エピローグ まいにちのこと
今年の早春、このエッセイを細々と書いている私に、一通のメールが来た。
東北を紹介するウェブマガジン「まいにち・みちこ」というサイトの編集部からだった。
母体は岩手県にあり、東北と北関東一円の「道の駅」に配布するフリーペーパー誌の大手版元である。
昨年から立ち上げた本誌のウェブ版で、食エッセイを書かないかという内容だった。
広いカクヨム内で、また他の投稿サイト内で私を見つけてくれた人がいたのだ。
東北と、郷土と、食というキーワードで
私は、エッセイを連載することになった。
器用な母と不器用な娘。
見よう見まねで、記憶の片隅にしがみついている郷土の味を、東京で再現しようと試行錯誤するエッセイだ。
既に連載はしているが、とてもとても、母のようには手早くも美味しそうにも作れないでいる。
両親に告げると喜んではくれたが、インターネットでの配信なので、ネットに疎い彼らは見られない。
帰省した時にノートパソコンで見せてあげると、何ともおもはがゆいような顔をしていた。
そして、山のようなダメ出し。
やっぱり母は強しなのである。
このゴールデンウイークにも帰省した。
道の駅では春の催事や、名物の玉こんや芋煮のお振る舞いが行われ、大層人が出ていた。
私のように他所から帰って来た人、あたらしく工場が出来たので、仕事で家族共々引っ越ししてきた人たち。
そして、見覚えある気がする…子供の頃、街のどこかでしょっちゅうすれ違っていたであろう人たち。
小さな子供がおいしそうに玉こんを頬張る、その姿をカメラで写して笑うお爺ちゃん、お婆ちゃんと両親。
まいにち、まいにち道を人が通る。
まいにち、人は動いていく。
例え動いても、変っていっても、人の思いが繋がっていくのがいい。
このエッセイを読んで、飯豊連峰の雪解け水と、米と…広い空のある長井市に、少しでも心を向けてくれる人がいたなら幸いである。
そして、ぜひ美味しいご飯を食べていただきたい。
じじちゃの言う、神様がいるごはんを。
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