第一部 其の四

 大倭やまとの豪族・物部もののべ氏は、宮廷から『むらじ』のかばね(高位のうじに与えられる称号)を与えられた有力な一族である。川内を根拠地とする大豪族・大伴おおとも氏と並んで、各地の軍事・警察権を司り、兵器の生産や紛争時の裁判・調停(主に盟神探湯くかたちによる)に至るまで、幅広い分野の所管を務めている。その父祖は大伴氏同様、川内国の出身とも伝えられる。


 木梨軽王子きなしかるのみこを匿っていると云う物部大前宿禰もののべのおおまえのすくねもまた、物部一族の人間だった。

 弟・物部小前宿禰もののべのこまえのすくねとともに二大帥にのたいすいを任じ、宮廷でも力のある若手政治家の一人である。ハツセの学僚である物部目もののべのめにとっては、父・伊莒弗いこふつの弟の子に当たる(則ち、伊莒弗いこふつの末子である目とは、十以上離れた従兄弟になる)。

 以前、ハツセが宮中で見かけた際の大前宿禰の印象は、剛直な武人と云うものだった。物部目もののべのめより幾分、柔和にゅうわな雰囲気だが、目と同様、角張った顔付きと恵まれた体躯の持ち主で、物部の血に拠るものなのだろう、とハツセは思った。しんの向きは、篤実と忠誠を示すくろがね色に映った。


 そう云う人物が、何故、大王の弟君とともに、謀叛を疑われているのか……。

 ハツセは不思議で仕方なかった。


ひとえ木梨軽王子きなしかるのみこの邪念から出た事です」

 と、まが漁火いさりびは切り捨てるように云った。

衣通姫そとおりひめのお名前は、ハツセの尊もご存知でしょう?」

「ええ。大王の末の妹君ですね。歳はわしと同じくらいだが、絶世の美姫びきと評判の方だとか」

「姫は幼き頃より精霊ちひの姿を捉える異眼を持ち、『神仕かみつこ』の素養を持っておられた。それ故、期が満ちるまで笠縫邑かさぬいむら斎宮いつきのみやで育てられ、来年より、正式な『神仕かみつこ』の巫女として、媛帝のおわす照り日の神の宮に昇る事になっていました」

「ほう。神の宮の巫女みこに……」

「が、先頃、悪しき噂が流れたのです。かねてより、妹の衣通姫に恋慕を寄せていた木梨軽王子が、姫が巫女となり手の届かなくなる前に己のものにしようと、斎宮いつきのみやに侵入して犯した——と。それが如何なる意味を持つか、貴方にもお解りでしょう」


 ハツセは渋い顔でうなずいた。

 神の宮に仕える巫女や女官は、異性との交わりを持たぬ未通女おとめに限る、と云う掟がある。その未通女を凌辱する行為は、強盗・殺人に匹敵する重罪とされている。


「しかし……あくまで噂なのでしょう? それが、何故、謀叛と云う話になるのです?」

「事の真偽を正す為、穴穂大王あなほのおおきみが送られた遣いの者を、王子が斬り殺したからです。挙句、自らの館を捨て、懇意であった物部大前宿禰もののべのおおまえのすくねの懐へ逃げ込んだ。噂が本当でなければ、このような行動はしないでしょう。自らの罪が露見した王子は、かえって逆上し、大前宿禰をそそのかして宮廷に反旗を翻したのです」

「いや、そこまで、決め付けるのは如何なものだろう。まだ、何も明らかになっていないでしょうに……」

「行けば判りますよ、ハツセの尊」

 云ったきり、漁火は口をつぐんでしまった。


                  ◆


 暫く、無言の行軍が続いた。

 状況が変転したのは、二刻ふたとき後の事だった。

 大前宿禰の館まで残り僅かと云う林の前で、姫神衆三十余名の足がぴたりと止まったのである。不審に思ったハツセが漁火に問うと、戦況が定まるまで、この場で待機していると云った。


「見ての通り、我らには甲冑も無く、組み合っての戦いは得手ではありませぬ。まずは、三大帥さんのたいすい殿のお手並みを、拝見つかまつろうか、と。尊が大前宿禰の軍をくだされた後、我らも事の検分に駆け付けます故」


 荒事あらごとの間は安全な場所で待っていて、両軍の衝突が収まってから館に乗り込み、木梨軽王子を捕縛して真偽を問う、と云うのである。

 確かに、姫神衆の風体ふうていは、頭目の漁火同様、麻の上衣かみぎぬと云う女人にょにんの如きものであり、弓矢を携えているとは云え、前線に立って戦いに臨めような恰好かっこうではない。

 それにしても、まるで手柄の横取りではないか——とハツセが問うと、漁火はせせら笑って、

「我らの考えではありませぬ。上意に従っておるまでの事。異存あらば、皇宮に戻って申されるが良いか、と」

 そう云われると、ハツセも黙るほか無かった。


 ——戦に加わらぬのなら、何の為に来たのだ。


 云いたくなる気持ちを抑え、姫神衆をおいて先へ進んだ。

 後方の漁火らが視界から消えると、同行した葛城武彦かずらぎのたけひこが傍へ来て云った。


「これ以上、一緒に動かずに済んで、かえってよろしかったではありませんか」

「何故、そう思う?」

「並みの者たちではありませぬ。媛帝の君が亡骸なきがらを操ると云う話も、あなが出鱈目でたらめでは無いのかも」

 ハツセは驚愕して、

莫迦ばかな……。姫神衆は死人しびとの集団だと云うのか?」

「真実は知りませぬ。しかし、あの漁火と申す者のからだからは、人とも思われぬ禍々しい気が漂っている。他の家臣らもそう申しております。王子の眼には如何映ったのです?」

「それは……」


 ——まさか、漁火の内面が視えないのは、死人であるが故と云うのか? 元より、抜け殻の肉躰にくたいにはしんがない故、何の色も見通せなかったのか? ……いや、今、それを考えても仕方無い。大王の命を果たす事に集中すべきだ。


 雑念を振り払いつつ、ハツセは先を急いだ。


                  ◆


 大前宿禰の館は、宮殿の如き豪壮なものであった。

 大神山おおみわやまの麓にある、自らのちっぽけな居館とは比較にならない。さすが、権勢ある物部一族の住処だと、ハツセは、内心、感心した。

 環濠に板を掛けて渡ると、百余名の手勢を二手に分け、館の前後を取り囲ませた。それから、正面の門の前に立ち、中に向かって名乗りを上げようとした。


 その時、館の敷地の西側に立つ物見櫓の上に、見知った大男が現れ、こちらへ向かって叫んだ。

「そこへお出でになられたは、吉備のハツセのみこととお見受けする。私は、この館の主、物部大前宿禰なり。折り入って、みことに申し上げたき儀あり」

「ご口上承る。何なりと申されよ」

 ハツセは臆せず、大声で叫び返した。

「まず、如何なるおつもりかとお尋ねしたい。何故、都の安寧を司る三大帥の貴方が、兵を連れてここへ参られたのか。この大前と一戦交えるがお望みか」

「そうではない」

 と、ハツセは云った。

「貴殿が木梨軽王子を擁して、宮廷への反乱を企てておるとの噂を聞き、大王の命で真偽を確かめに参ったのです」

 大前宿禰はいっそう櫓から身を乗り出して、

「私も王子も逆心はない。反乱の企てなど、根も葉もない流言に過ぎぬ。帰って、大王にそう言上されよ」

「真偽を見極めねば帰れませぬ」

「私のげんが信じられぬと云うならば、如何にして、真偽を確かめるおつもりか」

「木梨軽王子と直々にお話ししたい。王子にお出まし願うよう伝えて欲しい」

「何だと?」

「こちらは穏当に事を済ませたいのです。王子と会って、お心の内が聞けるなら、兵を向けるつもりはありませぬ。王子に門の前までお出まし戴くよう段取り願いたい。決して、悪いようにはいたさぬ」

 すると、大前宿禰は眉を吊り上げて、

「貴方がたの魂胆は見えておるぞ。王子を害して、すべて無かった事にしようと云うのだろう。この大前がそうはさせぬ」

「何の事だ」

 話が噛み合わぬまま、大前宿禰は櫓を降り、館のうちに引っ込んでしまった。


 ……このまま睨み合っていても、らちが明かない。如何したものだろうか。

 

 ハツセが次の手を思案しているところへ、館周りを見回っていた武彦が駆けてきて云った。

「王子、兵たちに応戦のご指示を。敵は仕掛けてくるつもりのようです」

「早まるな。まだ話が終わっていない。このまま戦えば、真実が有耶無耶うやむやになり兼ねん。誤解があるのなら、解いておきたい」

「しかし、向こうは、そう考えておらぬようですぞ」

 武彦が云い終わるや、正面の門が開かれ、物部軍が飛び出してきた。

 あまりに性急な相手方のやり口に、ハツセは不自然なものを感じた。

「何故だ。兵を向けるつもりはない、と申しておるのに……。ろくに話もせぬうちにやり合う気か? 百戦錬磨の大前宿禰殿とは思えぬ」

「どうされるのです、王子。敵は目前ですぞ」

「く……ひとまず、環濠の外まで退く。館の背後の兵たちにも合図せよ」


 こちらの兵が館の傍を離れれば、物部軍も追っては来るまい。包囲網を緩め、緊張を解いて、再度、睨み合いに戻し、大前宿禰と交渉しよう。そういう算段だった。

 が……ハツセの読みは外れた。

 じりじりと退がり始めたハツセたちに、敵兵が斬りかかって来たのである。

 その中には、鎧をまとった大前宿禰の姿も見えた。物干しの如き大剣を振るい、こちらの兵を次々と蹴散らしていく。ハツセの元までやって来るのは時間の問題だった。

「さらに下がっても、追撃してくるつもりでしょう。ここは退くべきか、と」

 武彦が云った。

「どうなっている。死の物狂いではないか」

 と、自ら敵兵の剣を打ち払いつつ、ハツセは云った。

「彼らは、いったい、何に追い詰められていると云うのだ」

 間近に見る物部の者たちは、皆、額に青筋を立て、下唇を噛み締め、腕や胴を斬られても歯牙にもかけず挑みかかって来る。まるで、最期のいくさと覚悟しているかのようだった。

「解りませんが、一度、皇宮へ戻るべきです。このままでは、我々も全滅です」

 数の上では開きのない両軍だったが、話し合いのつもりで来たハツセの兵と敵とでは、士気において歴然の差があった。予想外の猛攻に晒された味方の劣勢は明らかであり、既に兵の半数近くがたおれようとしている。

 

 ここに至って、ハツセは撤退を命じ、兵たちは敵の矛をかわして敗走を始めた。しかし、手負いの者の多くは逃げ遅れ、追い縋る敵軍の餌食になった。



【続】


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