第17話

「サクヤ、ドライブに行こう」

 僕は読んでいた新聞から顔を上げ、思わずまじまじとピーターの顔を見つめてしまった。

 家族でドライブなんて、十何年かぶりの事だ。

 桜がきれいだから、とニナが言う。

 素直にうん、と頷いたのは、二人の顔が、あまりにも穏やかだったからかもしれない。

 車の後部座席から見える空は、ねずみ色がかっていて、時々ぽつりぽつりと窓に雨があたった。

 ニナとピーターは一言もしゃべらず、車内には静かにジャズが流れていた。

 大きな湖のある公園に着いた時は、雨はほんどやんでいた。

 陰鬱な天候と寒さのせいか、人はほとんどいない。

 僕は周りを見渡した。

「・・・あんまり桜、咲いてないね」


 僕の問いに、ニナが反対側の岸を指す。

「あっちの方が少し咲いているじゃない。行ってみましょ」

 自然に三人が横一列となって、ゆっくりと歩き出す。

 僕の左を歩くピーターを、ちらと見上げる。

 とうとう追い越せなかったな。

 彼は百八十一㎝だ。僕の年ではもう伸びないだろう。あと三㎝足りない。

 少し薄くなった彼の金髪を見る。

 彼をこんなに間近で見る事は今までなかった。

「サクヤ」

 ふいにピーターが言う。

「ん? 」

「39は、面白いか」

 少し考えた。

「普通」

「そうか」


 それからはただ黙々と僕達は歩き続けた。

 反対側の岸につくと、桜がちらほら咲いていた。桜の木の下に近付き、しばし見とれる。

「サクヤ」

 背後からニナの声が聞こえた。

 すごく近く、とても低い声で。

「見張られているかもしれないから、振り向かずそのまま聞いてちょうだい。__39の事を話すわ」

 風がざあ、と鳴った。

 何。

 39の。

 振り向く隙を与えずに、ニナが静かに話し出す。

「政府は、この国は理想的な国民を作り出す為に、ある極秘実験を行ったの。無作為に選んだ、同じ年に生まれた子供四十人に、ある本を渡し、ひたすらそれを読む事と、禁止事項を教えた。子供のうちから無意味な命令を叩き込み、ルールには無条件に従わせる事で、将来、国の言う事には何も疑問を持たない、自分の意思を持たない、絶対服従の大人に育て上げようとしたのよ」

 ニナの声が少し大きくなる。

「・・・そうして、選ばれた四十人のうちの一人が、あなた。本は子供一人に一つ与えられた。本の内容は全く同じで、番号がふられたわ。三十九番目の本を与えられた三十九人目、それがサクヤ、あなたなの」

 ニナはここで一息ついた。

「実験は赤子の時から始まっていた。あなたの本当の両親は知らないわ。政府側の人間でしょうけど。ただ、あなたの母親が、あなたがお腹の中にいた時から胎教として既に39を読み聞かせていたとは聞いているわ。子供は産み落とされると、すぐに私達の所へやって来た・・・。全員そうだったわ、実の親では情が移るだろうからって。それで私やピーター、政府側の特殊部員達は男女一組のペアになって子供達の両親兼監視役となったの。私達四十組の家族は政府の指示でお互い離れて暮らしたわ、子供達同士が出会ってしまわないようにね。中学校が偶然同じになってしまったあなたと40の子供だけが唯一の例外だったけれど」

 ニナはここで、自嘲気味に笑った。

「・・・計画なんてもともとうまくいかないものよ。同じように育てても、その子の生まれ持った性格までは変えようがないわ。・・実際、中学生になるまでに半分以上が脱落したわ。この年頃は大抵秘密という物が守れないの。〝これ内緒にしてね〟と言いつつ人に漏らしてしまう。それが脱落の一番多い理由だったわね」

「__そうしてその年代を乗り越えた子供達も、十八歳までの間にほとんどが駄目だった。自立心が芽生える年頃だから、何故この本を読まなければいけないのか、という疑問を打ち消す事ができなかったのよ。それで、こっそり調べようとして消されていった・・・」

「40の子も、そうだったな」

 ピーターがぽつりと呟く。

 全員沈黙した。

 淡い薄紅色の桜が風に揺れる。

 未だ鮮明な、十年前の僕の記憶。


 ニナが溜息をつく。

「二十歳までに残った子供は、五人にも満たなかったわ。やがて同じような理由で、一人、また一人と消え、そして・・・」

 ピーターが後を引き取った。

「サクヤ、君が、君だけが残ったんだ」

 唯一の成功例。

 ざああ。

 風がまた鳴る。

 僕の少し長くなった前髪が、かき乱されて視界を閉ざす。

 ざああ。

 僕はゆっくりと振り向いた。

「・・・なんで」

 何でそんな話を。

 見ると、ニナは、両手を口にあて、涙をいっぱいにした目でガタガタ震えていた。

「あ・・・あなたは私達の子・・・私達の子なのよ! なのに、・・・こ、こんな、こんな・・・」

 ピーターが泣き崩れるニナを後ろからしっかりと抱きとめた。彼も悲痛な表情をしている。

「サクヤ、君は唯一残った。全て順調、何も問題はない。__だから政府は、君に疑問を持ち始めたんだ」

 そこで彼は、

「まだはっきりとは分かっていないが、真の政府の狙いは」

と、実験の本当の意味を語り始めた。

 風が、風がどこかで鳴っている。

 どこか、どこか遠くで。

 ピーターの声がどこかで聞こえる。

僕は真の実験の目的を聞いた。

 そうすると、僕は実験の、

 __唯一の成功例にして、

 __唯一の失敗例。


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