第一部 其の七

つぶら殿が廷臣の長たる大臣おおおみの位にある事は、王子もご存じでしょう」

 と、武彦は云った。

「その、大臣おおおみの所管する政庁は広範に渡りますが、その中には、祭祀儀礼を司る巫之部かんなぎのべや、照り日の神の宮にまつわる諸事を取り計らう祝之部はふりのべも含まれます。供物くもつ御物おもの(※ここでは、神仕かみつこの巫女や女官の食事全般)を神の宮まで運ぶ遣いの者や、警護の舎人とねりを手配するなども、そのひとつの筈。通例、我ら世俗の者は、照り日の神の宮に近寄れませぬが、つぶら殿にお頼みあれば、あるいは……」

成程なるほど。姫神衆について探りたくば、つぶら殿のご助力を乞え、と云う事か」

 ハツセは得心したように頷いた。


「な、何を申されます、武彦殿。いくら、私でも、神の宮には手を出せませんよ」

 葛城円かずらぎのつぶら周章狼狽しゅうしょうろうばいていで、

抑々そもそも、媛帝のおわす照り日の神の宮は、大倭やまとの中でも隔絶された独立の域にて、殆ど、それ自体がひとつの国の如きもの。神宮しんぐうのある山そのものが、皇宮の支配の及ばぬ特別の土地なのです。周囲は、くずの茎を太巻きに編んだ尻久米縄しりくめなわ注連縄しめなわ)が張り巡らされ、日夜、その外側を姫神衆が見回っております。宮のある頂きまでの道程は、西の麓から上がる山道一本のみ。こちらの舎人とねりらは、その入り口と都を繋ぐ細道に仮屋かりやを築き、検問の真似事をしている程度。大臣の私でさえ、縄の向こうへ進む事は許されぬ故、神の宮の事など知りようも無いのです」

「では、姫神衆についても判らぬ、と?」

「媛帝に仕える兵と云う以外は知りません。如何なる出自の者たちで、どのような体系で動いているのか……すべて謎と云うほかありません」


「——とは申せ」

 ハツセは食い下がり、

「さすがに、荷運びする遣いの者らは、内部の事に通じているのでは? の方で用意した物資を、宮の中へ運び入れているのでしょう?」

「それも、あくまで、山道の入口に立つ前宮さきのみやまでの事。そこに控えし女官たちに荷を受け渡し、彼らが神の宮まで運ぶ手筈てはずなのです。あくまで、こちらは、調達の雑事を請け負っているだけで、神の宮の内情に触れる機会はありません」

「では、もし、見回りの隙をつき、縄の内側に潜入せんと思えば、出来ると思われますか?」

「姫神の者らの警護は厳重です。見付かれば命はないでしょう。過去、不可侵の掟を破りし者は、例外なく、首を落とされています」

「左様でしたか……」

 ハツセが肩を落としていると、葛城円かずらぎのつぶら怪訝けげん面持おももちで、

「そこまでして、姫神の矢の秘密を知りたいのですか?」

「まあ、その事もあるのですが——」

 ハツセの答えは歯切れの悪いものになった。木梨軽王子の最期について大王に口止めされている為、あわよくば衣通姫そとおりひめを助けたい、とは云えない。土台、姫が神の宮にいると云うのも、自分の推測に過ぎないのだ。

「それでも、前宮さきのみやまでで良いから行ってみたい、との仰せなら、取り計ってみますが……。段取りが整うまで、暫く、お待ち戴く事になるか、と」

 葛城円かずらぎのつぶらはそう云って、不思議そうに首を捻った。

 

                  ◆


 その数日後、所管内で発生したいくつかの問題について、お伺いを立てる為、ハツセは皇宮に参内した。


 穴穂大王に会うのは、先の戦の当日以来だったが、謁見の間に現れた大王を見てハツセは驚愕した。

 肥え気味の体躯たいくが一回り小さくなり、元来、下膨れであった頬が引っ込んで、けてさえいたからだ。肌は全体的に黄味がかり、目の下には青々としたくまが出来ている。

「お上、お加減が優れぬご様子ですが……」

 と、ハツセは案じた。

「ふむ。近頃、眠れぬ事が多くてな。少々参っておるのだ。この通り、我が自慢の太鼓腹も引っ込んでしまったよ」

 大王は腹を叩いて笑ってみせたが、空元気としか映らなかった。木梨軽王子を失った事による心労の所為せいでは、とハツセは思った。しかし、それにしても、急過ぎる変貌振りだ。

「何卒、ご自愛下さりませ。お上に万一の事あらば、国の行く末に関わりましょう」

「解っている。病ではない故、そう心配するな」


 もともとの用件について報告した後、ハツセは、ふと気になって聞いてみた。

「……ときに、お上。媛帝の君とは、お会いになられたのですか?」

 大王は頷き、

「そなたと話した翌々日にな。照り日の神の宮へ昇り、お目通りの機会を戴いた」

「それで、媛帝の君は何と仰せに?」

「うむ。過日の騒動については、格別の——」

 大王は口にしかけた言葉を飲み込んで、

「まあ……色々とあったようでな。この場で語るには長過ぎる故、また、機を改めて話そう。本日はまことに大儀であった」

 何処となく不穏な気配を感じたハツセだが、大王がそそくさと席を立った為、それ以上、訊く事は出来なかった。



                  ◆


 葛城円かずらぎのつぶらから、ハツセの元に連絡があったのは、更に、その半月後の事だった。神の宮への潜入の段取りが出来た、と云うのである。

 それに拠ると、月に一度、十六夜いざよいに当たる夜に 、神の宮にさかきの枝など神事の用具を奉献する慣例があり、その際、遣いの者に身をやつして荷運びに加われば、前宮さきのみやまでは行く事が出来よう、との事らしかった。

 つぶら本人は、神の宮に仕える者たちに顔を知られている為、この潜入に同道しないと云う話である。

 それとは別に、小心の黒彦王子も、

「夜にそんな恐ろしげな場所に行ったら、心の臓が止まってしまう」

 と、云って参画しなかった。

 実際、大人数で行っても怪しまれかねない為、ハツセと葛城武彦に眉輪王子まゆわのみこを加えた三人で行く事でまとまった。


 決行の夜、ハツセたちは人夫にんぶ風に変装し、皇都の北にある祝部はふりのべ御倉みくらの前で、荷運びの遣いの者らと合流した(事の露見を防ぐ為、見習いの若衆と云う扱いにされていた)。遣いの者らとともに荷車を引きつつ、ハツセたちは神の宮のある東南の山へ進んだ。

 行ってどうなるのか、神の宮に近付いて何をすれば良いのか――実際のところ、ハツセ自身にも見当がつかなかったが、兎に角、様子を覗いてみたい思いが強かった。それで、衣通姫の行方がつかめれば上出来だし、姫神衆に感じとったきな臭さの原因につき、確かめたい気持ちもあった。いずれにせよ、嗅覚のみで突き進む当たりが、直情なハツセらしい行動とも云える。


 一方、事情に詳しくない眉輪王子も、先の戦の話を聞いて以来、姫神やその背後にあるものに対し、密かな疑いを抱き始めていたらしい。神の宮を目指す道の途中、同じ荷車を引くハツセの耳元で、こんな事をささやいた。

「媛帝の君と云うのは、俗世と一切の関りを持たぬきよらな存在にして、国家の為に、惟神かむながらの御言葉(神慮)を授からんと、日々、邁進まいしんされている、ある種の求道者のような方かと思っていたが……存外、恐ろしい方なのであろうか」

「どうして、そう思われたのだ? 眉輪殿」

「戦場に姫神衆を遣わせて、あやしの術で血を流させるような御仁と知ったからさ。抑々そもそも、姫神衆なる存在自体、虚構のものとばかり思っていた。喧騒を好む都人みやこびとらが、物慰みに云い出した空言そらごとだ、と。神の化身とも云われる御方おんかたの下に、冥府めいふの兵とも呼ばれる軍団が仕えているなどと云う話、到底、信じられるものではない」

「それはわしにもよく解る」

 ハツセは頷いて、

「あの戦で顔を合わせるまで、わしも似たような事を思っていた。姫神衆の名で、様々、噂が飛び交っているが、実態は、神仕かみつこの女官による自警の隊が精々せいぜいであろう、と」

「本当に、そのような軍団が実在するとなれば、神の宮について疑いを抱くのも自然だろう。我が国の至尊之君しそんのきみ(最高位の存在)は『媛帝』なり、と知らぬ者はないが、あくまで、神がかりを行う御立場であり、まつりごととは無縁の象徴の存在と、皆、思っている。有り体に言えば、内実の治天ちてんの君(支配者)は大王である、と——それがおおやけの理解と云うものであろう。だが、その媛帝の君があやしの兵を操り、国の争い事に干渉しているとなると、それは——」

「則ち、どう云う事になると思うのだ?」

「いや。まあ、具体的な事は判らぬが……」


 一刻程、かみの大路(大倭の東の大路)を南下した後、荷運びの一行は、山道の入口へと続く細道に入った。

 途中の仮屋で、舎人とねりらの検問を受け、更にしばらくく進むと、山の麓に前宮さきのみやと思しき建物があった。その造りは、舎人とねりの仮屋よりも、一層、簡素に見えた。

 ハツセたちは、本物の遣いの者について入り口をくぐったが、中に誰もいなかった。綺麗に掃き清められた床には、何ひとつ置かれていない。宮と云う名は付いているものの、物資の受け渡しにのみ使う場所のようだ。


「当分、ここで待っていよう。そのうち、神の宮の方が降りて来るからな」

 前宮さきのみやの中に荷を運び入れ終わると、遣いの者らの元締めらしき男がそう云った。

 同行したほかの者たちにならい、ハツセと武彦は床に坐して待っていた。

 やがて、気晴らしに外を見に行った眉輪が、慌てた様子で呼びに来た。

「如何したのだ、いったい」

 と、ハツセが訊いたところ……。

「兎に角、私について来てくれ。何やら、可笑おかしな者がいるのだ」


 眉輪の手引きで、建物の背後に回ってみると、その先に、何十もの尻久米縄が張り巡らされていた。縄の向こうには、神の宮へ昇る山道の入り口が見える。

 その麓にある小さなほこらの辺りを指差して、 

「ほら、あの女だ」

 と、眉輪は云った。

 ハツセは、闇に目を凝らした。祠の脇に立つ大樹の下に、正座の姿勢で地面に坐し、動かずにいる人影が見える。

 やがて、頭上の雲が晴れ、月光が差し込むと、女の白い顔が浮かび上がった。

 並々ならぬ美しさだが、とても正気とは思われない。

 人形のように虚ろな瞳で、何を見るともなく前方を見詰めている。


「……衣通姫そとおりひめ

 と云う呟きに、ハツセと眉輪は武彦を振り返った。

「両の目蓋まぶたのに黒子ほくろがひとつずつ。つぶら殿に聞いた姫の特徴と同じでございます……」

「真か?」 

 ハツセは女の方へ視線を戻し、

「では、あれが、木梨軽王子の妹君の——」

「いったい、あそこで、何をされているのでしょう」

 

 その直後、いっそう、奇妙な事が起こった。

 祠の扉が独りでに開き、黒く細い影がいくつも這い出してきたのである。

 それらは、まるで、蛇の如く動いて空を伝い、女の方へ近付き始めた。

「な、何なのだ、あれは……」

 眉輪がおののき、後退あとずさる気配がした。

「まさか、姫を捉えんとしているのでは?」

 と、武彦が云った。

莫迦ばかな——」

 慌てて、ハツセが縄を越えようとした時、影どもが一様に伸び上がり、中空で肥大した。絡み合い、投網とあみの如く膨れ上がったそれは、素早く姫を飲み込み、祠へ引っ込んだ。

 祠の扉が、またしても、独りでに閉り、何事も無かったような静寂が辺りに広がった。

 

 ハツセたちは、暫く、無言で立ち尽くしていたが、がさり、と云う物音を聞いて我に返った。

 出所を探ると、姫神衆と思われる身形みなりの者が間近に見えた。ハツセは無言で二人に合図し、草葉に隠れようとした。

 が、向こうも直ぐに気付いたらしい。一足飛びに迫り、ハツセの前へ立った。

 眼前に現れた顔を眺めると、相手はまが漁火いさりびだった。

「……おや? これは、三大帥さんのたいすい殿ではありませぬか」

 獲物を見付けたように愉しげに、紫の唇を歪め、

「よもや、このような場所でお会いするとは。何をしておられるのです?」

 ハツセが言い淀んでいると、漁火は低く笑って、

「その恰好かっこう、なかなかお似合いですな。吉備の王子ともあろう方が、荷運びの人夫にんぶとは。それとも……人夫にんぶの真似は隠れ蓑で、死んだ王子の為、衣通姫そとおりひめの安否でも確かめに参られたか?」

「なっ……」

「判りやすいお方だ。そう身構えずとも、何も致しませぬ。ハツセのみことを害するような真似をすれば、私自身もお叱りを受けてしまいます故」

如何どう云う意味だ?」

「大切なお方、と云う事ですよ。世の流れにとっても、我らにとっても。宜しければ、みことも神の宮に参り、媛帝の君にお仕えしませぬか? 媛帝の君が為に働くは、最上の悦びですぞ」

生憎あいにくわしは大王に仕える身。大王の為に働くを誇りに思っている」

「まったく、面白い御仁よ。口を開けば、大王、大王、大王……。先の戦で申し上げた事が、まだ、お解りでないらしい。統之皇すめるのみことは、『』にて、天をも従える媛帝の君とは比べるべくもありませぬ。媛帝の君こそ我らの神、真に仕えるべきお方ですぞ」

「…………」


 両者の間で、奇妙な睨み合いが続いた。

 眉輪はただ、息を飲み、成り行きを見守った。

 武彦は密かに、懐の刃へ手を伸ばし、主君の危機に備えていたが、結局のところ、杞憂に終わった。

 気味の悪い忍び笑いを長く続けた後、漁火は声高にこう云った。

「荷運びの人夫の御三方。お務め大儀なり。この先は、世俗の者の立ち入れぬ神の地故、引き返して、お帰りになるが宜しかろう。からの荷車を忘れぬよう気を付けてな」

 

                 ◆


 その夜から、ひと月余りが過ぎた頃、都で倭国を揺るがす大騒動が起こった。

 眉輪の父である出雲国王・大草香おおくさか王が、皇宮内で殺されたのである。


 やがて……。

 この件は、大草香王の妃を奪わんが為に、穴穂大王が企図した謀略である——と云う、恐るべき風説が巷間を駆けた。




【続】




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