第8話

一週間ぶりにサクヤは図書館へ出かけた。いつも通り39を読んだ後、図書館に残ってしばらく新聞を読む。

ふと目をやると、ある広告が目に入った。

「一年ぶり待望の新刊! 新刊発売記念アルバート氏サイン会開催! 」

 アルバート。

 名前を見てサクヤは興奮した。大ファンの推理作家だった。節約の為、本を購入した事はなかったが、図書館で彼の本はほとんど読んでいる。

 開催日を見た。今週の日曜日、Tブックストアだ。ここからそう遠くはない。

 絶対行かなくちゃ。


 日曜日、サクヤはTブックストアへ出かけた。同じくアルバートファンのトムも一緒だ。声をかけたら二つ返事でついて来た。

トムの強い勧めでサイン会の一時間も前に本屋に着いたのに、既に店内にはファンらしい人々の姿があちらこちらに見える。

 二人は慌ててアルバートの新刊本を買い、整理番号をもらった。

 トムが得意げに言う。

「ほら、急いで来て良かっただろ」

 サクヤは整理番号をちらっと見た。

 偶然ってあるものなんだな。

 先着五十名様だったっけ。

「うん」

 のんびりしたら危ないところだった。

二人が雑誌等を読みながらしばらく時間をつぶしていると、

「作家アルバート氏のサイン会が始まります」

というアナウンスが流れ、急いでファンの列の中に並んだ。

 五分程してから、アルバートが姿を現した。彼はファンの前まで来ると、丁寧に挨拶し、本日来てくれた事への礼を述べた。最後に恥ずかしそうに新刊本のPRをしたのが、サクヤには好印象だった。

 挨拶が終わると、サイン会が始まった。

 先に並んだトムが笑顔で振り返る。

「なんかドキドキしてきたよ」

「うん」

 サクヤは頭の中で何を言うべきか考えていた。

 しばらくしてトムの番が来た。トムは耳まで真っ赤にしながら、昔からずっとファンです、本は全部持ってますと興奮してしゃべっている。アルバートの笑っている声が聞こえた。

 やがて、トムがサイン本をしっかり抱きしめて脇へどいた。

「次の方。整理番号を頂きます。・・・はい、三十九番ですね」

 係りの店員がサクヤから番号を受け取り、用紙にチェックをした。

 アルバートがサクヤを見、笑顔で右手を差し出す。

 サクヤも右手で握手しながら、左手に持っていた、買ったばかりの新刊本を差し出した。

「あの、密室シリーズ最高です。ずっと応援してます」

「ありがとう」

 アルバートは、慣れた手つきで本にサインをした。

「君のお名前は? 」

「サクヤです」

 瞬間、アルバートはぎょっとした様子で顔を上げ、サクヤを見つめた。眼鏡の奥の目が揺れている。しかし、ふと我に返った様子で、慌てて目をそらした。

「あー、えーと、変わった名前だね。サ・・ク・・ヤ・・だね」

 そのままサインの上に〝サクヤへ〟と書き加えながら、アルバートは小声で隣の係員に声をかけた。

「えーと、君、これで何人目だったかな」

「三十九人目です」

「あ、・・・ははは、そうかそうか。あ、じゃあ君、サクヤ、来てくれてありがとう」

 アルバートは笑いながらサクヤに本を渡した。

 列から離れると、遠巻きに見ていたトムが近付いて来た。

「なあっ、何言われてたんだよ」

「別に。名前が変わってるなって」

「なあんだ。ここらへんでアジア人は珍しくないのにな」

「うん」

本を渡された時、アルバートの手が微かに震えていた事を、サクヤは思い出していた。


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