第9話  ホイップクリームと年上の従妹たち

 母の実家は同じ嫁ぎ先と同じ市内だが地区が違う。

 嫁ぎ先の織物工場は市の中央地区北半分の『宮』、母の実家は南半分の『小出』という区分だ。

 その二つは夫々古い歴史のある神社が氏神様になっており、中央地区を真っ直ぐに横断する目抜き通りで別れている。

 ともあれ人口の多くない市なので青年団や祭の実行委員の面子は限られており、二つの地区は祭の日程が被らないように自然と調整していた。

 宮地区と小出地区が反目し合うという事もなかったような気がする。


 母の実家は小出の中でも神社に近い古い町で豆腐・こんにゃく・油揚げなどの製造と卸をしていた。

 母の父親の代は職人を何人も使う立派な製造・卸までやる大店で、当時の名残りの立派な客間と座敷が、工場の二階の急な階段を上がるとあった。

 母の母と長兄夫婦、従妹たちが住んでいたその工場併設の家は、私達が幼稚園に上がって遊びに行くようになる頃には大分縮小し、数人のパートさんと家族で切り盛りしていた。

 祖母の体調が優れない時など、母はよく私と兄を連れてその実家に預けていた。一泊二日か二泊三日。ほんの短いお泊りだったが、自分の家と違う、明治からの古い造りの家に滞在するのはワクワクと心躍るものだった。

 ほんの幼い頃は母方祖母の部屋に三人分の布団を敷いて寝たが、あまりに私達の寝相が悪いので、成長するにつれ隣の四畳半に兄と私とで離された。

 祖母は11人の子を産み、母はその末っ子だったので、私達から見ると一緒に住んでいる父方の祖母と違って大層年をとっていた。

 腰も曲がり、小柄でしわくちゃで言葉も訛りがきつかった。

 夫の死後豆腐屋を切り盛りしてきたせいか語気も荒く、のんびりと余裕のある米沢弁を聞きなれた私たち兄妹には、いつも怒っている怖い人と映った。

 実際若い頃は厳しいお姑さんだったようだ。


 当時家長だったのは大人しく無口で優しい母の長兄で、奥さんは元教師、二人の娘も教師を目指していた。

 姉娘はピアノが上手で音大を目指し、妹は体操の選手でインターハイにも出場。私にとっては自慢の従姉達だった。

 大人ばかりの我が家と違い、母の実家は年頃の少女たちのいる家らしく、可愛らしいモダンなものが多かった。

 大きなピアノ、体操選手の切り抜きが貼ってあるお部屋、人形が飾られたクローゼット、ベッドに投げ出された少女向けの雑誌。

 姉妹のお部屋に行くと可愛らしい洋服がハンガーにかけられ、白いバッグや綺麗なハンカチが机の上に置かれていた。

 そして、読んでいいわよと渡された雑誌の中に、少女向けのお菓子の作り方の冊子があった。

 生クリームで縁取られたオレンジのパイ、フルーツの缶詰が沢山入ったミントのゼリー、彼にプレゼントする型抜きチョコレート。冊子の付録の沢山あったお料理カード。

 昭和40年代前半の少女雑誌は、夢と憧れと、大人になる事へのほんの少しの畏敬があった。


 泊まりに行ったある日、従妹の姉妹は私を台所に呼び、お菓子作りを見せてくれた。

 我が家の古い台所とまるで違う白いシステムキッチン。

 床下収納や大きな冷蔵庫。

 仕事で使う染や生糸蒸し用の大鍋のない、整理された台所はさすがに綺麗だった。

 従妹二人はそこで、ホイップクリームを使った簡単イチゴタルトを作ってくれた。

 大袋入りのシンプルなビスケットをすり鉢で砕いて溶かしバターで湿らせる。

 サランラップを貼り付けた大皿に塗りつけ、冷蔵庫でしっかり固めてタルト状の土台を作る。


 「マーガリン使うと固まらないからねえ」

「結局買うより高くついちゃうんだけどね」


 従妹二人は小さな私の前で気取っていたのか、方言をあまり使わなかった。

 がんばって「共通語」を使っていたが、テレビで聞く言葉とは少しアクセントが違っていた。

 それでも幼稚園児の私は二人の姿に「都会」を感じていたようだ。


 冷蔵庫でタルト台を冷やしている間、中身の用意だ。

 小さ目のイチゴを縦半分に切り、水分を切っておく。

 粉末のホイップクリームの素を分量通りの水で溶き、固めに泡立てる。

 このホイップクリームの素は、今思うと本物の生クリームとは味も香りも全然違うのだが、きつめのバニラの香りと真っ白な色で、これが「私の思う生クリーム」だった。

 そこに切ったイチゴと、一袋のゼラチンを水でふやかし湯煎で完全に溶かしたものを混ぜる。

 タルト台に流し込んで表面を平らにならし、再び冷やし固めて出来上がりである。


 タルトというものを知らず、たまに買ってもらうイチゴのケーキやシュークリーム、ジャムでべたべたのアップルパイは「ようなま」(洋生)と呼ぶ家にいた私には、ほろほろ崩れるビスケット性のタルト台も、柔らかくて切り分けると形が崩れる中身のイチゴクリームも、その淡いピンクの色といい、紅茶を薄くいれてくれる従妹の姉妹たちの晴れやかさといい、大層洒落たものに感じた。

 今思えば既に祖母の体調はあまりよくなく、孫の遊び相手でかかる体の負担を減らすために、度々親せき宅に泊まりにつれていかれたのだろう。

 ただ静かで単調な毎日を過ごしていた私と兄にとって、10年以上年の離れた従妹たちの家は刺激に溢れていた。


  姉妹は数年後、それぞれ音大と体育大学に進み、音楽と体育の教師になった。教師生活は部活もあって忙しく、もう手間のかかるお菓子は作らなくなってしまったが、ショップに豊富に並ぶ美しく美味しそうなケーキを見るたびに、都会の方を向いていた従妹姉妹のキラキラ光る瞳とさざめく声を思い出す。



 レシピ

「イチゴババロア」

 従妹たちに教えられたものを覚えておいて、中学に入った私が作ってみたもの。


 生クリーム1パックと、へたをとって洗ったイチゴ半パック、砂糖1カップをミキサーにかける。

 小2袋分のゼラチンを熱湯で溶いて(今はできるようになりました) もう一度滑らかにミキサーにかける。

 とろっからどろっとなったら(生クリームが4分立てくらいになったら)ガラス器などに入れて冷やし固める。

 切り分けるか大きなスプーンですくい分けて食べる。

 山形県長井市には「かないがみイチゴ」という種類があり、しっかりすっぱくて味の濃いイチゴです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る