第20話 花とおばあちゃん

「お兄ちゃん、かやちゃん、買い物さしぇでってけっからな(買い物に連れて行ってあげるからね)」

 親戚のおばが、がらんとした茶の間でテレビを見ている兄と私に声をかける。

 周囲の大人が相手をしてくれず、友だちのうちに遊びに行くことも留められていた兄と私は喜んで着いていった。

 そのおばが、母とあまり仲の良くない真ん中の姉であることも、幼かった兄と私には関係なかった。


 祖母の死の後しばらく、兄と私は同じ市内にある母の実家の豆腐屋に預けられたままだった。

 一人息子だった父が葬儀を執り行う準備で母共々忙しく、子供たちの面倒を見ていられないためだ。

 父自身の親戚は山形市か米沢市ばかりで、しかも祖父と父の二人で仕切らなければならなかった。

 当時通夜や告別式、葬式は斎場ではなく、自宅をベースにして行われていた。

 だから父は寺と自宅を何度も往復して打ち合わせしなければならなかった。

 こういう時、地元に兄姉の多い女性を妻としていた父は大層心強かったという。


 おばが兄と私を連れて行ってくれたのは、市内で一番値段の高い服屋だった。

 そこで兄には紺のブレザーとワイシャツとズボン、私には紺に白い襟の着いたクラシックなワンピースを買ってくれた。

 レースやフリルの付いていない白い靴下と黒い靴、そして真っ白いハンカチも。

 それは喪服だった。

 5歳の幼稚園年長さんだった私は、女の子には赤やピンクを着せたがった父と祖母のおかげで黒っぽい服など持っておらず、成長盛りの兄も小学校の入学式で来た半ズボンのスーツなど、とっくにつんつるてんになっていた。祖母の入院中、工場での家業と交代での看病で、両親の頭からは子供たちの服のことなどすっぽりと抜け落ちていた。

 お寺の手配も済み、祖母の告別式が近くなり、私たち孫も家族として参加することになると、おじおば達の方が気が付いてくれたのだ。

 そんなことも知らない兄と私は優しい店員さんの応対と、買ってもらった新品の服と靴、そして式の最中大人しくしているようにと買ってもらえた絵本と怪獣図鑑に大喜びしていた。

 それに外食好きで食事の支度が大嫌いなおばが、自分も食べたいからと食堂でお寿司やチャーハンを食べさせてくれた。

 お店に行って食べることなどあまりない私達兄妹はここでも有頂天になった。

 例えるなら、夏休みしか会えない親戚の子供達が大集合して食事に連れて行ってもらうような、そんなお祭り感覚だった。


 告別式の日、兄と私はおじの車に乗せられて、荷物と絵本と新しい服を抱えて何日かぶりに家に帰った。

「たーだいまー ! 」

 父も母も姿を見せない玄関で、兄と私は思い切り叫んだ。

 いつもお茶の間にいて

「おかえりー、手さ洗って来い。おやつあっから」

 と返って来る優しい声はない。

 代わりに出て来たのは町内会の婦人部のおばちゃん、ご近所のおばちゃん達だ。

「おかえり。お父さんとお母さんはお寺さ行ったり役所で手続きしったりだからいねげんど、帰ってくっからいい子さしてろな」

「……うん」

 兄と私は固くなった。なぜご近所さん達が大勢来てるんだろう。

 他人の匂いが充満し、見慣れない靴やサンダルが沢山ある玄関は、我が家なのに他人のうちのような気がした。

 車で戻ってしまったおじちゃんに、母の実家の豆腐屋に連れて帰ってほしくてならない。

 とんとんと工場の二階の階段を上り、父の仕事部屋に荷物を置いて、私と兄は気まずく顔を見合わせていた。

 父の仕事部屋は多少散らかっていたが元の通りで、私は父のギターを握りしめ、レコードプレイヤーの影に身を潜めていた。

 知らない人がさも当然のように家に上がっている。恐い。おまけに日本家屋なので部屋の鍵などない。

 兄はふすまを閉めて、買ってもらった児童雑誌の付録についていた紙のピストルを取り出して抱えていた。

「おにいちゃーん、かやちゃーん、おばあちゃんさ挨拶しに行ってお顔を見せて来いなー」

 階段の下から婦人部のおばちゃんが大声で呼ぶので、兄と私は降りて行った。

「お兄ちゃん、帰りっちゃい……(帰りたい)」

「ここが家だぜ。他のどこさ帰んな? 豆腐屋さが?(ここが家だよ。他のどこに帰るんだ?豆腐屋にか?)」

 兄は不安を押し殺した顔で、頭をこつんとはたいてきた。


 家の中心である茶の間に、奇妙な屏風を立てて、その前に白く大きな細長い箱が置いてあった。箱の前には花や色んなものが飾られた段があったが、小さかったのでよく覚えていない。

 いつもの食卓がある部屋、おばあちゃんがいつも座椅子に座っていて、一緒にテレビを見たり、ミカンを剥いてもらったり、あやとりを教えてもらった茶の間が、自分の家とは思えない程異様な雰囲気に包まれ、そこに居たくなかった。

 米沢から駆けつけた祖母の弟妹が泣きながら祭壇の前に座り、頭を垂れていた。

 父方祖母の家は会津落城の際米沢に逃れてきた一族で、美人の祖母を筆頭に弟妹たちも皆色白でほっそりと長身、大きく切れ長な瞳に高い鼻と美形ぞろいだった。

 その中の、マタギをしているので『山のおじちゃん』と私たちが呼んでいる祖母のすぐ下の弟が、祭壇の真ん前に胡坐をかき、俯いていた。

 涙声でしきりと「馬鹿野郎…馬鹿野郎…」と呟いている。

 それは特に仲が良かった自慢の姉が、あまりにも早く突然に死んでしまった事に対する怒りと呪詛だと思う。

 だが私は大好きな祖母が馬鹿呼ばわりされていると一気に怒りが沸いた。

「おばあちゃんは馬鹿じゃない。出てけおじちゃん」

 山のおじちゃんにとびかかり、座っていた座布団をとりあげて追い出そうと暴れたらしい。

 周りの親戚やら婦人部のおばちゃん達から押さえられ、丁度寺から帰って来た父から叱られ、私は台所に追い立てられた。

 茶の間では父が山のおじちゃん達に平謝りする声が聴こえていた。

「そつけな冗談もわがんね子供だもの、バカどが聴いだら怒っペしたね」

「ただでさえびっくりしたどごさねえ。かやちゃん、こっちさ来い。なにがかせでけっから(何か食わせてあげるから)」

 町内婦人部のおばちゃんたちは、白い割烹着に手拭いで、手慣れた様子で勝手口から出入りをし、台所中の食器棚や調理器具を使い、足りないものは自宅から持ってきて、大人数分の料理をしていた。

 いまなら斎場で、お別れの膳から火葬まで全部お任せできるし、もし自宅で見送る際にも冠婚葬祭用の仕出しもあり、派遣の業者が全て仕切ってくれるが、昭和47年当時の山形県長井市はまだまだそんな便利なシステムはなく、隣近所、親戚の若手の姉さんたち、手すきの女衆(おなごしゅ)が総出で振る舞い用の精進料理を作り、酒を用意し、家の人が飛び回り寺で法要をしている留守を守るのだ。

 そして親戚中で一番しっかりした人が金庫番になり、その家の貴重品や御仏前を預かり、会計もこなす。

 多忙な喪主にかわって銀行周りやお寺へのお礼の用意、その他手続の代行や書類の用意も全部親戚の仕事だ。

 母の従兄や甥、姪たちが飛び回り、田舎にしては大規模な葬儀の準備をしていたらしい。

 だが私たち子供にはそんなことは分からない。

 自分の家の台所や茶の間が知らない人たちに占拠されている気持ち悪さ、私はその人たちを知らないのに、大人たちは私を知り、名前を気軽に読んでくる。その居心地の悪さに心底嫌な気分になっていた。

 黙って固い表情で台所の自分の丸椅子に座っている私を可愛そうに思ったのか、料理を作る婦人部のおばちゃん達は、かわるがわるやって来ては精進料理を小さなお皿に盛って、食べなさいと膝に乗せてくれた。

 赤飯ではない、黒ささげ豆か白いインゲン豆を炊きこんだ「白ふかし」と呼ばれる不祝儀用のおこわ。ぱらっとゴマ塩を振って食べるが、赤飯より豆の味がダイレクトにきて、豆臭さが苦手な人には厳しいだろう。

 そしてひやしるという干しシイタケの風味の効いた、山菜の汁物とおひたしの中間のような野菜料理。宮崎県の焼いて擦ったアジとキュウリの薄切りが入った冷たい味噌汁とは全然別物だ。

 そして茶色い「つけ揚げ」と呼ばれる、長井市周辺独特の揚げ物。


 つけ揚げは今ではお盆やお彼岸の仏壇に供えたり、お墓に持って行くお菓子として扱われるが、当時は立派なおかずの一つだった。

 マッチ箱か切り餅のように切ったコンニャクを、寒の千切れるように冷たい軒先に吊るして風干ししつつ凍らせ、水分を抜く。そうして作ったスポンジ状の「凍みコンニャク」(昔は『凍みらかしコンニャク』と言った)を甘辛く濃い煮汁で煮つけ、粉をはたき、砂糖をたくさん入れた甘い小麦粉を卵と水で固めに溶いた記事にくぐらせ、油でこんがりと揚げる。

 見た目は長方形のドーナツのようだが、食べた感じは甘いアメリカンドッグに似ているが、中身は幾層にもなったスポンジ状のコンニャクだ。

 不祝儀のお持たせの折り詰めには必ず入っていて、宮地区の我が家近辺では揚げたつけ揚げを、さらに先程のコンニャクを煮つけた甘辛煮汁にくぐらせる作り方だった。

 母の実家の豆腐屋でも不祝儀があるたびに注文が入っては作っており、その時出されたつけ揚げも、おそらく私たちを送る時に、ついでに揚げたてを届けてくれたのだろう。


 甘くてしょっぱい漬け揚げを食べ喉が渇いた私は、流しの水道を捻って水を飲んだ。

 祖母が「危ないよ」といつもコップを取り上げて汲んでくれた水だが、いつの間にか私は大きくなり、広い流しの奥の蛇口まで手が届くようになっていた。


 夜になりお助けの町内会の人たちは帰り、親戚たちは旅館に引き上げ、うちに家族だけになった。

 当地は夜通し通夜ぶるまいで起きているなどという事はない。夜になると全員帰って、また次の日朝早くから手伝いに来てくれるのだ。

 食卓である茶の間に祖母の棺桶が安置されているので、婦人部の人たちが作り置いてくれた振る舞い料理の残りでご飯と味噌汁をどこで食べたか記憶がない。

 多分二階の父の部屋に折り畳み式のテーブルを広げて、食べたのだろう。

 夜は祖母が生きていた時のように父は父の部屋で、母と私達兄妹は母のミシン部屋で、布団を敷いて寝た。

 昔の家は急な来客に備えて、数人分の来客用布団を二階の物入れに常備しているのだが、それが幸いした。

 夜中トイレに行きたくなって起きた時が大変だった。

 我が家唯一のトイレは祖母の棺が安置されている茶の間を通って行かなくてはならない。

 流石の私も、死んだ人≒幽霊≒夜中のコンボに疲れて泥のように眠る母を叩き起こした。

 なに、と切れ気味に母が起きると、「トイレに行くのんが怖いから一緒に来て」と私は訴えた。

「せつけな、棺桶の中にいるのはおばあちゃんだぜ。何も怖ぐないごで」

「おっかないもの。おばあちゃんだっつっても死んでんなだべ?」

 面倒くさい子供だ。

 母はしぶしぶ起きて、トイレのドアまで一緒に来て、終わるのを待っていてくれた。

 棺桶を見るのが怖いので、私は行きも帰りも母にしがみつきつつ目をつぶって通り過ぎた。


 次の日。火葬場へと祖母の棺桶を運ぶ前、祖母の棺桶のふたを開け、告別式の参列者が献花をした。

 私はおばちゃん達と一緒に、祭壇の菊やユリの花を抜いて、美しく死に化粧を施された祖母の、白い顔の両脇に置いた。

「そうだ、伽耶ちゃん。お婆ちゃんはお花が好きだったから一杯入れでけっちぇな(いれてあげなさいね)」

 母に言われたとおり、他の家族、親戚たちと一緒に白い鉄砲ユリを祖母の周りにどっさり入れたら、お気に入りの着物をかけてもらい棺に横たわる祖母は、童話の眠り姫のようだった。

「おばあちゃんは美人だったから、お花に囲まれて綺麗に天国さいがれっこで(行けるよ、きっと)」


 霊柩車とハイヤーに乗って皆は火葬場に行き、祖母が焼き場の窯に入れられ白く脆い骨になって出てくるのを見た。

 私はその後しばらく自分が焼かれる夢を見てうなされる事になる。

 火葬から寺に直行し、大好きなタンポポやスミレが咲く菩提寺で葬儀を済ませ、祖母は小さな入れ物に入れられて帰ってきた。

 そして初七日が済むと家族と親戚だけでまた集まり、江戸時代から続くスギ林の中の、南家の墓に納めた。

 箪笥の中に洋服、押し入れに着物や華道用の花きや茶道の茶わん、その他いろいろ生活の痕跡だけを残し、祖母の姿は地上から消えた。

 私は寂しくてならなかった。

 祖父や父や母もそうだったと思う。


 小学校に入学する一週間前の事だ。


レシピ。山形のひやしる

「冷や汁」は宮崎のものと山形県置賜地方のものがありますが、両者は全く違うものです。

山形県置賜地方のひやしるは野菜やきのこ、乾物と具沢山のお浸し、そして必ず干しシイタケでだしを取ります。

上杉家の出陣前の料理であったとの言い伝えもあります。


干しシイタケ一人二分の一枚あて、干し貝柱一人半個あてはぬるま湯カップ半分~1杯で充分戻す。

干し貝柱がなければホタテ缶で代用可能。缶汁を戻し汁代わりに使う。

充分に戻った干しシイタケは薄切り、貝柱は細かくほぐしておく。

戻し汁はとっておく。

高野豆腐二枚もお湯で戻し、短冊に切っておく。

しめじ、まいたけ、かのか等のきのこ類は洗って細く裂き、耐熱の袋に入れ電子レンジに3~4分かけ、ざるに上げて水気を切っておく。

打ち豆40gくらいはさっと水洗い、水に浸けて戻しておく。

季節の野菜(米沢では特産の雪菜。くきたちや小松菜、ほうれん草、かき菜、アオミズなど)は茹でてさらし水気を切っておく。

3~4センチ長さに切っておく。


出し汁カップ一杯に椎茸の戻し汁、貝柱の戻し汁を加え、みりん少々、醤油大匙一杯から好みの味加減になるまで少しずつ加え、シイタケ、ほぐした貝柱、刻んだ高野豆腐、打ち豆を加えて煮る。

すっかり冷めたら切った野菜、きのこを混ぜ、食卓に出すまで冷やしつつじっくり味を含ませる。

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