第27話 春まだ遠き
兄と私は「学業第一」とくぎを刺され、あまりじじちゃのお見舞いに行かせてもらえなかったが、父と母はがっつりと向き合っていた。
特に一人息子の父は、じじちゃに死なれると自分に繋がるルーツの人間が誰もいなくなってしまうと深く思っていたようで、祖母の時に輪をかけてお世話を徹底していた。
そしてそれを妻にも徹底させたが、先に書いた通り実父に早く死なれた母自身もじじちゃと過ごした時間の方が長かったので、出来る限りその要請にこたえ、介護に徹した。
だが15日に兄と私がお見舞いに行った後、流石に交代で家を空けていては家業に支障が出ると分かったので、プロの付添婦さんを手配した。
一旦家に帰って諸々片付け、また改めて本腰を入れて病室に戻るつもりだったらしい。
当時は病院での完全看護ではなかったため、私立病院の院内売店、床屋、クリーニング屋の並びに専属の付添婦斡旋所の窓口があり、そこで皆お続きをしてお願いしていた。
来てくれたのは、大ベテランのご婦人で、安心してください、ちゃんと見守ってお世話しますから、と父と母を安心させてくれた。
じじちゃはまだまだ元気で、付添婦さんに御挨拶をし、明後日戻るから、交代で来るからと行く母に
「俺は大丈夫だから、家の事しっかり頼む」
と言ったそうだ。
結局はそれが、母と祖父の交わした最後の言葉になった。
両親は1月18日の夕方から付き添いをお願いし、家に帰ってきた。
そしてたまっていた書類や家事を片付け、これからの病院通いと家業の両立について、こたつで遅くまで話し込んでいた。
じじちゃは相変わらず点滴もせず普通に寝たり起きたりだが、末期の癌は内臓に広く転移していたそうで、もう治療らしい治療はせず、苦しまないように投薬しながら見守る、という状態だったらしい。
19日の朝、兄と私が登校した後に容体が急変したと病院から連絡が入った。
朝食のために起こそうとしたところ、急に意識が混濁し、亡くなったという。
お葬式は菩提寺の広い本堂で行われた。
近郷近在の同じ宗派の寺から呼ばれた6人ものお坊さんが鐘を鳴らし、鳴り物を鳴らしながら経文を唱えて歩き回り、それは立派で長々しい告別式と葬儀だったが、とにかく寒かった。
寒の最中、吹雪の中である。
お寺の側も気を使い、大きな石油ストーブを何台も置き、ガンガンに焚いていたが、まだそくそくと芯まで凍る程に寒かった。
会葬には長井の織物組合はもちろん、米沢の組合からの旧知の織元さん達が駆けつけてくれたし、大吹雪だというのに大勢の弔問の方々が来てくれた。
中にはお年を召した織り子さん達が沢山いて
「織物組合の旅行の時に踊ってくれた、そちらのおじいちゃんのドジョウすくいが忘れられない。あんな面白い人は居ない」
と何人もの人から聞いた。
家の中では寡黙で、感情を余りあらわにしない祖父しか知らなかったので、家族皆驚いた。
祖母の時は市立中学の近くにあった火葬場はより山のふもとに移転していたが、私たちは雪道の中をチェーンを履いた霊柩車で向かった。
祖父の体は消耗していなかったので焼くには時間がかかるとの職員のアドバイス職員を受け、燃料を増量し、燃焼時間を長くしてもらったと、父が待機室に戻ってきて言った。
「炉の中の様子見せてもらえっけど、伽耶ちゃん行くか?」
親戚のおじさんの1人が私を呼んだが、行かなかった。
そのおじちゃんは他の親戚たちに
「なんで多感な年ごろの女の子に、そんなことを言うのか」
と非難されていたが、
「伽耶ちゃんはとっても可愛がられていたから、三郎さんは最後くらいは見守られて行きたいんでないかなと思って」
と反論していた。
私はあいにく、じじちゃの体を焼くさまなど見たくなかった。
吹雪が少し弱まってきたので、喪服代わりの中学の制服に黒いスクールコートを着て、外に出た。
冠婚葬祭のたびにどこからかやってくる、名前も係累もわからない親戚たちは苦手だった。
白い空の下、白く細かい雪がひっきりなしに落ちてきて、私のコートも髪も、たちまち小麦粉をぶっかけられたようにまみれた。
絶え間なく吹き付ける雪粒に目を細めながら、白く曇った雪空を見上げると、黒い煙が火葬場の煙突から吹きあがっていた。
やがて、煙の勢いは弱くなり、何時までも戻らない私に呆れたおばが、伽耶子ー、と呼びに来る頃には、白く細い煙になっていた。
焼かれたじじちゃは冷めてから、炉から出された。
そして隣の人と箸伝えに拾われ、壺に入れられていった。
膝や股関節、肘の関節は形がしゃんと残り立派で、その大きな骨から拾っていくと、寝台の中にはもう白い米粒のような骨片しか残らなかった。
「これはじじちゃではなく、前に焼かれた人の骨かもしれない、誰か知らない人の骨が混ざってるのかもしれない」
兄が私に囁き、母から馬鹿言ってるんじゃないと叱られていた。
骨って白くて清らかなんだな、と私は感じた。
最後に誰も触れようとしない頭蓋骨が残った。
顔の部分は焼け落ちていたが、脳が入っていた頭蓋は立派に形を残しており、誰もがためらったので、火葬場の職員さんが幾つかに箸で割って、骨壺に入れた。
すると壺の口から溢れて盛り上がり、ふたが閉められない。
仕方がないので職員さんが「いいですか?」と念を押しながら、力を込めてふたを閉めた。
中でパリパリと頭蓋骨が割れる、軽い音がして、私は首の後ろがさあっと冷たくなった。
あの音は、思い出すだけで、たまらない。
火葬後の納骨を、四十九日の法要の後にすると決めたのは、両親だった。
少しでも寒さが緩み、雪が少なくなってからというのが勿論大半の理由だろうが、私の高校受験の日程も頭にあったようだ。
山形県の公立高校入試の筆記試験は、毎年3月10日である。
じじちゃの四十九日は丁度その入試日前後になるので、実際にお墓に骨を納めに行ったのは私の受験が終わり合格発表がされる前、その週の週末。
3月15日の日曜日だったと思う。
春とはいえ、墓地の参道が溶けかけの雪でまだぐちゃぐちゃになっている中、制服を着た兄と私、そして喪服姿の家族と少数の親族で、線香、お水、遺影、卒塔婆、そして骨壺を持って歩き進んだ。
我が家の墓は祖母が死んだときに新しく建てたもので、先客は祖母しかいない。
地方で色々風習は違うだろうが、我が家では骨はばらまいたりしないで、壺のまま墓の下のスペースに入れる。
高校生の兄を含めた男衆が数人がかりで墓石を動かすと、真っ暗な古びた空気の匂いが漂うカロートと呼ばれる納骨室が現われた。
祖母の小さな骨壺が安置されている隣に、じじちゃの骨壺は置かれた。
何十年か先、あるいはすぐ先かもしれないが、父と母がそこに入るまで、祖父と祖母はまた水入らずの時間、会話もなく静かだが心が通い合った日々を過ごすのだろう。
四十九日の法要と納骨が終わり、一人息子である父が相続のために会計士さんと話し合ったり、銀行の人とやり取りしたりといった手続きが残った。
まだざわついてはいたが、家の中はかなり落ち着き、両親の織物仕事も以前のように流れ始めていた。
受験も終え、志望校の合格通知も受け取っていた私は、本を読みながら、また以前のようにこたつの一角に陣取って反物生地の処理をする母に、祖父の最期の様子を聞いてみた。
兄と私がお見舞いに行ったときは普通にしゃべり、自分でアイスを食べていたから、その四日後に急死するとは到底信じられなかったのだ。
だが母は、前述のように祖父の最期を看取ってはいない。
まずそのことを私に告げた後、仕事の手を止めポツリポツリと語ってくれた。
一日だけ替わってもらった付添婦さんに、祖父の最後の言葉
「おじいさん、くみこー、くみこーって最後まで奥さんのこと呼んでいらしたんですよ」
と言われたという。
くみこというのを付添婦さんは、祖父の老いたる奥さんの事だろうと思っていたが、その名前は嫁である母の名だ。
こんなに早く逝っちゃうんだったら、最後まで傍について一緒に居ればよかった。
じじちゃは家族のだれもそばにいないまま、家族に泣いてもらえないまま死んでしまったのだと思い返すと、それが酷く心残りで、情けない。
母はそう言って、私の前で涙を見せた。
私にとっては一番厳しい存在である母が涙するのを見たのは、目下これが最後だ。
でもお母さん。
じじちゃはやっとおばあちゃんの所に行けたんだから、良かったんだと思うよ。
希望通りぎりぎりまで家に居られたんだし。
私は若干の空々しさを感じながら、涙を拭く母に声をかけた。
元旦に祖父からの自筆の年賀状が届き、二週間あまりで訃報が届いたので、親戚や取引先の中には実際冗談だと思った人もいたらしい。
冗談の通じない、いかにも東北人らしい祖父は、家を後にし病院に向かう日も、自分の部屋を全ていつも通りにきちんと整え、布団も服も全部綺麗に整頓した状態で、出かけた。
コートにソフト帽、襟巻、ステッキを持って入院し、逝った。
見事な最期だったと思う。
レシピ 弔事用の白蒸かし
小さめの乾燥白インゲンカップ山盛り一杯は一晩水に浸け、戻します。このとき傷がついていたら弾けたり割れたりしたものがあれば除いておきます(炊きこんだ後崩れて米に溶け込んでしまうため)
もち米四合を研いでざるにあけ、30分置きます。
炊飯ジャーにもち米を入れ、コルの表面から5~6ミリかぶるくらいの水を加え、戻したいんげんの水を切って表面に平らに置き、日本酒大匙半分を入れて一揺すりし、普通にセットして炊きます。
炊きあがり、蒸らしも終わったらおひつか大皿かバットにあけて冷まし、余計な水分を飛ばします。
ゴマ塩を振っていただきます。
山形ではおこわの事を「お蒸かし(おふかし)」と言い、これは『しろぶかし』と言いました。
大勢に振る舞う時は餅屋さんに頼んで折り詰めにして届けてもらっていました。
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