第23話 父とこたつみかん

 我が家は基本的に一つのこたつ、テレビ、そしてそれらがある茶の間を中心に形成されていた。

 昭和のホームドラマかドキュメンタリー番組を見る際必ず登場する、典型的な「お茶の間」である。

 食事もお茶も、母の手仕事も、祖父の居場所もこの茶の間だった。

 祖母が亡くなってから、もともと無口な祖父はより一層口数が減り工場二階で糸繰の仕事をしている以外の時間は、お茶の間のこたつの北側の席に陣取り、黙ってテレビを見ていた。

 民放はけたたましいといって、NHKを主に見ていた。

 急に老け込み、外での飲み会や機屋組合の会合にも行かなくなった。

 その代り外の出るようになったのが、40代になった父だった。


 父は元々スポーツマンで、高校時代はバドミントンの選手、大人になってからも地元の草野球や卓球クラブで長く活動しており、ギターや社交ダンスもこなす多趣味な人である。

 その父は、祖母が亡くなってしばらくすると、頻繁に呑みに行くようになり、しかも明け方まで帰ってこなくなった。

 社交的でお酒の雰囲気が好きな父は二次会、三次会とラストまでお付き合いするのだ。 

 サラリーマンではない自営業の気楽さか、家族が寝た後帰宅して、子供たちが下校するころに青黒くむくんだ顔にパジャマで、ふらふら家の中を歩いていた。

 明け方に帰る父に起こされる母も、寝ずにそのまま子供たちを起こし、小学校に送り出して家事や仕事につくこともしばしばだった。

 兄と私は、日に日に父と母が口を利かなくなり、交わす言葉にとげが増えていくのを淡々と見ていた。

 うろたえたりはしなかった。

 自分たちの「家」は風でギシギシ言っているかもしれないが、父は子供たちには優しかったし、母も私たちを心から愛していた。

 一人一人はよき父、よき母なのだが、二人が顔を合わせるとつい言わなくてもいいことを言ったり、過剰に反応したり。

 そんなことがポツリポツリとあった。


 なぜな羽音に要らないことまで言うのだろう。

 そして『やばい』と思ってもすぐ謝らないのだろう。

 子供には

「悪いことを言ったらすぐに謝りなさい」

 というくせに。


 兄と私は炬燵でみかんを食べながら、プロレスやキックボクシングを見るのが大好きだった。

 アニメの『タイガーマスク』も好きだったが、全日本プロレスの外人レスラー、ブッチャーやシーク、ドリーとテリーのザ・ファンクス兄弟、デストロイヤー。

 あからさまにばれそうなのにばれない凶器攻撃、すぐ気絶するレフリー、場外乱闘に両社リングアウト。

 全て摩訶不思議でけれんみに溢れた、最高に血沸き肉躍るエンターテイメントだった。

 シークがテリーの腕をフォークで刺しまくる伝説のタッグマッチも、兄と私はリアルタイムで目をまん丸くして見ていた。

 両親も祖父も、けして『俗悪番組』などと遠ざけたりはしなかった。

 プロレスだけではなく私たち兄妹の好きなこと一切をけなさなかったし止めなかった。

 これは今も深く感謝している。


 話がそれたが、こたつみかんは我が家の楽しい時間の象徴のようなものだった。

 母もよくその炬燵でしごとをしていた。

 織り子さんが織り上げた反物を全面チェックし、巻き取りながら、布の中に小さな塊になって織り込まれた糸をほじくり出して、修復したり。

 いつも下校した子供たちの話を聞きながら、ふんふんとうなずき手を動かしていた。

 でもその日は雰囲気が違った。

 ただいま、と炬燵で仕事をする母の近くに座っておやつを食べ始めると、むすっとした顔の母が手を止めずに話しかけた。

「いいか伽耶子。お母さんは嘘が大嫌いだからな。嘘つきが一番嫌いだから」

 私はおやつの胡桃ゆべしを口に入れたまま、超高速で記憶をさかのぼらせた。

 私は何か母に嘘をついたりごまかしたことがあったろうか。

 でもいくら思い出しても該当することがない。

 当時の私は馬鹿正直に何でもあけすけに言ってしまう子供で、スカートをめくった男子の顔面にグーパンチをヒットさせ鼻血を吹かせたことも、友達と田んぼでカエルを何匹も殺して割りばしに磔にして、田んぼのあぜ道に並べて立ててきたことも、捕まえたトンボのおなかをはさみで切って薄の葉を挿して飛ばし、『吹き流しだ』と喜んでいたことも、全部しゃべってはあきれられていた。

 だから速攻「私のことではない」と結論に達し、「はい」とすましておやつを食べ続けた。


 次の日早めに帰ってきた私は、炬燵に入って本を読みながら、居眠りをしてしまった。

 ボソボソという話声で目を覚ますと、私だけだった炬燵には祖父と母がいた。

 二人が何やら深刻だったので、私はまたそのまま目をつぶり、寝たふりをした。


 母は泣きながら祖父に何事かを訴えていた。

 祖父は深刻な声で

「あいつがそんなことまでしったったなが……(していたのか)」とつぶやき、母を慰めている様子だった。

 私は二人が炬燵を離れて家事と仕事に戻っていくまで、必死で寝たふりを続けていた。


 少しあとで分かったことだが、このとき父は浮気をしていたらしい。

 美女の祖母に似て色白細面の美男子の父は、声もソフトで物腰も柔らかく気風もよかったので、もてないはずがないのだ。

 問題は相手が呑み屋の女性ではなく、どうやら一般女性らしいことだった。

 とはいえ、子供には何もしようがない。

 兄も私も、おしゃべりなおばや織子さんの噂話を総合し

「父はしょーもない。ばれるなんて」

 という結論に達したが、それくらいであった。

 あとは子供部屋で

『父と母が離婚したらどちらに付いていくほうが有利か』

 という話を冷静にしていた。

 かわいくないガキどもであるが、子供は子供なりに自分ダメージを最小限にしようと必死なのだ。

 結局しばらくして、父の浮気問題は解決したようである。

 狭い町だからすぐ噂になり、相手も居心地が悪くなったのだろう。

 父も自分に火の粉が逆流するほど入れ込む人ではないのに母に怒りを向けられ、むきになっていたらしい。

 しばらく後、父と母が何か言い交し、母が嫌味を言ったのに怒り、足を蹴ったのを見た。

 それはけして母に手を挙げることのない父の、私が見たただ一度の暴力だった。

 後年大人になった私に、母はしきりと

「お父さんとお母さん、いい親だったべ? けして暴力なの振るわなかったべ?」

 と聞いてきた。

「そうだねえ」

 いつも生返事をしながら、いまさらなぜ?と思っていた。

 私が高校を出て故郷を離れてから父も母も歳をとって丸くなり、でこぼこ珍道中のようないい相方夫婦になっていたからそんなことを気にするまでもないのに。

 あまり聞かれるので

「一度だけ。お父さんは浮気をしてたよね。私とお兄ちゃんが知っているのは一度だけだけど。そんでお父さんがお母さんと喧嘩して、足で蹴ってたのは覚えてるよ」

 と言った。

 母は慌てて、

 そんな……浮気なんてレベルじゃない。そもそも父はハンサムだからもてていただけだ。それは仕方がないのだ。蹴ったりはもしかしたらあったかもしれないが、ハプニングに過ぎない。

 と言い訳を始めた。

 そして二度と聞いてこなくなった。

 子供が手を離れ夫婦二人で向き合った時、

『自分達の子育てが間違っていなかったよね』

 と不安になったのかもしれない。

 年を取って角が取れた父と母はとても仲良しで、腕を組んでどこに行くにも一緒。いい夫婦に見える。

 自営で商売をしていると、私生活と仕事の境界があいまいになり、気分の切り替えが難しいのだとよく聞く。

 だから形から『仲のいい夫婦』象を続けるというのはとても大きなことなのだ。形や習慣は、いつか真実になることもある。

 私も結婚し母親になってから、ちょっぴり母の気持ちがわかる気がしないでもない。

 もっとも旦那は父と正反対で、女性の前でかっこつけるタイプではないが。


 レシピ。胡桃ゆべし


 鍋に砂糖130グラム、醤油カップ四分の一、、水カップ1と四分の一を入れて混ぜ、砂糖を溶かしておく。

 中火で沸騰させ、上新粉(うるち米の粉) 250グラムを一気に入れ、蕎麦掻を作る要領で木べらで混ぜ、火を止める。

 滑らかになるまで充分に練り続ける。

 台に広げたラップの上に練り終えた生地を広げ、上にもふわりとラップを被せ、乾かないようにしながら2・3時間休ませる。

 時間が来たら20等分に切り分け、丸めて平らにつぶし、上に刻んだクルミ適量を乗せる。

 笹の葉10枚にゆべし生地2枚ずつ並べて乗せ、布巾を敷いた蒸し器で15分ほど蒸し、さます。


 笹の葉約10枚分できます。

 醤油を赤みそに替えても美味しいですが、味噌は粒のないものをあらかじめすり鉢でよく擦っておくほうがいいでしょう。

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