大和起つ ~五王の憂悶~
朱里井音多
序
すべての物語はここから始まり、やがて、ここへ帰ってくる。
熊野の森にて
私の記憶違いが無いとするなら……。
出雲国の
大陸流に云えば、北魏朝の太和四年にして南済朝の建元二年。
他方、我ら、この国の原生の神々——
人間の仕業でなく、半島より渡り来た外妖どもに出生の地を追われた為だが、それについては改めて詳説しよう。ともあれ、私自身、戦いを避けて熊野国へ逃げ、那智の森の巨樹に憑依して隠棲を始めてから、百有余年の歳月が経っていた。
◆
その朝……。
いつもの如く、那智大滝の水音で目を覚ました私は、全身全霊を以って新しい日の出を迎え入れた。
樹木と同化してからというもの、森に注ぐ陽光は私にとって何にも勝る御馳走である。虫鳥の囀る中、幽玄の森の澄み切った空気に枝を広げ、土に張った根の先々に精気を巡らせると、
そこへ、かさかさと木の葉の擦れる音が聞こえ、近くの藪から人間の男が現れた。
私は全ての眼の蓋を閉じたまま、密かに男の様子を観察した(我らの眷属は姿形を観ずに気配を読むことを得意とする)。
辺縁の地にそぐわぬ高貴な身なりの若者で、女の如く痩せた腰に大剣を
それから、我が
「お初にお目にかかる。これに参りしは出雲の
また面倒な——と私は思った。誰に教えられたのか、私の事を知っているらしい。
この地に移り住んで以降、人間の訪問を受けるのは初めてではないが、関わり合って良い思いをした覚えは一度もない。多くの場合、願掛けの神と取り違えてやって来て、勝手に落胆しては口汚い罵りを吐いて去っていく。迷惑千万な連中だ。ここは無視を決め込むのが最善と判断した。
呼び掛けに答えずにいると、男の視線が宙をさまよい始めた。内心の戸惑いがありありと伝わる。私が押し黙っている限り、傍目には、ただの老木としか映らないのだから無理もない。
尚も、凡庸な森の一樹を装っていると、甲高い笑いが場を駆け抜けた。
「まあ、
耳慣れた女の声が間近で云った。
気が付けば、藍の
「さ、もう、お
「……おまえの手引きだったか、
私は、渋々、旧友の名を呼び、
「最初から、そなたが出て参ればよいものを。いったい、何の真似だ」
私の発した唸り声が木霊した瞬間、男の顔に緊張が走るのが見てとれた。
一方、八咫烏は悪びれた様子もなく、
「ほんの戯れでございますわ」
「何故、ここへ人間を連れてきた? 外妖どもに知られたらどうするのだ」
「昔語りを聞きたい、とオシハ殿が申されますもので。我ら
「伝えてもどうにもなるまい。人間ごときに何が出来る」
「オシハ殿はひと味違いますわよ」
八咫烏はすっと口の端を吊り上げ、
「なにしろ、
「
驚嘆の余り、私は全ての
突如、巨樹の全身に咲いた百余の目玉を仰いで、出雲の王子がよろめき、後ろへ倒れた。
「な、なるほど……これが
尻餅をつきながら、生意気な事を抜かしている。
こんな男が、黄泉の姫君の御告げの人物だと云うのか。天に立ち込める暗雲を打ち払い、国の行く末を切り拓くと云う、ニニギの末裔の……。八咫烏が信じ込んでいる理由は解らないが、
「それで——私にどうしろ、と?」私は
「先ずは、オシハ殿の御尋ねに、答えて差し上げて下さいませ」
云いながら、八咫烏は男の方を見た。
私は、地面に最も近い一枝の先端を顔形に変異させ、蛇のように伸長させて男の鼻先に突き出した。口に見立てた
「何が訊きたいと申すのだ、出雲の王子。私の気が変わらぬうちに云うがいい」
男は唖然としていたが、やがて、袴の土埃を払って立ち、蹲踞の姿勢に戻った。
「
枝先の顔形を操って
「おお。言い伝えは本当であったのですね。まさに人智及ばぬ
「人に理解できるよう、話をするのはむつかしい」
と、全身の目玉を瞬かせて私は云った。
「人間の心魂・精神は、
「解ったような、解らぬような……」
王子は不思議そうに首を
巨躯の怪異を前に、取り繕う余裕もないのか判らないが、率直な態度は
「それで良い。我らと人間とは、存在の成り立ちからして違う。全て解ろうはずもない。我らは個々の存在に止まらず、もっと大きな流れの中で生きている。兎に角、私がひとたび望めば、この国の誕生から今に至る間に起こった事で、知り得ぬ事はひとつとしてない。大気に心魂を伸ばし、同属千万の意識に触れればいいのだ。百百目隠の名前の由来でもあるが……それを行うには、求める知識がどのようなものか、明白かつ
「何故、このような時代になり果てたのか。
「このような、とは?」
「いまの世は、風紀の乱れ甚だしく——為政の者どもは不正に勤しんで私腹を肥やし、民は重税と天災旱魃に喘いでおります。田畑は荒れ、人心は病み、国は滅びつつあるやに映ります。貴殿ら
身を乗り出すようにして王子が云った。その隣で八咫烏が頷いている。
私は、枝先の顔形を
「如何にもそうだが——その因果を過不足なく語るには、膨大な時を必要とするぞ。私の話が終わる頃には、汝は
「十歳も……」
「こうしては
と、逡巡する王子の脇から、八咫烏が助け舟を出した。
「倭国を形作る人間たちの五王国にて、各々、媛帝への叛意の芽が育ちつつあると聞き及びます。その芽たちの歩みの物語りをお聞かせ下さい、隠翁様。それらを通して、オシハ殿の求める知識の
私は全身の目玉を男に注いで、「それで良いのか? 出雲の王子」
すると、男は無言で頷いた。
「では、耳を
心魂の腕を天に伸ばしながら私は云った。
「始まりは、
【続】
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