第4話 茶色い天使と悪魔
1
新幹線が新大阪駅に着いた。
長崎から今年、大学進学のために来阪した里佳は、小さい頃、家族旅行で訪れた以来の大阪にいささか緊張していた。
改札を通る、恐らく関西人であろう彼らのスピードの速さに感心しながら目的地を目指す。
新大阪から地下鉄御堂筋線に乗り、梅田で一度降りて、駅員に教えてもらいながら、東梅田から地下鉄谷町線に乗って、都島(みやこじま)駅で降りた。
都島駅の階段を上がって外に出ると、先程チラッと見た大きなビル群の影はなく、里佳が過ごした長崎市内の街並みとさほど変わらない。
路面電車を除けば長崎市ですよ、と言われても信じそうだ。
といっても里佳の住んでいたあたりではなく、だいぶ市街地の方だが。
ファミリーマートの横に、なか卯という聞いたこともないチェーン店が当たり前のように鎮座していて、ここが大阪なんだと実感していた。
不動産屋に連絡を入れるとスーツ姿のおじさんが、寒そうに両手を擦り合わせながら迎えに来てくれた。
そのまま不動産屋まで行き、鍵を受け取った後、おじさんの運転で新居へと案内してくれ、去り際になぜかチーズケーキをひとかけら、くれた。
大学進学祝いに、ということらしい。
里佳は、あの歳になると女子大生くらいがたまらなく魅力的に見えるんだろうな、と思いながら202号室の扉を開ける。
多少、過保護なところがある両親のおかげで、部屋の中には既に家具や電化製品が荷ほどきされ、所定の位置に置かれている。
女一人で重たい冷蔵庫は運べないだろうと、父が引越し業者に家具の配置まで依頼していたのだ。
さまざまな場面で父とは喧嘩をしたけれど、この気配りに、里佳は心の中で拍手を送っていた。
意味もなく風呂場、トイレを確認した後、ブレーカーを上げて、冷蔵庫と洗濯機、電子レンジ、テレビの電源を入れた後、残り二箱となっていた段ボールを開けて衣類を取り出す。
一応明日から生活はできるのだが、まだ姿見なども無いし、ゴミ箱やカーテンも買っていないので、残りはインターネットで注文することにして、里佳はベットに横になった。
自宅から都島のこの部屋まで、長いこと移動続きだったので、眠りにつくのに時間はかからなかった。
2
この部屋に住んで一週間が経った。
殆ど必要な物は買い揃えて、自宅から近いスーパーも見つかったし、飲食店のアルバイトにも応募して、里佳は新生活を謳歌していた。
里佳の中で、大阪に対して元々あった怖いイメージも変わってきていた。
大阪のおばちゃんは全員ヒョウ柄の服を着て図々しい性格だと思っていたが、全くそんな事は無く、寧ろ里佳が言葉を交わしたおばちゃん達は皆親切だったし、ヒョウ柄の服も未だ難波のイケイケなお店でしか見ていない。
治安が悪いという情報もインターネットでいくつか見たが、都島駅前には高校があって、大きな病院もあって、夜一人で歩いていても治安の悪さは感じなかった。
テレビをつけると在阪局のワイドショーがやっていて、これまで一度も、見たことのない月亭八光という男が、さも有名人のような振る舞いをしていて、その文化の独自性すらも、里佳は好意的に感じていた。
ラィン。
同じく長崎から来阪している友達のしおりからLINEが送られてきた。
「今から家出るね〜!」
ラィン。
「3時半くらいにつく〜!」
ラィン。
「ヘップ前しゅーごーで!」
里佳は了解のスタンプだけしおりに返信すると、梅田のHEP5へと向かうため部屋を出た。
しおりとは高校時代、3年間同じクラスだった事もあり比較的仲は良い。
里佳としおりは元々別々のグループだったが、互いの進路が大阪という事もあり、2学期の終わり頃からグループの垣根を超えてマンツーマンで遊ぶようにもなった。
プリクラも5回一緒に撮っている。
高校の修学旅行で東京スカイツリーに登ったときも、グループとはぐれてしまった里佳をしおりが見つけて声をかけ、しおりの属するグループに一時的ではあるが加えてもらった事もある。
里佳はその時のしおりの横顔を忘れていない。
プリクラも5回一緒に撮っているので、「親友とまではいかないが仲のいい友達」エリアにお互いが存在している事を確認済みだ。
女同士ではこの「なかよし所在地の究明」に時間をかけないと痛い目を見ることになる。
またマンツーマンで対峙する場合、同じ立場にお互いが存在していると見せかけて、お互いが水面下で相手より強い立場にあろうとする。
彼氏の有無、いる場合は彼氏のレベル、周りの女たちからの評価(里佳はこれを勝手に審査員票と呼んでいる)、男の前だと態度が変わるかどうか、生活レベル、顔、体型、服のセンスなど判断基準は多岐にわたる。
里佳はこの水面下のマウント取りを「暗黙のレスリング」と名付けている。
階級が違えば争う必要はないのだが、同じ階級同士だと妙に血がたぎってしまう。
里佳はそんな好戦的な自分を、めっちゃ女だな、と思っている。
物凄く仲良くなってしまえば、こんなチェック項目は関係なくなるのだが、里佳としおりの間にはまだ微かにこれが存在する。
今日、お互いの立場をハッキリさせないといけない。
そんな思いを抱きながら都島の駅を目指して歩いていると、電信柱のすぐ近くに、茶色い長財布が落ちているのを見つけた。
里佳のセンスでは絶対選ばないようなウォレットチェーンのついた財布で、皮もボロボロで所々剥げていたので、ダッセェ男の物だろうと推測した。
駅まで持って行って駅員経由で交番に届けてあげようと財布を拾った。
どんな不細工だろうかと免許証を取り出すため中を開くと、150万円が入っていた。
3
財布の中の150万円を見るまでは、小汚いアスファルトの上を歩いていた記憶があるのだが、150万円を見た後だと、アスファルトが一面のお花畑のように見えてしまう。
免許証に映る冴えないメガネも、150万円を見た後に見ると、オーランド・ブルームに見えてしまった。
自分は毒蜘蛛のような女だな、と里佳は思った。
こんなドラマのような展開に一度も出くわした事のない里佳は、その場で財布を両手に持ったまま、たじろぎ尽くしていた。
「財布は交番に届けるのよ」
里佳のすぐ後ろで声がする。
振り返ると、真っ白な羽を生やした、スーツ姿の中年男性がフワフワと宙に浮いていた。
「財布は交番に届けるのよ」
中年男性はなぜか裏声で里佳に語りかけてくる。
「あなた、誰?」
「私はあなたの心の中の天使よ。財布は交番に届けるのよ」
どうやらこの裏声の中年男性が、里佳の心の中の天使らしい。
「どうして天使のくせに中年の、しかも男なの?」
「そこには触れるな」
天使は急に野太い声で里佳を睨みつけた。
天使の心の中の地雷を踏んでしまったようだ。
「財布は交番に届けるのよ」
すぐに裏声に切り替えて天使は言う。
里佳は天使のマニュアル人間的な所に早くも不快感を示していた。
「財布は猫ばばしちまえよ」
また里佳のすぐ後ろで声がした。
振り返ると、真っ黒い羽を生やした、パンツスーツ姿の茶髪のおばさんがフワフワと宙に浮いていた。
「財布は猫ばばしちまえよ」
茶髪のおばさんはなぜか声をできるだけ低くして里佳に語りかけてきた。
声量がない。
「あなた、誰?」
「俺様はおまえの心の中の悪魔さ。財布は猫ばばしちまえよ」
悪魔は少々猫背気味で、頑張って声を出している。
「どうして悪魔なのに、恥ずかしそうにしているの?」
「してないわよ!!」
悪魔は本来のキーだと倍以上の声量を持っていた。
悪魔本来の声は所謂、アニメ声というやつだった。
「財布は猫ばばしちまえよ」
悪魔が頑張って里佳に言う。
里佳は、2人に提案をしてみた。
「天使さん、悪魔さん、あなたたち2人、役変わった方がいいですよ、絶対。」
「どうしてそう言うことを言うの」
「ふざけるな、何を言う」
「ほら、今も声量、全然ないですし。変わりましょうよ、その方が絶対あなた達2人も楽ですから」
「楽だからとかじゃないのよ」
「そうだ、なぜ俺様が天使なんか」
「いやーもうちょっと見てらんない。なんか、見ててキツイんですよ、無理してる感じが出てるというか。」
そう里佳が言うと、図星を突かれたのか、天使も悪魔も黙ってしまった。
「そういうの隠してやるならまだ良いですよ、でもあなた達は態度で伝えに来てるじゃないですか、こっちに。天使やりたくないよーって。悪魔やるの嫌だーって。でしょう?」
天使と悪魔は下を向いて、里佳と目を合わせようとしない。
「2人ともやる気がないから決まり文句のその後が出てこないんですよ。財布は交番に届けましょう、その後が全然無いじゃないですか。財布は猫ばばしちまえよ、その後。巧みな誘い文句で私を誘導してこそあなた達天使と悪魔の醍醐味じゃないんですか、一番やりがいを感じる部分じゃないんですか、違いますか。」
「私別にこの際あなた方のルックス、ディティールは気にしませんよ。私の精神面がおじさん、おばさん化しているからあなた方のような天使と悪魔が生まれてきた。そこに関しては何も言いませんよ。全然良いんですよそこは別に。そっから先ですよ。キャスティングと、やる気の問題なんですよ!」
里佳が語気を荒げると天使と悪魔は明らかに怖がって、目を瞑った。
「最初の段階であらかじめ当人達で変えておくとか、出来たんじゃないですか。もし変更が出来なかったとしても一生懸命やり切る、そっちの方が格好いいと思いませんか。変にグタグタしたものを見せられて、こっちの気持ちも考えてくださいよ、本当に」
悪魔の目から涙がぽろぽろと落ちていく。
天使が悪魔の肩を支える。
里佳は大きくため息をついてから、財布に目をやった。
この財布をどうするかということを今まで忘れていた。
彼らも元々はこの財布を交番に届けさせるか、猫ばばさせるかで里佳の前に現れたはずだった。
今では2人とも羽をたたんで、ぎゅっと口を真一文字に結び、涙をこらえている。
こんな無能な天使と悪魔にさっさと帰ってもらうためにも、はやく解決しなければならない。
「天使さん、悪魔さん、よく聞いてください」
天使と悪魔はぐしゃぐしゃの顔で里佳を見つめる。
「あなた達2人それぞれの、心の中の天使と悪魔に、財布をどうするか聞いてください。あなた達はクビです。いいですか、もう一度言いますよ。あなた達2人それぞれの、心の中の、天使と、悪魔に、財布をどうするか聞いてください。あなた達は、クビにします。」
元天使と元悪魔は困惑していたが、やがて胸に手を当てて目を瞑った。
すると中年男性の右側には、直径50センチほどの、真っ白なイメージ通りの天使が現れ、中年男性の左側には、直径50センチほどの、茶色い、中途半端な仕上がりの悪魔が現れた。
同じように、茶髪おばさんの左側にも直径50センチほどの、真っ黒いイメージ通りの悪魔が現れ、茶髪おばさんの右側には、直径50センチほどの、茶色い、中途半端な仕上がりの天使が現れた。
里佳は口には出さなかったが、茶色の2体が原因だと確信していた。
4体は声を揃えて、里佳にこう告げた。
『財布の中の150万円は貴方様に差し上げます。ですから、もう我々を許して頂けないでしょうか。』
やはり、茶色い中途半端な奴らは、無理して演じている感じを出していた。
「いいよ。」
里佳がそういうと、イメージ通りの天使とイメージ通りの悪魔と、茶色2体と、中年男性と茶髪のおばさんは、10秒ほど深い礼をした後、走って里佳の視界から消えていった。
やっぱり、茶色の2体は、頭を下げて2、3秒すると一旦顔を上げ、あわてて下げ直し、周りのタイミングと合わせて顔を上げたので、こいつらが原因だな、と改めて確認させられた。
4
ラィン。
「着いたよ〜!」
しおりからLINEが送られてきた。
「ごめん、ちょっと遅れるわー!」
と送信した後、150万円を鞄に入れて、里佳は地下鉄の改札をくぐった。
なんやかんやで、天使に咎められることもなく、しっかり150万円を猫ばばした自分は、小悪魔ギャルじゃなくて、悪魔ギャルだなぁと、里佳はそう思っていた。
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