第2話 仲良しゴリラの家族の幽霊が憑いている
1
「あなたには、仲良しゴリラの家族の幽霊が憑いています。」
霊媒師はあおいにそう告げた。
あおいは困惑するしかなかった。
半年ほど前から、右耳に違和感を覚え、どれだけ静かな室内にいても、人間の荒い吐息や、なにかを叩く物音に悩まされていた。
幻聴か、或いは病気かと、耳鼻科に通ったり、右耳に耳栓をしながら生活をしたりしてもそれは改善される事なく、日に日に酷くなっていくばかりであった。
やがて物音に耐えられなくなり、会社を暫く休むようになると、心配した友人が、せめて気休めにでもなればと、霊媒師を紹介したのだった。
「仲良しゴリラの…家族の幽霊ですか。」
「ええ」
「単体じゃないんですか」
「家族ですね」
「仲良しなんですか」
「とても仲良しです」
最初あおいは、霊媒師の事を信用してはいなかった。
仲良しゴリラという単語を聞いた時も、この人は私を馬鹿にしているのではないか、と疑ったが、半年間自分が悩まされていた霊障が、仲良しゴリラの家族の幽霊であるならば辻褄が合う。
「あなたの右耳の穴の中に潜んでいますね。」
霊媒師は表情一つ動かさず続けた。
「半年ほど前、動物園などに行っていませんか。」
あおいは記憶を辿った。
「半年前、オーストラリアに旅行に行ったんです」
「ええ」
「その時サファリパークに行ったので、もしかしたらそこにゴリラがいたのかもしれません」
「それですね、決まりです」
霊媒師は少しだけ、表情を明るくさせたが、その目の奥は冷ややかなまま、淡々と続けた。
「その時あなた、仲良しゴリラの家族にフィリピンバナナをあげなかったでしょう」
「フィリピンバナナですか」
「フィリピンバナナです。あなたに憑いた仲良しゴリラの家族の幽霊が私にそう伝えてきています」
確かに現地ガイドがフィリピンバナナの束をあおいに渡して、何か言っていたような気はする。
だが、たかがフィリピンバナナひとつでそこまで怒ることなのだろうか。
それに、オーストラリアへは親友のゆっこと一緒に行っていた。
彼女もゴリラにフィリピンバナナは渡していないはずだ。
この半年間ゆっこと何度も会っているが、ゆっこにはあおいのような霊障は見られない。
「友達も一緒だったんです。なぜ私だけ、仲良しゴリラの家族の幽霊に憑かれないといけないのでしょう。」
「それはあなたの波長がゴリラと合ったんでしょう。動物の霊というのは低級霊です。簡単なきっかけで憑くことはよくあることです」
「そうですか…」
ハッハッホッホッハッ。ドッ。ドッドッ。
またあおいの耳の奥で音がした。
「とにかく、お代は結構です。この…お札をあなたの自宅のどこかに貼ってください。目立たない場所でも構いません。それから、ここから出て左に歩いて5分するとスーパーがあるので、そこでフィリピンバナナを一房買って、お札の近くにお供えしてください。」
霊媒師は箪笥の引き出しからお札を取り出して、あおいに渡した。
「分かりました。ありがとうございます。」
あおいは正座を崩し、立ち上がると、一礼してから霊媒師に背を向けた。
「ああ、それから」
霊媒師が少し遅れて立ち上がって、あおいを引き止めた。
「お札をお供えしても霊障が引かない場合、反則なんですがね…」
「何でしょう」
「X-LARGEのショップへ行って、パーカーを4枚購入してください。そうすれば直ぐに良くなりますよ」
霊媒師は表情を一切変えず、やや早口でそう告げた。
あおいはまた一礼して、玄関のガラス戸を半分開けた後、振り返った。
「あのう、先生。」
「何でしょう」
「X-girlでも良いでしょうか。」
「構いませんよ。」
そう聞くとあおいは笑顔を取り戻し、軽やかな足取りで屋敷を後にした。
2
「あなたには、ヘリコプターの幽霊が憑いています。」
奥村はそれを聞いた途端、激昂し怒りを露わにした。
「ふっ…ふざけるな!ヘリコプターの幽霊だと?そんなモノがあってたまるか!」
「あなたのお気持ちはよく分かります」
「おまえ、インチキだろう、インチキ霊媒師だ!俺はな、ここに遊びにきた訳じゃないんだ、真剣に相談をしに来てるんだ!」
「分かっています!」
強い口調で霊媒師が奥村の怒鳴り声を止めた。
「奥村さん、すこし落ち着いてください。私もこんな幽霊は初めて見たんだ、今まで、落ち武者の霊だとか、生霊、妖怪の類や西洋の悪魔と言われるモノまでいろんなものを見てきたが、今回あなたが憑けてきたものは一体何なのか…皆目見当がつかない!正直、あなたよりも私の方が困惑していますよ」
そういうと霊媒師は奥村に背を向けて、煙草に火をつけた。
「じゃあ、あなたには祓えないってことですか」
奥村はうなだれて、ほとんど自分にしか聞こえないような声量で呟いた。
「そうは言っていない。そのヘリコプターの幽霊が一体何なのか分かれば、対策のしようは幾らでもあるはずです」
霊媒師の吐いた煙がヘリコプターの幽霊へ吸い込まれてゆく。
「大体大きさがおかしいじゃないですか、ヘリコプターの幽霊ったって、こーんなに大きいのが人間に憑く訳がない」
「いや、ギュッとなってるんですよ」
「なんでギュッとなってるんですか」
「それは分からない」
奥村が肩を落としてため息をついた。
「奥村さん、あなた、人生の中で、ヘリコプターに乗ったことは?」
「…妻との結婚式で、ヘリコプターから飛び降りて、空から新郎新婦入場というのはやりました」
「…他にはありますか。」
「他には一度も」
「そうですか。じゃあ、その新郎新婦入場の時に何かあったとみて間違いないでしょうね、空からの。」
奥村は耳を真っ赤にして俯いた。
「スカイダイビングをしたって事で良いんですよね」
奥村は小さく頷く。
改めて自身が行ったトリッキーな結婚式に対して、恥ずかしさを感じた様子で、正座からあぐらへと体勢を変え、両手で顔を覆った。
「ヘリコプターの操縦士の記憶はありますか。」
「いえ、あの時、上空2000メートル地点の合図を出してくれた事以外は、全く」
「少しずつ見えてきましたね。コレ、生霊ですよ」
「えっ、ヘリコプターの幽霊ですよ。機械なのに感情があるんですか」
「いえ、そうではなく、幽霊ヘリの中に操縦士も乗っているんです」
「操縦士…ですか」
「奥村さん、あなた最初に仰いましたよね、結婚してからというもの、毎日毎日爆風と爆音に悩まされていると」
「はい」
「そしてそれを奥様は感じることが出来ずにいる、その為に精神的に参っていると」
「はい」
「これは、ヘリコプターの操縦士があなたに強い念を送ってきているという事なんです。今、操縦士の彼も生きています。しかし彼は無自覚です。結婚式の時、恐らく彼はあなたに何か強い気持ちを抱いた。その強い気持ちが念となり、形となって、ヘリコプターの幽霊になってしまったのでしょう」
「でも、私はあれ以来あの操縦士と会っていませんし、以前に面識もありませんが…」
「今、ヘリコプターを下ろして彼から話を聞いてみます。少しだけ、静かにして頂けますか」
そういうと霊媒師は箪笥から紙と筆を用意して、小さなヘリポートを紙の上に描いた。
奥村はそれをただじっと、見つめた。
10分ほど静寂が続いた後、霊媒師が淡々と喋りだした。
「奥村さん、あなた、ヘリコプターで上空を飛んでいる間、奥様と一緒に、操縦士である彼の陰口を言っていたそうじゃないですか。」
「言われてみれば…」
「奴は無免許だ、無免許顔だ、ヘリコプターに乗っていい顔じゃない、扇風機でも回してろ、など言ったそうですね。全て筒抜けだったみたいですよ。」
「でも、特に悪気はなくて、妻が怖がっていたように感じたので、気を紛らわせようとしただけなんです。」
霊媒師は半ば呆れて、大きなため息をついた後、「まあ貴方も大人ですから、説教なんてしませんが、分かりますよね、これからどうすべきか。」と詰め寄った。
奥村は身体を縮こませて、ほとんど首だけを動かすかたちで頷いた。
「はい、彼に連絡を取って、あの時のことを謝ります」
「それからどうしますか」
「もう二度と、他人の悪口は言わないように努めます」
「それから」
「妻にもその事を伝えて、日々反省しながら−」
「いやいや、違いますよ」
「えっ?」
「奥村さん、お金払って下さいよ、20万」
奥村は、あぐらから正座へと体勢を戻した。
3
「あなたには、ホタテの外側のびらびらの幽霊が憑いています」
聡美は一瞬何を言われたのか理解できず、しばらく霊媒師と目を合わせたまま、10秒ほど見つめ合う形になったが、耐えられなくなった霊媒師が目をそらして含み笑いをし始めると、聡美は我に返って、霊媒師を睨みつけた。
「何ですか、それ」
「イヤ、だから、ホタテの外側のびらびらの幽霊が憑いているんです」
「ホタテの幽霊じゃないんですか」
「違います、ホタテの外側のびらびらの幽霊です、それ以上でもそれ以下でもありません」
「…で、それは悪霊なんですよね?」
「いやいや、悪霊ではありません」
「じゃあ守護霊かなにかですか」
「いいえ、守護霊でもないですね」
「じゃあ一体何なんですか!」
「ですから、ホタテの外側のびらびらの−」
聡美は屋敷を後にした。
二度と聡美が戻ってくることはなかった。
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