第一部 其の三
ハツセの父・
百舌鳥耳原と云うのは、大鷦鷯大王の
自分が
時折、山のように大きな腕に抱かれ、温もりの中で
いずれしても、母や往時を知る者の語る父王の話は、その賢君ぶりを表すものばかりだった。それを聞くだに、幼いハツセの中に、野望ともつかぬ熱い感情が募っていった。
——己も何時か、父のような偉大な王になり、民の為の善き政を行ってみたい。天災や外圧に脅かされず、誰もが笑って暮らせる豊かな国を造りたい。
年を重ねるに連れ、想いは強くなったが、実現の為に何をすれば良いのか見えずにいた。則ち、吉備で
その意味で、ハツセが穴穂大王の提案を受け入れた事は、当然の成り行きと云えた。
◆
冬——。
ハツセが大倭で暮らし始めて、半年の歳月が過ぎようとしていた。
また、谷の南側にある
そうした環境に、
官職を務めながら学寮通いする生活は、若いハツセにとっても楽ではなかったが、故国より賑やかな皇都の雰囲気は好きだったし、各地から上京した様々な人との交流は大いに刺激になった。
宮廷の出仕者としてのハツセに与えられた仕事は、
ハツセが任じられた
一方、大倭の学寮においては、王道を志す者(諸国王族の血縁者)たちの通う
入寮後に知ったことだが、学寮は二部制を敷いており、ハツセらの属する上の院のほかに、宮廷の要職を目指す有力豪族の子弟が所属する部局が存在し、これを
上下の院における科目(授業)の半分は重複しており、両者の学生が共同で学ぶ場面も多い。自然、出自の異なる様々な者同士が、一所に机を並べて学ぶ事になる。その為、学生らは寮の構内にいる限りにおいて、身分の序列なく対等な付き合いをすべし、と云う規則があった。
学寮入寮後、ハツセが親しく交わるようになった上の院の学生には、出雲国の
尚、『
また、近年は、五王国の合議でなく、媛帝の一存で候補者が決まるよう傾向が強まり、国回りと云う言葉の本来の意味が、次第に失われつつあるようにも見える。その為、上の院に通うどの王子が
上の院の二王子以外に、ハツセにとって気になるご学友は、
年齢はハツセの二つ上だが、これまでに見た事の無い程の長身で、伊吹山の
噂では、外見に違わぬ怪力の持ち主で、夜道で襲ってきた十余名の盗賊を、
それ故、講義で一緒になっても、皆に敬遠されていたが、ハツセだけは彼に強い興味を持った。相手の
例えば、小心だが純朴な黒彦王子が
まるで、鉄の塊の如き巨漢の内側に、どんな感情が潜んでいるのか——気になったハツセは、寮の廊下ですれ違った折に声を掛けてみた。
「物部目殿とお見受けする。
精一杯の笑顔を作ったが、相手はぶっきらぼうに頭を下げただけだった。
「ときに、物部殿は、昨年より、都の南西を司る三大帥をしておられるとか。大帥職の先輩として、務めの心得などお聞かせ願えまいか」
ハツセが懲りずに話し続けたところ、
「……無い」
そう云って屋外に去ってしまった。
落胆していると、黒彦王子が口を尖らせて寄って来て、
「まったく、失礼な奴よな、物部め。豪族の出の分際で、吉備の王子に何と云う態度じゃろか。我が三野国であんな無礼を働いたら、即刻、打ち首にしてくれように」
「構わんさ。学寮の付き合いは対等とすべし、と決まりにもあるしな」
ハツセは云った。
「ま、余り気にせぬが良いぞ、ハツセの君」
と、眉輪王子が合流して云った。
「物部の家の者は、生来の
黒彦は同調した上、更に口を歪めて、
「そうそう。あんな嫌われ者の木偶の坊、相手にせぬが王族の気品ぞ」
「黒彦殿。ちと云い過ぎではないか。ほら、物部殿が聞いておるぞ」
「ゆ、許してくれ、
黒彦は肩を震わせてハツセの背に隠れた。
◆
学寮の学生は、廷臣である事が掟の為、上下の院の誰もが宮廷内での役職を持っている。とは云え、両立に苦慮する程、気忙しい毎日を送っている者は少ない。多くの場合、公文書作成の確認補佐や国庫の監査助役など、名目のみの閑職が多かったからである。
しかし、三大帥を務めるハツセの場合、所管の地域で問題が発生すれば昼夜を問わずと呼び出され、現場に向かわなくてはならなかった。
ある時など、古えの政治史について学ぶ授業の途中、自らの副官である
「ハツセの
と、席を立とうとするハツセに、黒彦の王子が同情した。
「何時、あちゃこちゃに呼ばれるか解らぬでは、修学にも集中できんじゃろう。武人の家の者ならいざ知らず、何故、お
「
ハツセが苦笑しているところへ、眉輪王子が云った。
「貴君が武に秀でたるのを、大王も買っておられるのさ。光栄ではないか」
「そうは申しても、並大抵でなかろう」
と、黒彦が食い下がった。
「我らは王族ぞ。
それは、慰めの意味から出た言葉だったが、ハツセの劣等感をちくりと刺した。
——
密かに対抗心を
◆
「
皇宮へ昇ったハツセに向かい、穴穂大王は開口一番に云った。
「木梨軽王子……と申さば、大王の兄弟君ではありませぬか。何故、謀叛を——」
ハツセは
宮中の酒宴で幾度か同席した記憶があるが、
「
穴穂大王は
「私もそう思っている。それ
「見極めて、黒と判じられた場合は
「捕えて連れて来て欲しい。私自らが王子を裁く。宮廷に弓引く意志あらば、我が兄弟とて、見逃しては
「はっ」
承った旨伝え、ハツセは皇宮を後にした。
居館へ戻ったハツセは、出兵の準備を整えた。手勢を率いて発とうとしたところへ、
姫神衆と云うのは、宮廷の制度の枠外に位置付けられる特別の軍で、照り日の神の宮に控える近衛兵である。媛帝の警護を務める一方、諜報活動や暗殺などの汚れ仕事も行っていると云われ、その実態には謎が多い。通常の
この日、現れた一団の頭目は『
「上意により同道いたします。何卒、よしなに、ハツセの
抑揚の無い
ハツセは目を凝らしてみたが、相手の
「ご加勢痛み入ります」
と、ハツセは云った。
「まずは、事の経緯についてお教え願えますか? 詳細は、姫神の方よりお聞きするよう、大王より承っております」
「道々、話します故、先ずは出陣の号令を」
「状況を把握してから、と思いましたが……そう申されるなら、先に発ちましょう。それにしても、何故、今回に限って、姫神衆がご参画を? 特別の事情でもあるのですか?」
不吉な予感を覚えつつ、ハツセは北を目指して進軍を開始した。
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