第一部 其の六

 木梨軽王子の一件から半月後——。

 

 学寮の友・坂合さかあい黒彦王子くろひこのみこに呼び出されたハツセは、葛城武彦かずらぎのたけひこを伴って都の北を目指した。黒彦の住処は、山代やましろとの国境くにざかいに程近く、俗に『うぐいすのお山』と呼ばれる神奈備山かむなびやま(神の降りる依代を擁する山)の麓にあった。


 ひる過ぎ、黒彦の居館に到着した二人は、入り口で、身形みなりからして富貴の者と判る、痩せぎすの中年男と鉢合わせた。どこかで見覚えのある顔だ、とハツセが思っていると、後ろを歩いていた武彦が進み出て、親しげな口調で話し掛けた。


「これは、つぶら殿。お久しゅうございます。幾年も前に、氏上うじのかみ殿(※ここでは、葛城一族の家長・玉田宿禰)の館でお会いして以来ですな」

 途端に、相手の顔が綻んで、

「おお。武彦殿ではありませぬか。よもや、このような場所でお目にかかるとは」

「私とて同じ思いですよ。そのかん、健やかにお過ごしでしたか?」

「先ず先ずと云うところです。武彦殿も御変わり無いようで……。して、そちらのお供の方は何方どなたでしょうか」

 武彦は主君の方を振り返りつつ、

「こちらは、私が仕える吉備国の王子、ハツセのみことです」

 すると、男は胸に両手を当て、慌てたように、

「これはまた……お供の方、などとご無礼申し上げました。私、武彦殿の甥のつぶらと申します。みことのお噂はかねがね——」

「こちらこそ、御名は聞き及んでおります」

 と、ハツセは云った。

葛城円殿かずらぎのつぶらと申すは、皇宮一の切れ者なり、と」

「まったくの買い被りでございます。大王のご厚意で大役をたまわり、日々、汲々きゅうきゅうとしながら、務めを果たしております」

 葛城円かずらぎのつぶらは、何度もかぶりを振って謙遜した。


 ——随分、腰の低い人物だな。『おみ』(『むらじ』と並び、高位のうじに与えられる称号)のかばねたまう大王の寵臣にして、宮廷まつりごとの中枢を担う高官だと云うのに……。しかし、しんの向きを眺める限り、武彦同様、裏表のない人物ではあるようだ。富や身の栄達に執着が薄く、まつりごとを切り絵合わせの如き遊戯と見做みなす、或る種の異才、と云う噂は真やも知れぬ。


 変わり種だが、有力豪族の出にしては、あぶらぎったところのない好人物らしい。脳裏に浮かんだ幾人かと比べつつ、ハツセはそう考えた。

 抑々そもそも、武彦やつぶらの血縁である葛城かずらぎ氏は、都の南西の葛城の地を本拠とする由緒ある氏族である。父祖は半島の伽耶かや国より渡来したとも云われ、代々の大王の下、皇宮の要職を輩出してきた歴史がある。

 その葛城氏と同格である物部や大伴の者たちの——主として、宮中における——尊大な振る舞いを考えると、葛城円かずらぎのつぶらの態度は、益々ますます物珍しく映った。


 ちなみに、吉備王家の後見を務めた武彦の父・襲津彦かずらぎのそつひこもまた、元を辿れば、大鷦鷯大王おおさざきのおおきみ治世下の皇宮の重臣だった。大王の崩御後、王妃と生まれたばかりの王子・ハツセの行く末を案じた彼は、官職を辞した上、二人について大倭やまとから吉備へ下ったのである。

 その折、襲津彦は長男の玉田宿禰たまだのすくねに家長の座を譲り、当時、七歳だった武彦のみを連れて行った。その為、玉田宿禰の子に当たるつぶらは、謂わば、葛城氏本家の嫡流を継ぐ人間であり、一方の武彦は、吉備の分家と云う扱いになっている。


「……して、つぶら殿。本日は、何用でこちらへ?」

 と、歳上の甥に向かって、武彦が云った。

 異母兄弟の玉田宿禰と武彦の年齢差が三十近い関係で、甥の円の方が叔父の武彦より八つ上であった。

 葛城円かずらぎのつぶらは笑みを取り戻し、

「黒彦王子に呼ばれましてね。助手を務めるべく参ったのです」

「助手とは、何の助手です?」

 と、ハツセが訊いた。

「本日は、新奇の武具を用いた、特別の物験ものだめしを行うとか。実を申せば、黒彦王子とは、宮廷の酒宴で、鍛鉄たんてつわざの課題について論を戦わせて以来、懇意の間柄でして。折に触れ、王子の考案した種々の業の物験しを、見学したり、手伝ったりしているのです」

「それは初耳ですな」

 と、武彦は云った。

 ハツセは妙に感心して、

「黒彦殿もなかなかの遣り手であったのだな。当代とき大夫たいふを物験しの助手にき使うとは……」

「あ、いや。むしろ、逆さです」

 葛城円かずらぎのつぶらは手を振って、

かねて、物造りに関心のあった私の方から、王子にお頼みしてお手伝いさせて貰っているのです。正直、宮廷の仕事よりも、工具や米作りの道具をもてあそび、この部分は別の素材に変えるべし、ここは改良した方が使いやすかろう——等、創意工夫を凝らしている方が性に合うと申しますか……。黒彦王子も似た性質たち故、心の通うところがあるのです」

「となると、今日も、新しき道具の物験しが?」

「ええ。お二人も、それで参られたのでは無いのですか?」

「実際のところ、よく解らぬのです」

 ハツセは苦笑して、

「見せたい物がある故、来られたし——とだけ。兎に角、本人に会ってみましょう」


                  ◆


 館の中へ入っていくと、黒彦王子がじりじりした様子で、

「遅かったではないか、そなたたち。何時まで我らを待たせるのじゃ」

 その背後には、もう一人の学友・眉輪王子まよわのみこの姿もある。ハツセたち同様、黒彦に呼び出されて来たのだろう。

「いやはや、職務が溜まっておりましたもので。何卒、ご容赦下され、黒彦王子」

 と、先頭に立つ葛城円かずらぎのつぶらが律儀に詫びた。

 刻限も知らされていないのに、遅かったも無いものだ、とハツセは思いつつ、

「そも、本日は何の集いなのだ? 黒彦殿。先刻、何やらの物験しをするとつぶら殿に聞いたが、それをわしらに見せるのが目的か?」

「説明しても始まるまい。後ろの庭に仕掛けの用意をしてある故、皆様方、私について参られよ。……おっと、助手の円殿は、物験しに用いる道具の箱を——それ、そこの壁に、大箱が立てかけてあるじゃろう? あれを、持って来て下され」

 居丈高な調子で、黒彦は云った。

 早足で庭へ向かう彼の後を追いつつ、ハツセは小声で眉輪王子に問うた。

「黒彦殿の様子、何時いつもと違わぬか? 学寮の先生のように威張って見える」

「物造りが絡むと人が変わる、と聞いたぞ。実際、私も見るのは初めてだが」

 と、眉輪は応えた。 


 館の後庭の真ん中には、四角く切り出された大きな木の板が置かれていた。

 それを囲む形で客人たちを集結させると、黒彦はつぶらが運んできた大箱を開け、手鞠てまり程の球体を取り出した。

「ご一同。これが本日の主役じゃ」

 そこで、ようやく、ハツセも今日の趣向を理解した。

 黒彦の手にある球体の形状が、姫神衆の矢に付属していた奇妙な玉そっくりだったからだ。ハツセから先のいくさの話を聞いた黒彦は、その玉に強い関心を持ち、自ら再現しようと考えたのだろう。

 器用なものだ、と感心しつつ、いまだ物問いたげな他の者たちに、ハツセは玉の事を説明した。それから、黒彦の方へ向かって、


「自作の玉が姫神衆のものと遜色そんしょくない出来か、確認させる為にわしを呼んだのだな」

「少し違うが——先ずは、己で試すが良い。一見に如かず、というやつじゃ」

 にんまりとして黒彦は云い、摸造もぞうした玉をハツセに手渡した。

「これを如何せよと云うのだ?」

「そのまま、木板の上に放ってみよ」

 さっぱり意味が解らぬまま、ハツセは云われた通りにした。

 落下した玉は板に当たって砕け、中から金属の細刃がこぼれて周囲に散らばった。

「ほらな。こうなってしまうのじゃ」

 黒彦は大仰に首をすくめて、

「玉に封じた刃は、精々せいぜい、落ちた傍に散らかるだけで、ハツセの君の話が如く、跳ね返ってくうを舞い、周囲の者に襲い掛かりはしないのじゃ」

「落下の高さが足りぬのではないか? 姫神衆の矢は、一度、天に飛んでから落下した故、地に衝突した反動も大きく、中の刃が勢い良く跳ね飛んだのやも……」

「なかなか良いところに気が付くのう」

 と、黒彦は、その道の大家のような口振りで、

「ならば、一つ試してみよう。助手殿、大箱より弓矢を取り出すのじゃ」

「承知しました」

 と、うやうやしく応え、葛城円かずらぎのつぶらは黒彦の言葉に従った。

「助手殿。今度は矢の先に玉を取り付けよ。終わったら、それをハツセの君に」

「承知しました」

 つぶらはてきぱきと動き、指示通り、玉付きの矢と弓をハツセに渡した。

 日頃、小心な性質の黒彦が——地位の上で遥かにまさる——つぶらを手足の如く使うさまに、場の者たちは、少々、肝の冷える想いをした。


 丁度ちょうど、木板に落ちるように撃て——と云う黒彦の言に沿い、ハツセは頭上目がけて矢を放った。

 矢は天高く駆け上がり、日輪にちりん(太陽)に届くかに見えた。

「我らが放てば、あの半分も飛ばせまい。いや、流石はハツセ殿だ」

 眉輪が感心したようにうなずいている。

「先の戦果が散々だったと聞き、武勇の噂を疑ったが、満更、嘘でもないようじゃ」

 と、黒彦が要らぬ口を叩いた。

 やがて、落ちてきた矢は木板に当たり、先端の玉が割れて中身が飛び出した。落下の反動で細刃の跳ね上がった高さは、先刻の倍以上で、勢いも強かったが、人間のからだを易々貫く程とは思われない。

「これを皆様方に見せたかったのじゃ」

 と、黒彦は云った。

「色々と試してみたが、このような玉の細工では、細刃の飛散を上手く操れず、効率良く敵を殺める事はできんのじゃ。熱したまきぜる時のような、自然の跳力が働く仕掛けを作れれば別じゃが……そのようなものは聞いた事がない」

「つまり、如何なる結論になりましょうか?」

 と、つぶらが訊いた。

「ハツセの君の戦話を信ずるなら、姫神衆の矢は自然のものではなかろう。何かをしておるな」

「ずる?」

「恐らく、鏃の玉に、特別の力が込めてあるのだろう。人でない何某なにがしかの力じゃ」

 黒彦の言葉を聞いた瞬間、ハツセの脳裏に半月前の事が蘇った。


                  ◆


 大前宿禰の館で木梨軽王子の死を看取ったハツセは、穴穂大王に事の経緯を報告すべく、その日のうちに皇宮へ昇った。

 王子を死なせてしまった旨、ハツセは平伏して詫びたが、大王は彼を責めなかった。

「今一度、顔を見て、話をしたかったが……。戦場いくさばの成り行きでは仕方あるまい。そこで果てるが王子の運命だったのだろう。そなたの所為とは思わぬ」

 しかし、王子をあやめたのが自分たちでなく、姫神衆である事をハツセが伝えた途端、色を失い、

「最初から、王子を殺すつもりであったのか……。それ故、態々わざわざ、姫神の者を遣わされたと云うのか、媛帝の君は……」

 更に、ハツセが、木梨軽王子の最期の言葉を伝えると、穴穂大王は肩を震わせて、

衣通そとおり姫を、悪鬼のにえとするな……まことに、王子がそう申したのか?」

「はい……」

「姫を魑魅魍魎の巣窟から救いたい。そう云って、王子は死んでいった、と……」

 ハツセは下唇をきつく噛み締めて、

「何ひとつ御命ぎょめいを果たせず、申し開きもございません。もし、大王のお許しがあれば、照り日の神の宮へ昇り、せめて、事の原因を探って参ります」

 しかし、穴穂大王は首を横に振った。

「そなたは何もしなくて良い。神の宮へは私自らおもむく事にする。それから、木梨軽王子が申した事、くれぐれも他言無用に願いたい」

「はっ」

「私が宮へ参り、媛帝の君の真意を伺った上で……万一、王子の一件が、先方の過ちであった時は——」

「その時は?」

「いや……何でもない。大儀であった。己が館に戻り、体を休めるが良い」

 云い終えるや、大王は玉座を立ち、謁見の間を後にした。


                  ◆


「では、姫神衆の矢は、妖術を用いたものだと云うのか?」

 黒彦に尋ねる一方で、ハツセの脳裏には、あの謁見の折のやりとりが浮かんでいた。ひょっとすると、穴穂大王は、媛帝の兵がまともな人間で無い事を知っていたのではないか。

「妖術か知らぬが、人外の力としか考えられん。伝え聞く姫神衆の矢の威力は、明らかに自然の摂理に反している」

 黒彦はきっぱりと云った。

 隣にいた眉輪は額に皺を寄せ、

「媛帝の君は『神仕かみつこ』の儀の為に、姫道きどうなる神秘の術を操られると云うが……あるいは、姫神衆にも同じ力が宿っているのだろうか?」

「何とか、それを確かめる道はないものかな」

 と、ハツセは腕組みして云った。

「確かめて何とするつもりじゃ?」

「やりたい事があるのだ」

 仮に、姫神衆が人外の力に通じているなら、木梨軽王子の云う悪鬼とは彼らの事かも知れない。その悪鬼どもに衣通姫が囚われているとすれば、見殺し同然に死なせた王子に代わって救い出したい。それが、せめてもの罪滅ぼしのように、ハツセには思えたのである。


「是非にも……との仰せなら、道が無い事もありませぬ」

 武彦が思い詰めた表情で云った。

 主君の顔をまじまじと見詰めた後、彼は年上の甥の方を振り返った。




【続】

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