第二部:つくも神ノ王 -サカミノヒメミコの物語①-

怪異好きな姫君と化狐と『つくも神の王』を名乗る非力な精霊の冒険物語。

第二部 其の一

 穴穂大王あなほのおおきみの在位元年の事である。

 夏の終わりの或る夜、天空を引き裂くように赤い星が降った。とは云え、国中が寝静まった深更の頃合いゆえ、気付いた者は極めて少なかった。

 五王国の一角を成し、広大な平野部を擁する三野みの国でも事情は同じだったが、西部の大野郡おおののこおりにあるむじなが丘には、連れ添って星を見上げる大小二つの影があった。

 そのうち小さい方の影は、高貴な身形の幼い少女――即ち、三野国の王・墨江中津すみえのなかつ王の末娘・サカミの姫命ひめみこであった。


「むう。長く引いた光の尾が、ははきの様に見ゆる。実にめずらかなるものじゃのう」

 と、今年で十一になるサカミ姫は満足げに云った。それから、脇へ振り返り、

「そうは思わぬかや?  あたう殿」

「ふうむ。そも、ははきとは何ぞ?」

 聞き返したもうひとつの影は、姫の守役の能命あたうのみことである。

 天衣無縫な姫君の傍を、片時も離れず付き従う近侍の男であり、姫の最大の理解者でもあった。

 能命あたうのみことと云うのは本名ではないが、他の家臣たちが辟易するような姫の我儘にも根気よく付き合い、「姫御ひめごの願いなら、あたう限り(出来るだけ)やってみよう」と、口癖のように云うので、皆からそう呼ばれていた(中には、あたえかばねと取り違える者もいたようだが……)。


ははきと申すは、黒彦くろひこの兄君がこしらええたもうた清掃の道具よ。何やら珍妙なものであったがのう。作り上がった時、黒彦兄がとろけるような笑みを浮かべた故、心に残っておったのじゃ」

 と、サカミ姫は説明した。

 能命あたうのみことは小さく頷いて、

「ああ。黒彦とは、例の物造りの好きな王子の事か。姫御の従兄弟殿であったな」

「左様じゃ。何でもお創りになる。ははきと申すは、集めた小枝の根元を竹皮やらわらやらで束ねた物でのう。用いる時は、束ねた側を手に掴み、末広がりになった小枝の先でほこりはばくと云う。ゆえははきと名付けたそうな。黒彦兄は、斯様かように便利のものは都にもあるまい、と申されてのう。間もなく、大倭やまとの学寮に入る故、皇宮に献上して我が知恵を都に知らしむつもりじゃと仰せであった」

「さりとて、清掃の具を献上して如何する? そのようなもの、大王が喜ばれようか」

 と、能命あたうのみことは退屈げに云った。

 サカミ姫はくすくすと笑い、

「さあのう。黒彦兄は只々ただただ思い付きをしゃべる故、その場限りで忘れておるやものう」


「それよりもだ、姫御――」

 と、能命あたうのみことは夜空を仰ぎ、

「あのようなものが現れた後だ。今宵、『祇喚かみよび』の密儀は取り止めるべきではないか?」

「それは、また、何故かの?」

「海向こうの大陸の国々では、不意に空へでて地の果てへ落つるあのような星を『灾星ケイセイ』と称し、世の乱れる凶兆とする。天のいぬ変化へんげした姿であるとも云う。よこしまの妖霊がそれに乗って舞い降り、天下に災厄をもたらす――と。まだ、われがあちらの国にいた二十余年前にも、黄白の色をした灾星ケイセイが天を駆けるのを見た事がある。それより、間もなくして、大乱が起こり、長きに渡って国が乱れた。わば、きし星と云う事だ」

「ほほう、成程なるほど

 サカミ姫はかえって目を輝かせ、

「魔の憑きし星とは好い事を聞いた。祇喚かみよびを行うには、尚、好都合じゃのう」

「何故、好都合なのだ? 姫御」

あたう殿、何遍なんべん云うたら覚えるのじゃ。祇喚かみよびするは逢魔時おうまどきを選ぶが良いと、古えの文献にも書いておる、と。それ故、地祇ちのかみの御出ましを願う密儀には、魔の気配の盛んなる刻が適する、と」

「それは心得ている。然し、何時いつもなら黄昏たそがれ時に行うではないか。斯様かように深き夜にやらねばならぬのか?」

 すると、サカミ姫はすいと胸を反らし、

「先程も申したであろう。今宵は、望月もちづき(満月)が昇る故、合わせて深更の刻に祇喚かみよびを行う、と。月満つる夜は魔満つる、とも云う。加えて、魔憑きの星が降ったとなれば、絶好の機会と云う他あるまい」

 そう云って、丘の外れの襤褸ぼろ屋へ向かって歩き出した主人を、能命あたうのみことは渋々の体で追った。

 彼としては、危険の付きまとう密儀など直ぐに辞めさせたいが、頑固で一途なこの姫君から、怪異好みの趣味を取り上げるのは無理だと云う事も熟知している。折に触れ、物の精霊ちひ狐狸変化こりへんげの類に関わらんとするサカミ姫の傍を離れず、万一あらば己が出て対処するのが、当面、最善の策と考えていた。


                  ◇


 襤褸ぼろ屋の戸をくぐったサカミ姫は、床の中央に敷かれた藁座に腰を下ろし、周囲に散らばった木切れを掻き集めて祭壇を作った。続いて、神具と供物――さかきの葉、御神酒、ご神米を乗せた高坏たかつき、鳥の羽、すっぽんの甲羅、魚の骨、二枚貝の貝殻、豆などを周囲に配置していった。

 サカミ姫が行わんとしている祇喚かみよびとは、躰から切り離したしんを、祭壇を通じて神霊の域に訪ねさせ、地祇ちのかみに繋がらんとする秘術である。首尾良く、目当ての神に呼び掛ける事が出来れば、術者の元に現臨させる事も可能と云う。

 如何にも胡散臭うさんくさい――と能命あたうのみことは思っていたが、主人の取り組みの真剣さを眺めるに、頭ごなしに否定するのも難しい。


「さて、これで準備は整うた」

 と、サカミは上機嫌に云い、

「日取りも良し、刻限も良し。今宵こそ、地祇ちのかみに御目見え叶う気がするのう」

「最初にその言葉を聞いてから、早や、九十九つくもを数えるな」

 と、能命あたうのみことは云った。

 事実、サカミ姫がここで祇喚かみよびを行うのは、この夜で九十九度目である。姫がまだ八つの頃に初めて行って以来、十日に一度程の割合で繰り返して来たが、実際のところ、一度も成功したためしがない。それでも諦めずに続けようと云う並々ならぬ熱意に、むしろ、能命あたうのみことは感心していた。

「ぐちぐち云わんでもらいたいのう。嫌なら帰れば良いのじゃ」

 と、鬱陶しげにサカミは云った。

「いやいや、ここへ付き合うのはやぶさかではないが……。姫御が何時いつまで続けるのかと思ってな」

「今宵の密儀が不首尾に終わってから考える。此度こたびは成就の予感が強くするしな。ほら、九十九度目のまことと云うであろう?」

 能命あたうのみことは首を振り、

「そのような言は聞いた事もない。二度ある事は三度ある、とは申すようだが」

「もう黙っておれ、あたう殿」


 目蓋まぶたを閉じ、呼吸を整えると、サカミ姫は密儀の開始を宣言した。

 眼前に並べた神具や供物のひとつひとつを取り上げ、頭上に押し頂いて祈りを捧げる。世事とは似つかぬ奇怪な儀式だが、九十九度目ともなれば慣れたものである。鮮やかとも云える程に洗練した手つきで、祇喚かみよびの儀を進めていった。

 能命あたうのみことは常の如く隅の柱に寄り掛かり、声ひとつ立てずに様子を見守った。半刻と経たぬうちに姫の動きが止まり、深い嘆息を響かせる。儀式の終わりを告げる合図だった。依然、無言を保ったまま、二人は来るべき瞬間を待った。

 が――それから、しばらく待っても、襤褸ぼろ屋の中は静まり返ったまま、物音ひとつ立たなかった。


「……ふむ。今宵も御留守のようじゃの」

 と、サカミ姫は負け惜しみの如く呟いた。

 密儀にて、しんを神域に訪ねさせても、折悪しく、目当ての神が出歩いて不在の場合、祭壇の下へ呼び出す事は出来ないとされる。それ故、自らの手際に非の打ち所は無いが、目当ての地祇ちのかみが留守がちである為、失敗が続いている――と云うのが、サカミ姫の常々の主張であった。

「なれば、地祇ちのかみもさぞかし御多忙なのであろう」

 能命あたうのみことが皮肉めかして云うと、サカミは口を尖らせ、

あたう殿。ようもわらわを愚弄したのう」

「愚弄はせぬ。姫御の根気の良さに感服したまで」

「きいっ。次は必ずや祇喚かみよびを成就させ、そなたにぎゃふんと云わせてくれようぞ」

 そう云って、襤褸ぼろ屋を飛び出そうしたサカミだったが、入り口のところで立ち止まり、

「あ、あたう殿……あたう殿……」

「如何したのだ? 姫御」

 と、背後に駆け寄って能命あたうのみことは訊いた。

「あ、あれじゃ……。あれを見よ……」

 サカミ姫が指を差した先は、屋外に広がる笹林の一画だった。

 熊が穿ほじったように笹が払われた辺りの真ん中に、丁度、平皿程の面積だけ、赤土が剝き出しになっている。そこに倒れているてのひら大の影は、鼠でも野兎でもなく、人型をした奇妙な生き物と映った。

「姫御。まさか、あれは」

屹度きっと地祇ちのかみに違いあるまい……」

 唾を飲み込みつつ、サカミは云い、

「か、祇喚かみよびが成就したのじゃ。遂に……遂に、わらわはやったのじゃ」

「ふうむ。ともあれ、確かめてみるか」


 二人が寄って行って間近に見下ろすと、その生き物は実に不思議な姿形をしていた。大きさは栗鼠りす程で、手も足も頭も髪もあり人間に似ているが、両耳の裏に横へ突き出た小角が一本ずつ生え、背にはからすの如き黒い羽根が付いている。胴体には、みののようなものを着けているが、見た事も無い極太の獣毛で編まれており、時折、月明かりを反射して光沢を放った。

 生き物は死に掛けのようにも見えた。仰向けにひっくり返ったまま、目を閉じ、眉根を寄せ、嗚呼ああとかうんと断続的な唸りを上げている。ひょっとすると、高所から墜落してきたのやも、とサカミ姫は思った。

 しかし、姫が手を伸ばして触れようとした途端、驚く程の早さで身を起こし、

「き、き、気安く触れるでない。このたわけめが」

 二人の方を見上げ、蚊の鳴くような声で喚き始めた。

「あのう……そなたは、何者じゃ……?」

 サカミ姫が恐々こわごわ尋ねると、生き物は両腕を腰に宛て、

麿まろの名はガガイモ。畏れ多くも九十九つくもの神を統べる大御神おおみかみなるぞ。気安く話し掛けるでない、この不埒者ふらちものが」

 肩をそびやかし、憤怒の形相を呈しているようだが、全体の作りが小さいのではっきりとは判らない。

 サカミ姫は後ろを向き、興奮気味に、

「やはり、神様じゃ。わらわが正しかったのじゃ」

「そうと決めるのは早かろう」

 と、能命あたうのみことは冷静に云った。

「一体、何故じゃ?」

「ガガイモなどと云う神は聞いた事も無い。あるいは、狐狸畜生のたばかりとも限らぬ。姫の祇喚かみよびを見掛けたむじな辺りが、ひとつ利用してやろうと化けたのではないか?」

 すると、ガガイモは金切り声を上げ、

「な、な、な、何だとっ? そこの木偶でくの坊め、もう一度、申してみよっ」

「貴殿が神とは即座に信じられぬ。真だと云うなら、証を見せてもらえまいか?」

 と、能命あたうのみことはガガイモの顔を覗き込んで云った。

「お、おのれえ。神の中の神である麿まろに向かって」

 ガガイモはわなわなと身を震わせ、

「神に対し、神をも畏れぬ罰当たりなその態度。神掛けて許せるものでないぞ。望み通り神の証を見せてくれよう。我が神懸りの神力にて神隠しにしてやるわ」

 瞬間、周囲の空気がびりびりと震え出し、サカミは慌てて身をすくめた。能命あたうのみことが身を呈して姫を庇うのと、ガガイモが人差し指を天に掲げるのはほとんど同時だった。

 その直後、稲妻の如き轟音が空を走り、サカミたちの足元に何かが落下した。

 ころん……と、転がってきたその物体は、果たして丸々太った団栗どんぐりであった。




【続】

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