第11話

「サクヤ、ちょっといい? 」

 確かその時、自分はもう帰ろうとしていた。

教室内は夕焼けで真っ赤に染まっていて、校庭からサッカーをする少年達の威勢のいい声が聞こえてくる。

教室の入り口に、クラスメイトが立っていた。

「何」

一度肩にかけようとしたディパックを降ろした。

「いいから。いいこといいこと」

 気の強そうな目が笑って、手招きをする。

「僕もう帰ろうかと__」

「いいから! 」

 相手が少し声を荒げた。

 いつもは無視するくせに。

 でもここで断ると、後でめんどうな事になるな。

 黙ってクラスメイトの方へ進むと、彼は満足気に笑い、先に立って歩き出した。

 クラスメイトは理科室に入った。続いて中に入ると彼の仲間達四、五人もそこにいた。やはり呼び出されたらしい。

 クラスメイトは言った。

「皆に良いもの見せてあげようと思ってさ。言っておくけど、これ秘密だよ、秘密」

 秘密と聞いて、仲間達の目が輝いた。

 彼はずっと重そうに下げていたショルダーバックを降ろし、中を開けて、何か四角い物を取り出した。

 思わず声が出そうになった。

 赤ワイン色の表紙、辞書並みの厚さ、ずっしりとした重厚感、正にそれは、全く同じ。

 あの本だ。

 僕が小さい頃から、ずっと、ずっと読んでいる、終わりのない、

 サーティー・・・

「フォーティーって言うんだ、これ」

え。

よく見ると、確かに表紙に〝40〟と金色の文字が入っている。

40。

どういう事だ。

クラスメイトの声が遠くに聞こえる。

「この本さ、親に言われて僕が小さい頃からずっと読んでるんだけど、本当はこれの事誰にも言っちゃいけないんだ。〝40〟って知ってるか? 知らないだろ。これは他に世界中どこにも存在しないし、読んだ人はいないんだ。僕以外はね」

 〝僕以外〟という所で、彼はにやりと笑った。

「本当だよ。親がそう言ってたし、僕もこっそりネットとかで調べたんだ。本当にこの本は存在しないんだ」

 他の皆は半分疑いの目を向けながらも、彼の話に引き込まれている。

「それで大人がおかしいんだ。誰にも言っちゃいけないと言われてたんだけどさ、昔、試しに本屋の親父と小学校の担任に聞いてみた事があるんだ。40を知ってるかってね。そうしたら二人ともすごく真っ青な顔をして、〝今回は黙っててあげるから、二度とそれを言っちゃいけない〟って言うんだ。皆に言ってはいけないのに、大人は知ってるみたいなんだ。おかしいだろ。・・・いや、分からないな、二人に聞いただけだし」

「まあ、それで、僕思うんだ。この本にはきっとすごい秘密があるんだよ。本の内容か、それともこの本自体にさ。まだ誰も解いていないのか。知ってて黙ってるのか。それはわからないけど、どっちでもいいよ。秘密を暴いてそれを世間に公表してやるんだ。絶対有名になれるよ。な、面白い話だろ? 」

今や僕を除く全員の目が輝いていた。

仲間の一人が興奮した様子で尋ねる。

「その本の内容はなんなんだ? 」

「普通の家族が出てくる話。家族の成長物語、というやつかな。その話が延々と続くんだ。ああ、言い忘れてたけど、40はこれ一冊じゃない。シリーズになっていて他にもたくさんあるんだ。とりあえずこれだけ持ち出せた」

 家族の成長物語。

 同じ話__なのか?

 39と?

 クラスメイトが続ける。

「僕は40が本当にあった話なんじゃないかって思ってる。フィクションみたいに書かれているけどね。特に怪しいのが、この本に書かれていた財宝事件だ。ここに出てくる家族の子供が、小さい頃噂を聞いて、友達と財宝を探しに行くんだ。結局見つからず、チビッ子達の愉快な冒険談として終わっているんだけどね」

 そんな話。

 __あっただろうか。

 他の仲間が口を挟む。

「な、なあ、それ、読んでみていいか? 」

 クラスメイトは、にやりと笑った。

「いいよ。でもこの本の存在はもちろん、これを僕以外の人が読むのは絶対禁止なんだ。誰にも言うなよ」

 わかってる、と皆は頷く。

 クラスメイトがこちらを向いた。

「サクヤも読みたいだろ。先に貸してあげるよ」

 ほら、と本を差し出す。

 少しくすんだような、赤ワイン色の表紙。

 間近で見ても、全く同じだ。

 全く同じ。

 内容も一緒なのだろうか、39と。

 確かめてみたい。

 僕は右手をゆるゆると差し伸べる。

 本を受け取ろうとしたその時、

 ふと表紙の文字が部屋の蛍光灯の光に反射した。

 きらっと光る。

 40。

 違う、これは。

 40。

 これは。

 40。

 これは、彼のものだ。

 右手を本の手前で握り締める。

「いや、僕はいいよ」

 クラスメイトは一瞬むっとしたが、仲間の「じゃあ俺に貸して」という声に笑顔を向け、手渡した。

 彼は再び僕の方を向き、小声で脅すように言った。

「40を読まなくったって、この話を聞いた事自体が禁止なんだ。サクヤだってもう仲間なんだからな。絶対他の人に言うなよ。言ったら許さないからな」

 僕はただ黙っていた。

 学校からの帰り道、バスに揺られながら僕はずっと考えていた。

 皆はあの後、クラスメイトの家で作戦会議をする事になったらしい。

 彼はどうやってあの本を持ち出せたのだろう。

 普通図書館に本があって、読書は館内のみで行う。外への持ち出しは禁止のはずだ。貸し出しは図書館員が厳重に行っている。

 39の場合は、だけれど。

 40は、知らない。

 キーッと大きなブレーキ音をさせて、バスが停車した。おばさんと小さな子供が買い物袋を持って乗り込んでくる。

 40の事は知らないんだ。

 何も。

 バスが再び走り出す。しばらくぼんやりと、買い物袋を持った親子の楽しげな会話を聞き流す。

 ふと。

 彼は知っているのだろうか、と思った。

 本の事を他人に明かせば〝隠される〟という事に。

 彼の様子や、最後に自分に言った時の態度から見て、絶対知っているように思えた。

__言ったら許さないからな。

 ふいに、雷に打たれた気がした。

 そうだ。

 彼は知っているんだ。

 知っていて、

 __サクヤだってもう仲間なんだからな。

 皆を、僕を

 道連れにするつもりか。

 40の事は知らない。

 でも僕は、

 ぼくの39はそんなことはゆるさない。

 

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