第一部:媛帝 -ハツセノミコトの物語①ー

若き王子を襲う試練。宿敵との出逢い。宮廷に巣食う『影の化物』を巡る戦物語。

第一部 其の一

 穴穂大王あなほのおおきみの在位二年——北魏朝の延興三年、南宋朝の元徽げんき元年、朱利安ユリウス暦の四七三年——の初夏。


 吉備津彦命きびつひこのみこと(吉備国王きびこくのおう)の子・ハツセのみことは、二十余名の臣下を率いて大倭やまとの皇都へ上った。

 ハツセがこの地を訪れるのは五年ぶりにして、十六年の人生で二度目のことだった。今回の上京は、前の大王の大喪たいそう明けに伴い、改めて催されると云う今上陛下の践祚せんそ(即位)の祝宴へ出席する為である。


 当初、ハツセを統領とする吉備国の一団は、水無月の十八日に故国を出立し、同月の二十八日昼までに大倭やまと国へ入るつもりでいた。早馬を飛ばして二日半の距離だから、徒歩で進んでも十分余裕のある旅程と云える。

 しかし、実際に、彼らが皇宮に達したのは、翌文月の九日のこと。予定から十日以上遅れての都入りだった。牛馬百頭の腹が膨れる程の道草を食らって進んだ結果、祝宴の前夜になって、ようやくく到着したのである。


 内実、一行を取り仕切っていたのは、執権補佐に当たる鄙守ひなもり葛城武彦かずらぎのたけひこだが、無頼に等しい集団をまとめながらの道行きは、想像を絶する苦行だったろう。

 ハツセ自身の放埓ほうらつな性質に加えて、同道した家臣の半分が十代の若者の為、主君の思い付きの行動をいさめるどころか、便乗して度々騒乱を起こす始末。その為、突発的な酒盛り、野駆け、女遊び、喧嘩が数多あまた発生し、都度、旅は中断された。

 

 ハツセの乳兄弟でもある武彦は、本来、この直情的で稚気じみた王子の操縦に関する第一人者だが、その辣腕も影を潜めがちだった。理由は武彦自身にも解っていた。無軌道がハツセの天性と云えど、その無軌道ぶりに常ならぬところがあり、どうにも勝手が違ったのだ。

 例えば、若衆の先頭に立って戦話いくさばなしに興じていたかと思うと、一行から離れ、呆然と山野を眺めたりする。自ら言い出した夜宴の最中に、ふいと席を外し、独り星を仰いでいたりする。狂騒を演じた次の瞬間、沈んだ表情を見せる場面が多かった。それは、いままでのハツセにない傾向で、武彦を大いに戸惑わせた。

 

 しんの病でもあるまいし、ひょっとして——と考えた武彦は、山代やましろ国境くにざかいを越えるとき、直接、問い質してみることにした。

 峠に立って、山風を浴びている主君の傍へ行き、

「気がはやって仕方無いのですか?」

「……物珍しく映るか」

 と、ハツセは自嘲するように云った。

「吉備の山猪やまじしと云われる傍若無人な男が、多寡たかが都往きで浮き足立っているなど滑稽だろう。わらっても構わないぞ」

 武彦はおもむろに首を振り、七つ年下の主君を労わるように云った。

「遠からず、統之皇すめるのみこと(大王)にまみえると思えば、気が乱れるのも道理です。どれだけ肝の据わった者でも逸りましょう」

「常に冷静沈着なそなたでもか?」

「私とて同じです」

「それを聞いて、少しばかり安心した」

 ハツセは漸く口元を緩め、

「さて、ここまで来れば、大倭やまとはもうひと息だ。何やら、感慨深いものがあるな」

 稲葉のそよぐ青田を足元に見下ろしつつ、吉備の王子は五年前の事に想いを馳せた。


                   ◆


 初めてハツセが大倭を訪れた折、彼はまだ十一歳の童子だった。宮廷の年始の儀に参列する為、母に連れられて上京したのである。


 都の風物はすべて新鮮に映ったが、当時ときの王・雄朝津間稚子宿禰大王おあさづまわくごのすくねのおおきみの皇宮を見た時は、まさしく度肝を抜かれた。そびえ立つ山の如き高楼は、中へ入ると、いっそう煌びやかで広大だった。内装の飾りは絢爛で美しく、壁も床も水鏡のように磨き上げられていた。


 ——あたか高天原たかまがはらが現世に顕現したような……。

 

 幼心にそう思った。

 更に、廷臣や諸国の王族が居並ぶ祭礼の間に進み、最奥に座す影を目の当たりにした瞬間、いっそう、胸を揺さぶられた。黄金の冠帽を戴き、極彩色の絹衣に身を包んだその人物は、雲上から舞い降りた天孫さながらだった。

「……あれにおわすのが、当今之尊おおきみですよ」

 耳元で母のささやきが聞こえた。

 程なく、その人物が広間に向かって言葉を発し、場の者たちは挙って平伏した。

 御付きの者に促され、ハツセも床に手をついた。太陽の如き威容を、上目遣いに眺めていると、得も云われぬ感情がこみ上げてきた。やがて、それは涙に変わり、瞳からはらりと流れ落ちた。


 年始の儀礼が終わり、吉備へと戻る道すがら、ハツセの頭は都での体験でいっぱいだった。こと、他を圧する大王の権勢には戦慄し、同時に、深い感銘を覚えていた。

 この時、吉備一行の道行きを指揮していたのは、王家の後見人でもある武彦の父・葛城襲津彦かずらぎのそつひこだった。ハツセが嘆息とともに憧憬の念を打ち明けると、彼は微笑して云った。

御子みこ統之皇すめるのみことがお好きですか」

「うん。あれほど立派なお方は見たことがない。日のもとで一番のお方に違いあるまい」

 すると、襲津彦は首を振り、意外なことを口にした。

「仰せの通り、統之皇はやんごと無き方でございますが、日の本一となると、また別になるでしょうな」

まことか?」ハツセは大いに驚愕し、「じい、それは何方どなたなのだ?」

「そのお方は、この大倭やまとの山中にある、照り日の神の宮におわします。御名をヒメノミカドと申される御仁です」

 どのような人物かとハツセが尋ねると、神の如きお方です、と襲津彦は云った。

 

 ——殆ど雲上人うんじょうびとのように映った大王より、まだ上の存在がこの世にいるとは。

 

 天地がひっくり返ったような衝撃を受けた。

 その点も含め、この時の都往きは、ハツセの内面に強烈な印象を残した。


                   ◆


 それから、五年の歳月を経て、ハツセもまつりごとのイロハが解る程度には成長した。

 いまでは、襲津彦が云った『ヒメミカド』が、国の絶対的な祭祀者として大王の上に立つ『媛帝』であると理解しているし、照り日の御子を示す『卑弥呼ひみか』なる古語が、その名の由来であると云う、識者たちの見解も心得ている。

 また、散々、国学や神代の歴史を学ばされたおかげで、法や制度の知識も人並みにはある。

 例えば——。

 

 倭国には、吉備国きびこく出雲国いずもこく筑紫国つくしこく三野国みのこく川内国かわちこくの五王国と、大王が皇宮をおく大倭国やまとこくの六大国があり、その下に数十の国が属している。更に、東方へ行くと、毛野けぬ及び蝦夷えみしの国があり、そこは大王の直轄地である。毛野けぬはかつて狗奴国くなこくと云う倭国の敵対国家であったと云うが、大兄去来穂別大王おおえのいざほわけのおおきみの時代に王朝が絶え、倭国に帰属したと云う記録がある。

 尚、倭国の基礎は五王国の寄り合いで成り立っており、大王とはわばこの寄り合いの盟主である。大王は五王国が持ち回りで輩出する習わしで、これを『国回りの治』と呼ぶ。さき雄朝津間稚子宿禰大王おあさづまわくごのすくねのおおきみは三野国の王族出身、当今の穴穂大王は川内国の王族の出身であり、ハツセの父である吉備国の大鷦鷯尊おおさざきのみことも、四代前の大王を務めている。


 ……とすると、次に大王が立つ時は、吉備の誰かが選ばれるかも知れないのか。むろん、媛帝の宇気比うけい(占い)の結果にも拠るだろうが、少なくとも可能性はあるわけだ。


 そんな思いつきを胸に仕舞い込んで、ハツセは武彦の顔を見た。 

さきの大王にお会いしたのは一度きりだが、素晴らしい方であったように思う。今度の穴穂大王あなほのおおきみは如何であろうか」

まつりごとの手腕はわかりませんが」と、武彦は云った。「色好みのお方と聞いております。身分の上下を問わず、都に美姫を集めておられるとか」

「是非、お相伴に与かりたいものだな。おこぼれが落ちていないか、皇宮の周りを探してみるか」

「物見遊山ではありませぬぞ」

 と、武彦は笑いながら云った。

「承知している」

 ハツセは応えつつ、まだ見ぬ新大王の顔を脳裏に描いた。




【続】

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