的地は最下層の最奥の一個手前。正式な部屋の名前を、『裏応接室』。
「では、私は外でお待ちしておりますので」
「ありがとうございます」
裏応接室には、私一人で入室します。
中には、銀行の巨大金庫のような、分厚く頑丈な機械仕掛けの扉が1枚。それと、バニティフェアと呼ばれるイタリア製の真っ赤な高級椅子、その前に置かれた、金色の公衆電話。
たったそれだけでございます。四畳半ほどの部屋に、それだけ。
それ以外は、調度品もカーペットもなく、ただ大理石の壁と黒いリノリウムの床が広がるのみ。
椅子の前に立ち、立ったまま公衆電話から受話器を取り、『023456789』をプッシュ。
4コール目で繋がりました。
「もしもしぃぃ」
「お久しぶりです活人様。臨時報告に参りました、空岸でございます」
「ご苦労ぅぅ。電話越しではあるが楽にしてくれ給えぇぇ」
桜子お嬢様の御父上にあたる活人様は、人間アレルギー。
よほど重要なビジネスの場面以外では、絶対に人前にお姿をお見せになりません。
そのため、我々使用人などが活人様にお会いする時は、活人様の私室である最奥の間より扉一枚を隔てたこの裏応接室から、内線の電話を用いてお話させていただくことになるのです。
活人様のお言葉に甘え、高級な椅子の質感に身を落ち着かせます。
しゃがれた声を震わせて、活人様は小さく笑うと、珍しく私が要件を言う前に自分から話し始めて下さいました。
「何だねぇぇ、臨時報告ということは、また桜子が無茶を言い出したのかねぇぇ」
「いえ、無茶ということは。ただ少しばかり、明日中に市外の私立高校へ転入するよう手続きしろと命じられただけにございます」
「感覚が麻痺してるねぇぇ」
麻痺させなければやっていられないのですよ。と言いたい気持ちをぐっと堪えます。
電話口なので見えるわけはありませんがそれはそこ、私は「いえいえ」と大きくかぶりを振り、できるだけ微笑みを形作るよう努力します。
電話対応の極意は、本当に顔を合わせた時以上に表情や仕草に気を配るところにあるのでございます。
「実際のところ、それほど無理のある指示ではございません。財閥の運営上、想定外の事態が起こる危険は常にあるため、桜子お嬢様の学業にだけは絶対に支障をきたさないよう動く。……これは、蓮願様が生前私に常々仰っていたことですから」
「……親父がねぇぇ。とはいっても君、そこまで無理はしなくていいんだよぉぉ。全く想定しえないことだからこそ『想定外』なのだからねぇぇ。君はそこんとこ、頑張りすぎだよぉぉ。頑張るに越したこたないけどねぇぇ」
「は。勿体ないお言葉です」
「ウチも旧時代の帝国主義的企業じゃないんだ、何かミスしたって死ぬわけじゃあないぃぃ。肩肘張らずに頑張るんだぁよぉぉ」
活人様のお言葉はいつも心に沁みます。楽天的なようでいて、その実、常に真を突いている。
受話器を耳に当てたまま、私は深深と尊敬の念を込めた一礼を致します。
「ま、あの子も字幕の人間だしねぇぇ。自分で転校するって言い出した以上、自分で行動の責任は取るだろうよぉぉ」
「そうですね。我々使用人は、その行動を全力でサポート致します」
話がひと段落したところで、電話口の向こうから、ススッ、と何か熱い飲み物を注意深く啜るような音が致しました。
活人様は紅茶がお好きです。本日も手土産として海外ブランドの茶葉を持って参ったのですが……おや、私とした事がそれを伝え忘れるところでした。
「あぁ活人様、申し遅れました。本日ここに臨時報告に上がるに当たって、お紅茶の茶葉を持って参りました。活人様が普段ご自分で選ばれているものと比べると遜色のあるものやもしれませんが、お納め頂ければ幸いでございます」
「それは受け取れない」
それを境に、へろへろと間延びしていた活人様の語尾が、キッと締まります。
「……前回のものが、お口に合いませんでしたでしょうか」
「そういう訳では無い。ただ……今は、外部からの贈り物や食料は受け取らないようにしているのだよ」
そういえば……本日はいつもに比べて、この部屋に至るまでの警備が厳重だったような気も致します。
単に、引きこもりの活人様が暇にかまけて増築を重ねた結果だと思っておりましたが。この緊迫した空気からして、どうやらその理由は深刻そうですね。
「何かあったのでしょうか?」
少し間を空けて尋ねると、活人様は木の枝がかさりと揺れたかのような、か弱い咳払いをひとつされて、
「近頃、何やら我々を探っている者の気配がするのだよ」
「探る、と申しますと。普段頻発しているような、賊やスパイの類いではなく?」
活人様は一瞬思考を巡らせるように呼吸を置いて、
「……あぁ。賊などにしては、動きが遅すぎる。敷地近くに設置してある監視カメラに幾度となく映り込んでいることから、動きもプロではない」
…………?
私は謎かけを仕掛けられたかのような、面妖な気分に陥りました。活人様の仰っていることが、今ひとつ理解出来ません。
「……私めの理解力が足らず申し訳ございません。何度も監視カメラが姿を捉えているというのに、その実態が掴めないとは、一体どういう……?」
「毎度毎度、違うタイプの人間を送り込んできているのだよ」
ゴホ、ゴホ、と、活人様の咳が強くなって参ります。電話越しに咳の衝撃が伝わってきて、私は思わず少し受話器を遠ざけてしまいました。
人間アレルギーである活人様は、人の悪意に晒されたり、人為的に作られたストレスを溜め込むと、このように酷い喘息のような状態になってしまわれるのです。
「ある時は、女子高生が自撮りの振りをしてこの屋敷の第三地下ゲートの入口を撮影していたし。
またある時は、車椅子のマダムが3時間以上に渡って、ここから南に少し登ったところの丘になっている部分から、辺り一帯を他に何をするでもなく見渡していた。
浮浪者じみた30代の男や、保育士のような服装に身を包んだ女性、バスケットボールを持った運動着姿のカップル、隣町の道路工事の責任者……。全くもって共通点の見当たらない人間たちが、毎日日替わりでこの屋敷の様子を伺いに来ているのだ。離れたところから様子を伺っているだけなので、こちらからは偵察者の身元を割らせる以外に特に何もしていないが、かれこれ1ヶ月はこの状態が続いている」
「……聞いている限り、同一の組織から派遣されているとも考えにくいですね」
何らかの大きい企業や組織から、幾人もの偵察員が派遣されているのやも……と考えましたが、それならば1ヶ月もの間、毎日送り込むという行為のリスクが高すぎます。同一組織から派遣しているのならば、どれだけ隠してもそれぞれの派遣員に何らかの共通点があり、回数を重ねる毎にそれを見破られる可能性が高まってしまうからでございます。
車椅子のマダム、という逃走に不向きな格好の人間を派遣するのにも違和感があります。さすがに字幕家へのスパイとして派遣される以上、足が不自由ということはないので車椅子に乗っているのはカモフラージュなのでしょうが、まさか逃走の際に車椅子に乗ったまま逃げるということはないでしょうし、かといって車椅子を降りて走って逃げた場合は、乗り捨てた車椅子が証拠として残ってしまいますから。
バスケットボールを持ったカップルというのも不可解です。隠密行動を行うのに、二人それぞれ個別行動を行うならまだしも、二人で連れ立って行動することに大きなデメリットはあれどメリットは少ないはず。隣町の道路工事の責任者というすぐに身元が割れてしまいそうな人間にしても……。活人様の挙げた例を見れば、たしかに奇妙でございます。
また、1ヶ月も偵察行為を継続しながら、未だに『屋敷の様子を伺う』ことしかしていないのも不可解です。この屋敷は地下にあり、外からは出入口の僅かな目印や木々で隠された車の進入口しかないというのに。
「そういうわけで、この問題が解決するまでは、食品に限らず雛橋くんに検査してもらったものしかこの部屋には入れないようにしているのだよ。以前は客も多少迎え入れていたが、ここの所は適当な理由をつけて断るようにしている。今回も、訪ねてきたのが君でなければ追い返すつもりだった」
「……大変な時に押しかけ、さらに悩みの種を増やすようなことをしてしまい申し訳ありません」
「悩みの種? ……あぁ、桜子のことか。それに関しちゃあ1ミリも悩んでいないから安心しなさい」
それはそれでどうなのですか。
「だって、心配する要素がないからね。桜子は僕なんかよりも、よっぽど字幕の血を濃く継いでる。全てにおいて人の上に立てる者の血だ」
「お言葉ですが……お嬢様はまだ、17歳です。才能に恵まれすぎているとはいえ、まだ蓮願様や活人様のように熟しきってはいないかと」
「それはそうだ。だが、桜子には君も、桜里奈もついている」
「…………」
その名前を聞いて、私は少しだけ目を瞑ります。
蘇る記憶、思い出、トラウマ。そういったものを、心臓を支える大きな柱を振り回すことで払いのけ、心に生まれた黒い霧を晴らす。
……私は、アンドロイドでございます。
桜子お嬢様の言う通り。感情のない、アンドロイドでございます。
「すまない。気に障ったかい?」
「いえ。こちらこそ申し訳ございません、未熟なばかりに、会話を途切れさせてしまい」
「……桜子を見ているとね。時々、あの子の顔が頭をよぎるんだ。あの子が桜子に重なって見えるのだよ」
それは……どういうことなのでしょうか。
頭に生じた疑問。しかし、その話を掘り下げるには、彼女の話を続けるのには、私の心の準備と覚悟が足りず。私はまた、押し黙ってしまいます。
「……嫌な話で引き留めて悪かったね。君も多忙だろう。転校手続きで何かあればうちのものにサポートさせるから、遠慮なく言うといい」
「ありがたき進言、心より感謝申し上げます」
「はあ……どこまでも固いなぁ、君はぁぁ。僕の若い頃は、
活人様の声が、再び間延びしたものに戻りました。
……あの蓮願様に、ため口を利くメイド、ですか。
そのメイドは好きでため口を利いているわけではなく、十中八九、『そういうプレイ』だったのでしょうが。まぁ、活人様も本気で言ってらっしゃるわけではないでしょうし、大人しく、声色にだけ愛想笑いを滲ませます。
「やれやれ、これもインターネット急発達の副作用ってとこかねぇぇ。上司と部下の関係に限らず、近頃の若者はコミュニケーション能力に欠けるぅぅ」
「良く映る鏡を発注させて頂きますね」
分厚い金庫扉を隔ててでなければ人と会話したがらない人間アレルギーにコミュニケーション能力を心配されましたが、私は元気でございます。
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