第25話 じじちゃに桃のシャーベットを

 私が中学二年になったころ、祖父はちょくちょく検査と称して何日か入院することがあった。

「高血圧と糖尿あっから検査入院よ。年寄にはよぐあんなだ(よくあるんだ)」

 両親はこう説明してくれ、私たちも納得した。

 酒どころ、米どころの当地は高血圧による血管の病、糖尿病による四肢や視覚の障害を持つ中高年が多かったから、別に特別な事とは思わなかった。

 だがある日、父が家族全員を茶の間に呼び集めた。

 みな揃ったところ見せられたのは、大きな祖父の肖像画だった。

 きちんと礼服を着てポケットチーフをのぞかせ、前を見据えたその姿は、何年か前の、織物組合での永年勤続表彰式でのものだった。

 写真をもとに、プロの画家に油絵に描いてもらったというそれは、そっくりではあったが見ている私を不安にさせた。

 母も兄も上手だね、素敵だねと褒め、祖父はぽつりと

「似ったな(似ているな)」

 と呟いた。

 皆ある事を言いたいのに、奥歯にミカンの筋が挟まったようにもどかしく、言葉にしないでいる。

「伽耶子はどうだ?」

 父が水を向けた。

 私は思ったことを言ってしまった。

「あたしはやんだなあ(嫌だなあ)。なんだがじじちゃ死んだ人みだいで」

 途端に父と母が見たこともないほど怖い顔で睨みつけ、兄が急いでテレビのニュースを付けた。

 話はそれで中断し、父は立派に額装したその絵をさっさと納戸に片付けてしまった。


 その日の夕方、父と母が私を二階の作業室に呼んだ。

 絶対に絵の件で叱られる。

 そう分かっていたので階段を昇る足取りは重かった。

 だが父は一言こういった。

「伽耶子、お父さんとお母さんは、お前を素直に、素直にって育ててきた。

 んだげんど、何でも思ったごど言っていいのとは違うぞ。

 それが当たってだとしてもよ」


 え?……

 怒っていない。

 でもどういう意味?


「じじちゃよ、ガンなだ(ガンなんだ)

 この前入院した時に検査してみたけんども、色んなどごさ転移してて、もう手術してもわがんねなよ(手術してもどうにもならないんだよ)。

 んだがら、伽耶子の言った『死んだみたい』っていうなは当たってたんだ。

 仏壇さおばあちゃんの写真と並んでかける遺影にするつもりで、描いてもらったなだがら。

 んだがら、あの時それを言ってほしくながったなよ」

 母がうつむいたまま言う。

「もっと早くお前さ言っとげばいがったな」

 さあッと音を立てて心臓から手先まで冷たくなり、吐き気のような後悔がこみあげてきた。

 知らなかったとはいえ、私は何という事を言ってしまったのだろう。

 しかも本人の面前で。

 ごめんなさい、じじちゃ。


「じじちゃはそれ知ってだな?」

「じじちゃはしゃあね(知らない)。教える気もない。今のところ痛みもないみだいだがら、出来るだけ、ぎりぎりになるまで、家で今まで通り暮らさせてけっぺ(暮らさせてあげよう)って、お父さんとお母さんで決めだなだ。

 お兄ちゃんにも話したげんど、伽耶子もこれからはそのつもりでいろな。

 じじちゃさ優しぐしてあげろな。

 お前はいつもじじちゃさ優しいげんど、より一層、な」


 優しくなんかない。

 優しかったらあんなことを何の考えもなしに、しかも本人の目の前で口走ったりしない。

 自分の娘に一歳で死なれた後、初めての孫娘だという事で、亡き祖母と共にいっぱいの愛情をくれたじじちゃ。

 お別れなんて嫌だ。

 それまでどのくらいの猶予期間があるのだろう。

「もって年内って言うながお医者さんの診断だな」

 今はもう夏だ。

 あと半年もないではないか。


 母は続けて言った。

 じじちゃの癌は直腸で排泄機能に支障が生じる。

 トイレに間に合わない時もあるから、お前も気づいていたかもしれないが、大きい方を漏らしてしまう事もある。

 祖父の寝室隣のトイレ掃除は、小さい頃から私の当番だったが、そういえば廊下やトイレの床のタイルにあれがこびりついていることもあった。

 何も考えずに拭いて消毒していたのだが、それは直腸癌の症状だったのだ。


「んだがら伽耶子、ちゃんとゴム手袋して、クレゾールで消毒して、そんでも今まで通り掃除してけろな。

 おらだも、じじちゃも助かっから」


 それくらい幾らでもする。

 じじちゃが嬉しいと思う事なら幾らでも。

 私はふわふわとした奇妙な非現実感に包まれながら、階段を降りた。


 それからも日々は変らず続き、祖父はいつも家にいた。

 当時、大人の紙おむつはあまり普及しておらず、あっても質が良くなかったようで祖父が嫌がったため、母は頻繁に褌を洗濯・消毒し、私はトイレと廊下を掃除した。

 勉強よりも部活よりも、その方がずっと大事、と親も私も思っていた。

 私に『お米に宿る七人の神様』を教え、白いご飯は白いまま、と諭してくれたじじちゃは、次第に食が細くなっていった。

 ご飯も茶わんに半分がやっと。

 母の作る好物だった肉みそや鰹節みそを添えても、『口が不味くて』と残すようになった。

「年とったなだもの、食も細くなっこで(細くなるわな)」

 と自分で言ってはいたが、もしかして、癌とは結論付けないにしろ、自分の不調は死につながるものと気が付いていたのかもしれない。

 代わりに好きになっていったのが、アイスクリームやみぞれなどの『冷たくて甘ごいもの』だった。

 産地なのに、果物はあまり積極的に食べる人ではなかったが、かき氷やシャーベットにするとよく食べてくれた。

 私はお腹がより下ってしまうのではないかと懸念を抱きつつ、夏の山形で豊富に出回る、地元産の甘くて大きな桃を潰したシャーベットや、これまた名産のブドウのシャーベットを作った。

 果汁に砂糖を加えて弁当箱で凍らせて、何度もかきまぜて口当たりを柔らかく仕上げる。

 アイスクリーマーの無いシャーベット作りは手間も時間もかかるが、祖父は楽しみにしていた。

「お菓子作ってだなが? 美味く作って、またじじちゃさもけろな(じじちゃにもちょうだいな)」

 私がフォークでシャリシャリと固まりかけたシャーベットを崩して混ぜていると、通りかかった祖父は穏やかな声で話しかける。

 そして出来たシャーベットをガラスの器に盛って、はいと運ぶと、

「冷たくて美味いごど」

 と言いながら喜んで食べてくれた。

 シャーベットを作る時間がない時はかき氷をかいて、たっぷりとコンデンスミルクやカルピスをかける。

 それも大好きで、美味い美味いと食べてくれた。


 よく言われるようにやつれもせず、普通に家族と暮らしていたので、私たちはともすると祖父の癌を忘れていた。

 だが時々、廊下やトイレや、寝室の畳の上に垂れた粗相、風呂場にこぼれたのか、母が全部抜いて入れ直す湯船のお湯が、容赦なく癌の進行を伝えてきた。

「年とっと下も緩くなっこで」

 と、親も私もすまなさそうに謝る祖父に笑って答えた。


 医者も驚く程進行は遅く、私が中学の三年生、兄が高校二年生になっても、祖父は変らず家にいた。

 だが、癌時間の針は止まったように見せかけて、確実に進んでいた。


レシピ。

桃のシャーベット


フルーツ王国山形県は、サクランボやラフランスに隠れがちですが、実は桃もたくさんとれます。

夏のデザートは桃、すもも、スイカです。

冷やし過ぎない状態で皮をむき、かぶりついても美味しい桃、今回はシャーベットに。

柔かく固めるには泡立てた卵白を入れる方法もありますが、よりコクを出すために生クリームを使ってみました。


熟れ過ぎなくらいに完熟した生の桃2個の皮を剥いて種を取って刻み、すぐにレモン果汁1個分をまぶす。

桃と、水100cc、生クリーム100cc、砂糖大匙山盛り3杯をミキサーに入れ、30秒位回し、とろっと滑らかなピューレ状にする。

金属製のバットか弁当箱に流しいれ、ラップをふわっとかけ、一時間くらいフリーザーで凍らせる。

取り出してフォークで崩し、泡立て器かフォーク2本でよく混ぜ、再びフリーザーで30分ほど固め、混ぜるを繰り返す。

3度混ぜ返したらよく冷やし固め、器に盛る。


市販のシャーベットより溶けやすいので早めにいただきましょう。

他の果物でも作れます。

リンゴや洋梨などとても美味しいですよ。

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