第一部 其の三

 ハツセの父・大鷦鷯大王おおさざきのおおきみは、「仁徳篤き百舌鳥耳原もずのみみはらの大王」として、今も民に親しまれる優れた為政者であった。

 百舌鳥耳原と云うのは、大鷦鷯大王の御陵みささぎ(墓陵)が立てられた川内国の地名であり、生前、大王が同地に赴いた折、死んだ鹿の耳から百舌鳥もずが飛び出すのを目撃した、と云う逸話に由来している(故国の吉備でなく川内を陵地に選んだのは、同国の民が食い扶持に窮しているのを案じて、公共事業としての造陵計画を考えた為と云う)。


 自分が嬰児みどりごの頃に没し、顔さえ知らない父王に、ハツセは昔から強い敬慕の念を抱いていた。

 時折、山のように大きな腕に抱かれ、温もりの中で揺蕩たゆたう夢を見るが、それが、皇宮で父と暮らした短い日々の記憶なのか、自らの空想なのか、定かではない(大鷦鷯大王の崩御後、母は吉備国にハツセを連れ帰って育てた為、幼いハツセが大倭にいたのは数か月の事であった)。

 いずれしても、母や往時を知る者の語る父王の話は、その賢君ぶりを表すものばかりだった。それを聞くだに、幼いハツセの中に、野望ともつかぬ熱い感情が募っていった。


 ——己も何時か、父のような偉大な王になり、民の為の善き政を行ってみたい。天災や外圧に脅かされず、誰もが笑って暮らせる豊かな国を造りたい。


 年を重ねるに連れ、想いは強くなったが、実現の為に何をすれば良いのか見えずにいた。則ち、吉備でくすぶっていた間の彼のやんちゃぶりは、やり場のない情熱の発露だったとも云える。

 その意味で、ハツセが穴穂大王の提案を受け入れた事は、当然の成り行きと云えた。


                  ◆


 冬——。

 ハツセが大倭で暮らし始めて、半年の歳月が過ぎようとしていた。


 穴穂大王あなほのおおきみに賜った城郭は、大倭やまとの盆地の東南に位置する谷にあり、北側を大神山おおみわやまに面していた。大神山は、古来より、神の降りる山として知られる霊峰である。

 また、谷の南側にある忍坂山おさかやまには、山頂に太古の精霊ちひが暮らすと云う伝説があると云う。一度、登って真実を確かめたいと考えているハツセだったが、今のところ、望みを果たせぬままだった。


 そうした環境に、葛城武彦かずらきたけひこ以下、大倭やまとに残留した家臣らとともに暮らしつつ、ハツセは多忙な日々を過ごしていた。葛城武彦かずらぎたけひこなどは主君の世話を焼く為に、国の執政補佐たる鄙守ひなもりの職を辞して大倭に残ったのである。

 官職を務めながら学寮通いする生活は、若いハツセにとっても楽ではなかったが、故国より賑やかな皇都の雰囲気は好きだったし、各地から上京した様々な人との交流は大いに刺激になった。


 宮廷の出仕者としてのハツセに与えられた仕事は、大帥たいすいと云う事の役職であった。大帥の中にも序列があり、一大帥いちのたいすいは、えびすの地(五王国の外にある毛野けぬ以東の倭国領土)を監察し、国軍を率いる大将軍を指す。

 ハツセが任じられた三大帥さんのたいすいと云うのは、大倭国やまとこく内の一つまたは複数のこおり(国の下の行政単位)の警察権を持ち、百名程度の兵を率いて地域の安寧を図る役職である。制度上、大王の直属に当たり、場合によっては内乱の鎮圧などに動くこともある。


 一方、大倭の学寮においては、王道を志す者(諸国王族の血縁者)たちの通うかみの院の名簿に名を連ね、王学を初めとする諸学を学んだ。

 入寮後に知ったことだが、学寮は二部制を敷いており、ハツセらの属する上の院のほかに、宮廷の要職を目指す有力豪族の子弟が所属する部局が存在し、これをしもの院と云った。

 上下の院における科目(授業)の半分は重複しており、両者の学生が共同で学ぶ場面も多い。自然、出自の異なる様々な者同士が、一所に机を並べて学ぶ事になる。その為、学生らは寮の構内にいる限りにおいて、身分の序列なく対等な付き合いをすべし、と云う規則があった。


 学寮入寮後、ハツセが親しく交わるようになった上の院の学生には、出雲国の大草香おおくさかおう王の子・眉輪マヨワ王子と、三野国の坂合黒彦さかあいのくろひこ王子(前の大王・雄朝津間稚子宿禰大王おあさづまわくごのすくねのおおきみの子)がいた。自分の意志でここへ来たハツセと異なり、二人とも血縁者の強い推薦で入寮したらしく、大王候補となる事への関心が薄かった。それゆえ、競合相手として見る事無く、互いに気楽な付き合いが出来る点は、ハツセにとって大変有難かった。


 尚、『国回くにまわりの』は、五王国が交替制で大王を立てる制度であるものの、次の候補を輩出する国の順序を明確に定めていない。吉備の次は出雲から……と云うような暗黙の了解は存在するが、当該の王国に適格者が存在しない場合など、別の国から先に大王が立つ場合もある。従って、(先例が少ないとは云え)、同国から続けて大王が出る事も、理屈上、有り得た。

 また、近年は、五王国の合議でなく、媛帝の一存で候補者が決まるよう傾向が強まり、と云う言葉の本来の意味が、次第に失われつつあるようにも見える。その為、上の院に通うどの王子が日嗣皇子ひつぎのみこ(次の大王)に選ばれるかは——ハツセたち自身は当然として——当代の穴穂大王あなほのおおきみさえあずかり知らぬ事だった。


 上の院の二王子以外に、ハツセにとって気になるは、物部目もののべのめと云う若者だった。下の院に通う彼は、皇都の有力豪族・物部もののべ氏の出身で、その父・物部伊莒弗もののべのいこふつは宮廷の要職を歴任した人物であると云う。

 年齢はハツセの二つ上だが、これまでに見た事の無い程の長身で、伊吹山の大蛇おろちを退治した国史の伝説的英雄・『倭武やまとたける王子』(八代前の大王・大足彦忍代別大王おおたらしひこおしろわけのおおきみの子)を髣髴ほうふつとさせる容貌魁偉ようぼうかいいの人物だった。


 噂では、外見に違わぬ怪力の持ち主で、夜道で襲ってきた十余名の盗賊を、ことごとく返り討ちにした事もあると云う。寡黙で、常に眉根を寄せている無愛想加減も手伝い、学生たちの間でも恐れられていた。

 それ故、講義で一緒になっても、皆に敬遠されていたが、ハツセだけは彼に強い興味を持った。相手のしんの向きが視えるハツセの眼に、不可解なの人物として映ったからである。

 例えば、小心だが純朴な黒彦王子が芥子からし色、やや冷笑的だが友人想いの眉輪王子が若菜わかな色に映るのに対し、物部目もののべのめの心は固く閉じられた透明な門を思わせ、自らの色を表出させまいと努めているかに見えた。


 まるで、鉄の塊の如き巨漢の内側に、どんな感情が潜んでいるのか——気になったハツセは、寮の廊下ですれ違った折に声を掛けてみた。

「物部目殿とお見受けする。わしは吉備の彦命ひこのみことの甥、ハツセと申す。以後、お見知りおきを」

 精一杯の笑顔を作ったが、相手はぶっきらぼうに頭を下げただけだった。

「ときに、物部殿は、昨年より、都の南西を司る三大帥をしておられるとか。大帥職の先輩として、務めの心得などお聞かせ願えまいか」

 ハツセが懲りずに話し続けたところ、

「……無い」

 そう云って屋外に去ってしまった。

 落胆していると、黒彦王子が口を尖らせて寄って来て、

「まったく、失礼な奴よな、物部め。豪族の出の分際で、吉備の王子に何と云う態度じゃろか。我が三野国であんな無礼を働いたら、即刻、打ち首にしてくれように」

「構わんさ。学寮の付き合いは対等とすべし、と決まりにもあるしな」

 ハツセは云った。

「ま、余り気にせぬが良いぞ、ハツセの君」

 と、眉輪王子が合流して云った。

「物部の家の者は、生来の戦人いくさびとゆえ、我らとは毛並みが違うのさ」

 黒彦は同調した上、更に口を歪めて、

「そうそう。あんな嫌われ者の木偶の坊、相手にせぬが王族の気品ぞ」

「黒彦殿。ちと云い過ぎではないか。ほら、物部殿が聞いておるぞ」

 たしなめるつもりで、ハツセが誰もいない廊下の先を指差すと、

「ゆ、許してくれ、物部氏もののべうじ……。い、今のはすべて冗談じゃ……」

 黒彦は肩を震わせてハツセの背に隠れた。


                  ◆


 学寮の学生は、廷臣である事が掟の為、上下の院の誰もが宮廷内での役職を持っている。とは云え、両立に苦慮する程、気忙しい毎日を送っている者は少ない。多くの場合、公文書作成の確認補佐や国庫の監査助役など、名目のみの閑職が多かったからである。

 しかし、三大帥を務めるハツセの場合、所管の地域で問題が発生すれば昼夜を問わずと呼び出され、現場に向かわなくてはならなかった。


 ある時など、古えの政治史について学ぶ授業の途中、自らの副官である直何某あたえのなにがしが学寮まで来て出動を要請した。都の内で反乱の動きがあり、至急参内せよ、との王命があったと云うのである。

「ハツセのきみも大儀よなあ」

 と、席を立とうとするハツセに、黒彦の王子が同情した。

「何時、あちゃこちゃに呼ばれるか解らぬでは、修学にも集中できんじゃろう。武人の家の者ならいざ知らず、何故、おかみは大帥などに任じられたのかのう」

わしが未熟者なのが悪いのだ。吉備から参ったばかりの山猿故、荒事を治めるくらいしか能がないからな」

 ハツセが苦笑しているところへ、眉輪王子が云った。

「貴君が武に秀でたるのを、大王も買っておられるのさ。光栄ではないか」

「そうは申しても、並大抵でなかろう」

 と、黒彦が食い下がった。

「我らは王族ぞ。物部もののべの如き野獣の肉躰にくたいは持ち合わせておらぬ。身を粉にして戦働きするは、我らには荷が勝ち過ぎるのではないか」

 それは、慰めの意味から出た言葉だったが、ハツセの劣等感をちくりと刺した。


 ——わしとて吉備の山猪と呼ばれた身だ。たとえ、物部目もののべのめであろうと、武において早々劣る者ではない。


 密かに対抗心をたぎらせつつ、ハツセは二人の王子に見送られて学寮を出た。


                  ◆


木梨軽王子きなしかるのみこが不審な動きをしていると云う。宮廷への謀叛の疑いありとの事だ」

 皇宮へ昇ったハツセに向かい、穴穂大王は開口一番に云った。

「木梨軽王子……と申さば、大王の兄弟君ではありませぬか。何故、謀叛を——」

 ハツセはにわかに信じられぬ想いだった。

 宮中の酒宴で幾度か同席した記憶があるが、しんに朗らかな菜の花の色を湛える好人物と映ったのを憶えている。

おそれながら、自分の知る限り、物腰柔らかで穏やかな方と存じております。謀叛などを企てるとは思えませぬが……」

 穴穂大王はおごそかに首肯しゅこうした

「私もそう思っている。それゆえ、直ぐに追捕ついぶ(逮捕)の手を差し向けず、そなたをここへ呼んだのだ。今、木梨軽王子は都のうしとら(北東)へ隠れ、廷臣・物部大前宿禰もののべのおおまえのすくねの館に匿われていると云う。行って、王子の真意を見極めて来てくれぬか。経緯の詳細は、同道する姫神きしんの者から聞くが良い」

「見極めて、黒と判じられた場合は如何いかがされるのです?」

「捕えて連れて来て欲しい。私自らが王子を裁く。宮廷に弓引く意志あらば、我が兄弟とて、見逃しては天下あめのしたに示しがつかぬ」

「はっ」

 承った旨伝え、ハツセは皇宮を後にした。


 居館へ戻ったハツセは、出兵の準備を整えた。手勢を率いて発とうとしたところへ、姫神衆きしんしゅう三十余名が合流した。

 姫神衆と云うのは、宮廷の制度の枠外に位置付けられる特別の軍で、照り日の神の宮に控える近衛兵である。媛帝の警護を務める一方、諜報活動や暗殺などの汚れ仕事も行っていると云われ、その実態には謎が多い。通常の軍役ぐんえきには参加しないが、総兵数は千を越えると云う話もある。かねてより、ハツセも噂は聞いていたが、実際に目にするのはこれが初めてであった。


 この日、現れた一団の頭目は『まが漁火いさりび』と名乗り、両手の甲に髑髏どくろの刺青のある不気味な男だった。恰好かっこうも実に異様で、鎖を編んだ奇妙な帽子を目深に被り、黒のきぬ(上着)と(女性洋の下衣)を黒の紐で結って身に着けている。

「上意により同道いたします。何卒、よしなに、ハツセのみこと

 抑揚の無いかすれ声で、漁火は云った。

 ハツセは目を凝らしてみたが、相手のしんの色は、鎖のひさしに隠れた顔以上に視えなかった。その様子は、物部目もののべのめの如く内に抑え込まれていると云うより、最初から色を持たないかのようだった。

「ご加勢痛み入ります」

 と、ハツセは云った。

「まずは、事の経緯についてお教え願えますか? 詳細は、姫神の方よりお聞きするよう、大王より承っております」

 漁火いさりびは小さくかぶりを振り、

「道々、話します故、先ずは出陣の号令を」 

「状況を把握してから、と思いましたが……そう申されるなら、先に発ちましょう。それにしても、何故、今回に限って、姫神衆がご参画を? 特別の事情でもあるのですか?」

 漁火いさりびは答えようとしなかった。頬に浮かんだ不敵な笑みが、貴方に云う必要はない、と云っているかに思われた。


 不吉な予感を覚えつつ、ハツセは北を目指して進軍を開始した。

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