第一部 其の四
弟・
以前、ハツセが宮中で見かけた際の大前宿禰の印象は、剛直な武人と云うものだった。
そう云う人物が、何故、大王の弟君とともに、謀叛を疑われているのか……。
ハツセは不思議で仕方なかった。
「
と、
「
「ええ。大王の末の妹君ですね。歳は
「姫は幼き頃より
「ほう。神の宮の
「が、先頃、悪しき噂が流れたのです。
ハツセは渋い顔で
神の宮に仕える巫女や女官は、異性との交わりを持たぬ
「しかし……あくまで噂なのでしょう? それが、何故、謀叛と云う話になるのです?」
「事の真偽を正す為、
「いや、そこまで、決め付けるのは如何なものだろう。まだ、何も明らかになっていないでしょうに……」
「行けば判りますよ、ハツセの尊」
云ったきり、漁火は口を
◆
暫く、無言の行軍が続いた。
状況が変転したのは、
大前宿禰の館まで残り僅かと云う林の前で、姫神衆三十余名の足がぴたりと止まったのである。不審に思ったハツセが漁火に問うと、戦況が定まるまで、この場で待機していると云った。
「見ての通り、我らには甲冑も無く、組み合っての戦いは得手ではありませぬ。まずは、
確かに、姫神衆の
それにしても、まるで手柄の横取りではないか——とハツセが問うと、漁火はせせら笑って、
「我らの考えではありませぬ。上意に従っておるまでの事。異存あらば、皇宮に戻って申されるが良いか、と」
そう云われると、ハツセも黙るほか無かった。
——戦に加わらぬのなら、何の為に来たのだ。
云いたくなる気持ちを抑え、姫神衆をおいて先へ進んだ。
後方の漁火らが視界から消えると、同行した
「これ以上、一緒に動かずに済んで、
「何故、そう思う?」
「並みの者たちではありませぬ。媛帝の君が
ハツセは驚愕して、
「
「真実は知りませぬ。しかし、あの漁火と申す者の
「それは……」
——まさか、漁火の内面が視えないのは、死人であるが故と云うのか? 元より、抜け殻の
雑念を振り払いつつ、ハツセは先を急いだ。
◆
大前宿禰の館は、宮殿の如き豪壮なものであった。
環濠に板を掛けて渡ると、百余名の手勢を二手に分け、館の前後を取り囲ませた。それから、正面の門の前に立ち、中に向かって名乗りを上げようとした。
その時、館の敷地の西側に立つ物見櫓の上に、見知った大男が現れ、こちらへ向かって叫んだ。
「そこへお出でになられたは、吉備のハツセの
「ご口上承る。何なりと申されよ」
ハツセは臆せず、大声で叫び返した。
「まず、如何なるおつもりかとお尋ねしたい。何故、都の安寧を司る三大帥の貴方が、兵を連れてここへ参られたのか。この大前と一戦交えるがお望みか」
「そうではない」
と、ハツセは云った。
「貴殿が木梨軽王子を擁して、宮廷への反乱を企てておるとの噂を聞き、大王の命で真偽を確かめに参ったのです」
大前宿禰はいっそう櫓から身を乗り出して、
「私も王子も逆心はない。反乱の企てなど、根も葉もない流言に過ぎぬ。帰って、大王にそう言上されよ」
「真偽を見極めねば帰れませぬ」
「私の
「木梨軽王子と直々にお話ししたい。王子にお出まし願うよう伝えて欲しい」
「何だと?」
「こちらは穏当に事を済ませたいのです。王子と会って、お心の内が聞けるなら、兵を向けるつもりはありませぬ。王子に門の前までお出まし戴くよう段取り願いたい。決して、悪いようにはいたさぬ」
すると、大前宿禰は眉を吊り上げて、
「貴方がたの魂胆は見えておるぞ。王子を害して、すべて無かった事にしようと云うのだろう。この大前がそうはさせぬ」
「何の事だ」
話が噛み合わぬまま、大前宿禰は櫓を降り、館のうちに引っ込んでしまった。
……このまま睨み合っていても、
ハツセが次の手を思案しているところへ、館周りを見回っていた武彦が駆けてきて云った。
「王子、兵たちに応戦のご指示を。敵は仕掛けてくるつもりのようです」
「早まるな。まだ話が終わっていない。このまま戦えば、真実が
「しかし、向こうは、そう考えておらぬようですぞ」
武彦が云い終わるや、正面の門が開かれ、物部軍が飛び出してきた。
あまりに性急な相手方のやり口に、ハツセは不自然なものを感じた。
「何故だ。兵を向けるつもりはない、と申しておるのに……。ろくに話もせぬうちにやり合う気か? 百戦錬磨の大前宿禰殿とは思えぬ」
「どうされるのです、王子。敵は目前ですぞ」
「く……ひとまず、環濠の外まで退く。館の背後の兵たちにも合図せよ」
こちらの兵が館の傍を離れれば、物部軍も追っては来るまい。包囲網を緩め、緊張を解いて、再度、睨み合いに戻し、大前宿禰と交渉しよう。そういう算段だった。
が……ハツセの読みは外れた。
じりじりと退がり始めたハツセたちに、敵兵が斬りかかって来たのである。
その中には、鎧を
「さらに下がっても、追撃してくるつもりでしょう。ここは退くべきか、と」
武彦が云った。
「どうなっている。死の物狂いではないか」
と、自ら敵兵の剣を打ち払いつつ、ハツセは云った。
「彼らは、いったい、何に追い詰められていると云うのだ」
間近に見る物部の者たちは、皆、額に青筋を立て、下唇を噛み締め、腕や胴を斬られても歯牙にもかけず挑みかかって来る。まるで、最期の
「解りませんが、一度、皇宮へ戻るべきです。このままでは、我々も全滅です」
数の上では開きのない両軍だったが、話し合いのつもりで来たハツセの兵と敵とでは、士気において歴然の差があった。予想外の猛攻に晒された味方の劣勢は明らかであり、既に兵の半数近くが
ここに至って、ハツセは撤退を命じ、兵たちは敵の矛を
【続】
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