七話 七の月三日

七の月三日

いつの間にか月がかわっていた。君はいつも月のはじめに便りをくれていたから、もうそれがないのだと思うとまた苦しくなってしまう。フラネーヴェ家の当主たるもの、もっと強くあらねばと思うのだけれどね。こうやってまだ君にすがってしまう弱い僕を許しておくれ、アレナリア。



 クレナの瞳がいつもより輝いて見えたのは、古い書物を押し込んだ書庫に連れて行ったときのことだった。

「少し埃っぽいかな」

「……」

 閉め切った室内に繊維紙とインクの匂いが漂う。父が生きていた頃はよく共に調べ物をしにきていたが、今はすっかり物置のようになってしまった。古めかしい机の上に、火が消えて年月の経った蝋燭が崩れかけていた。

 重いカーテンを開けると薄暗い部屋に日が差し込んで、本の背表紙がよく見えるようになった。辞典、小説、絵本、特に整理もされず適当に棚に押し込まれている。

「字が読めるなら暇つぶしになるだろうと思って」

「はい……触れても、よろしいのですか」

 クレナは雑多な本棚を見上げながら上の空で返事をしたあと、我に返ったようにこちらを見た。いつもは静かな眼差しに、うっすらと期待が浮かんでいる。

「ああ、好きに読むといい」

「……ありがとうございます」

 表情が年相応に和らぐ。心を閉ざしているのではなく、表に出にくいだけなのだとわかって安心した。

「夕刻までは好きにしていて構わないよ」

「はい」

 書庫を出る僕にクレナが深く頭を下げる。立ち去った振りをして扉の隙間から隠れ見てみると、クレナは背伸びをして取った小説を大事そうに眺めていた。



「あと二月、ってところか」

 ジェスターは足元の野花を踏みにじりながら呟いた。夜風に束ねた髪が遊ぶ。ひらりと揺れる毛束の向こうに人影が動いて話しかけた。

「道はできましたぜ。これなら」

「早まるなよ」

 ク、と喉を鳴らして笑う。蹴りつけた地面にちぎれた花弁が舞った。

「獲物を食らうのは毒が回りきってから、だろ」

 妖艶な表情を浮かべながら、ジェスターは冷たく光る月にむかって手を伸ばした。輪郭に指を這わせて、小指からゆっくりと握りこんでいく。

「ぐずぐずになるまで蝕んでやるよ」

 掌の陰で隻眼が鈍く煌いた。

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