第18話

ピーターが僕を辛そうに見ている。

「上の動揺は隠していてもやがて下にまで伝染する。モーリスの件がいい例だ。例の、君の担当だった図書館員の初老の男性だ。__彼も君に疑問を持ち始め、勝手に独自の判断で動き出した。・・だから消された。君に罠をしかけ、規則を破らせようとしたらしいな。・・・彼は君の長年の担当だったのにな・・・、いや、だからか・・・」

 彼の後半の声が、暗く沈んだ。

 ふいにニナが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

「私は賛同していたのよ。完璧な人間を作る、素晴らしい実験だって。なんとしても成功させたいって。それなのに、失敗する事が目的なんて! こんな、こんな実験なんてひ、ひどすぎるわ。いいえ、計画自体が元々誤りだったのよ。あ、あなたを犠牲になんかさせないわ」

 ピーターも頷く。

「サクヤ、君には生き残って欲しい。その為には、今の事は何も聞かなかった顔をして、39を読み続けるんだ。実験が公開されているのは表向きの理由だ。今まで通りしていれば、政府も君に手を出せない。実験自体も将来なくなるかもしれない」

 僕は二人を見つめた。

 悲痛な顔。

 ピーター。

 ニナ。

 二人に尋ねる。

「・・・一つ聞いていい? 」

 おとうさん。

 おかあさん。

「ピーター達は大丈夫なの」

 秘密を話してしまって。

 二人の顔が一瞬青くなった。しかし、すぐに平静に戻り、ピーターが言った。

少し声が震えている。

「・・・大丈夫だろう。今の話が聞かれていなければ。・・・ただ、政府は親子の情を嫌う。正確に実験ができなくなるからとな。だから一家でどこかに出かけたり、一緒に行動する事は歓迎されない。特に子供が成人してからは。・・・僕達は親の任を解かれるだろう」

 ニナのすすり泣く声が大きくなった。

「・・・そう」

 39の為に集められた家族。

  39の為に、別れる。


「ニナ、ピーター」

 僕は二人を交互に見た。ゆっくりと。

「今日聞いた事は、絶対誰にも言わないから。だから、二人とも」

 元気で。

「サクヤ!! 」

 最後の言葉を言い終わらないうちに、ニナが僕に抱きついた。

「愛している。愛してるわ!! 」

 愛してるのよ。

 愛してるのに。

 彼女のくぐもった叫び声が、僕の胸に響く。

 一瞬ためらったが、僕も彼女をそっと抱きしめた。

 微かに甘い香りがする。

 今までこんな風に抱きしめてもらった事はなかった。

 あいしていると言われた事も。

「最後に、聞いておきたい事があるんだ」

 ニナが落ち着き、僕から離れるのを待ってピーターが言った。

「サクヤ、君はどうして・・・、いや」

 そこで彼は珍しく躊躇した。

「いや、今のは、聞かなかった事にしてくれ」

 そうして僕の両肩にしっかりと手を置いた。

「サクヤ、絶対負けるなよ。意地でも39を読み通すんだ。ずっと応援しているから。僕も、ニナも」

「うん。僕は大丈夫だから。二人で幸せになってね」

すると、ピーターの目から涙がこぼれおちた。僕が見た、最初で最後の涙だった。

彼は僕を強く抱きしめ、絶叫した。

「すまない・・・! サクヤ、すまない・・・!! 」

僕は頷きながらピーターを抱きしめた。自然に涙が溢れてくる。

二ナは顔をくしゃくしゃにしながら、もたれかかるようにして僕達の肩を撫でさする。

ふと。

かつて読んだ39の中の、セリフが思い出された。

「場所は遠く離れていても、精神的に絶対離れられない。それが家族なの。だから、安心して行ってらっしゃい」

安心して、行ってらっしゃい。

さよなら。

ニナ。

ピーター。

穏やかな湖を前に、僕達三人は一つの固まりとなって、ただ、泣いていた。



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