十二話 瞳


客室の掃除を終えたマリーは、廊下を出歩くクレナを見つけた。

「あ」

「……」

クレナは一瞬マリーを見たあと、無言でその場を立ち去ろうとした。その様子にむっとして、マリーは先回りして進行方向に立ちふさがった。

「ちょっと、何を勝手に出歩いているの?」

「……」

「奴隷にちょろちょろされちゃ困るの」

クレナは何の反応も示さない。ただ暗い瞳が感情を映さず見つめるだけだ。マリーは余計に腹立たしくなって、ずい、と一歩踏み込んだ。

「いくら旦那様に気に入られてるからって好き勝手していいことにはならないのよ?生意気なんじゃないの、奴隷のくせに」

言いすぎただろうか。でも彼女がリージアにだけいい顔をしているのは間違いではない。マリーがクレナを睨みつけたままでいると、クレナはゆっくりと瞬きをした。次にあらわれた瞳が、温度の低下を見せた。

「私はリージア様のものです。私を評価していいのはリージア様だけです。何の権限があって生意気などと?そちらこそ生意気なのではありませんか、使用人のくせに」

「……な」

マリーは絶句した。対抗してくるとは思っていなかった。普段物静かで口数も少ないクレナがまるで別人のように噛み付いてきた。

「……っ、なによ、調子に乗らないで!」

「そちらこそ、少々長くいるだけで調子に乗らないでください。私を諌めるのはリージア様であって貴女ではありません。立場をわきまえてください」

「っ、この……っ!」

マリーの顔が悔しさでゆがむ。継ぐ言葉を見つけられずにマリーは反射で手を振り上げた。クレナは動かない。

「クレナ?」

「!」

廊下の向こうから聞こえた声に、マリーは強ばって手を引っ込めた。

「ああ、ここにいたんだね。どうかしたかい?」

リージアがゆっくりとこちらに歩いてくる。どうやら二人のやり取りは聞こえていなかったようだ。マリーが答えあぐねていると、クレナはふ、と雰囲気を和らげてリージアの方へ数歩近づいた。

「出歩いていたところを、この方に気遣っていただきました」

「え、」

「そうか、それはありがとう」

「い、いえ、滅相もございません」

筋違いな礼に恐縮する。

「仕事は片付けたよ、退屈させたね」

「いえ」

「いい茶葉が手に入ったらしいから一緒に飲もうか」

リージアがクレナの背に手を添えて優しく笑うのを、マリーは低頭しながら覗き見ていた。今は亡きアレナリアに向けていたような柔らかい表情だ。主が元気になったのは喜ばしいが、素直に良しとできない気持ちがある。

マリーは自分が一介の使用人であることに歯がゆさを覚えながら、中睦まじく立ち去るふたりを目で追った。と、その時微かに振り向いたクレナと視線が重なった。

「……!」

冷酷な、薄暗い瞳。普段見かける暗く静かなものとは明らかに異なる、闇を宿した瞳。そこに浮かんだのは独占欲か、嫌悪か、もっと別のなにかなのか。一瞬の交差で放たれた冷気が、マリーを射抜いて蔓のごとく体に巻きついた。

あの子は危険だ。

マリーはそう直感したが、それがどのように危険であるかまでは考えが及ばなかった。リージアに呼ばれて向けた穏やかな横顔が、マリーの目にひどく焼き付いた。

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