(9)革新的な絵画販売
突然の休暇に戸惑う暇もなく、シャトナー伯爵邸で一晩を過ごしたアルティナは、翌朝食事を済ませてから、ケインと共に目立たない馬車に乗った。
二人で街中を見物しながら、買い物をするという認識のフェレミアによって、アルティナは簡素な、しかし上質の生地を使ったドレスを着せられ、同様の私服のケインと並ぶと、傍目には下級貴族か羽振りの良い商人の若夫婦にしか見えなかった。
(なんか昨日からバタバタして、落ち着かなかったわね。特にお義母様が、妙にはしゃいでいたし)
一応調査名目ではあったが「結婚して初めての二人での外出よね!?」と、どうにも浮き足立っていたフェレミアを思い出して小さく溜め息を吐くと、静かに馬車が停まる。
「広場に着いたな。アルティナ、降りようか」
「ええ」
そして中央に噴水がある広場の片隅で、手を借りてアルティナが馬車から降りると同時に、御者がケインに告げた。
「それではケイン様。夕刻にまた、こちらにお迎えに参りますので」
「ああ、宜しく頼むよ」
二人は平然と会話していたが、てっきり一日馬車で回るのかと思っていたアルティナは、少々驚いた。それで馬車が走り去ると同時に、ケインに尋ねる。
「ケイン。本当にあのリストの場所を、全て回るの?」
「勿論、そのつもりだが?」
「順番は? 最初にブレダ画廊に顔を出すの? ここからは少し離れていると思うけど」
そこが本来の目的地だろうがと、少々皮肉を込めて尋ねたアルティナだったが、ケインは事も無げに言い切った。
「ブレダ画廊は、一番最後だな。アルティナが気に入った絵があったら買うから、荷物になるだろう?」
「分かったわ……」
(本当にブレダ画廊の調査って、こじつけも良い所なのね)
完全に諦めたアルティナに向かって、ケインが笑顔で腕を差し出す。
「じゃあアルティナ、行こうか」
「ええ」
(まあ、こういうのも偶には良いか)
苦笑しながらこの状況を楽しむ事にした彼女は、ケインの腕に軽く手をかけて、王都散策に繰り出した。その後順調に観光名所になっている教会や橋を見る合間に、買い物をしたり食事を済ませた二人は、午後も結構遅くなってから、問題の場所に辿り着いた。
「あれがブレダ画廊か……」
「立派な造りね。だけど、さっきも割と庶民っぽい人が入って行かなかった?」
「そうだな。入りやすい雰囲気なのかもしれんが……、とにかく行ってみるか」
「そうね」
少し離れた場所から店舗の様子を窺った二人は、当初の予定通りブレダ画廊に足を踏み入れた。
「特に変わった所は無いな」
店内の壁に、所狭しと飾られている絵を見ながらケインが呟くと、アルティナが困惑気味に囁き返す。
「そうなの? 私、こういう所には入った事は無くて。物の良し悪しも分からないし」
「それは俺も、大して変わりないと思うぞ? 調査ではなくて、『逸品を購入してこい』などと言われたら、仮病を使ってでも回避するところだ」
「ケインったら」
思わず笑ってしまったところで、いつの間にか近寄っていた年配の店員が二人の会話に一区切りついたと判断して、礼儀正しく声をかけてきた。
「いらっしゃいませ、当画廊へようこそ。お客様はお見かけしない顔ですが、何かお探しでしょうか?」
その声に二人は振り向きながら、瞬時に打ち合わせておいた内容で話し出した。
「ああ、実は結婚したばかりでね。妻の好きなように部屋の模様替えをしても良いと言ったんだが、屋敷にある絵は彼女の感性からすると、どれもしっくりこないらしくてな」
「ごめんなさい……。やっぱり屋敷にある絵の中で、選ぶ事にするわ」
「そんな事を言うな。この機会に色々見て回るのも、悪くはないと思うぞ?」
「そうでございますとも! 新しい生活をお始めになられたのですから、あまり難しく考えずご覧になって下さいませ。色々と取り揃えておりますので。奥様の年代辺りの女性に人気の絵を見繕って、ご紹介いたしましょう」
「ありがとうございます」
どうやら店員は、ケインを金払いの良い客だと判断したらしく、嬉々として店内の絵を選んで説明を始めた。その彼に付いて歩き、説明に相槌を打ちながら、二人は彼に聞こえない様に囁き合う。
「値札とかは付いて無いのね」
「確かにそうだな。作者と大きさと題材で、客が大体の予想をつけるものだから」
「完全に無理。全然分からないわ。下手に高い絵に興味を持っていると思われたらごり押しされそうだし、なんとかしてくれる?」
「分かった。だが、それなりに金貨は持って来たから、アルティナが気に入った絵があれば、買って帰るつもりだから、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう」
そんな事を言いながら、注意深く店内や他に何人かいる客を注意深く観察していたアルティナは、店内の一角に変わった絵が飾られているのを目にして、思わず声を出した。
「あら? 随分、可愛いサイズの絵もあるのね」
「本当だ。珍しいな、あの大きさの絵は」
題材は花や風景とありふれていたものの、一番小さい物は片手に乗る位の形状から、本や角皿程度の大きさまで数種類、どれも一般的な絵画のサイズからはかけ離れた絵であった為、目を向けたケインも不思議そうな顔になった。するとすかさず、店員が嬉々として説明を始める。
「お気が付かれましたか? あれは当画廊店主と、あのマークス・ダリッシュ氏が共同考案した絵なのです」
「マークス・ダリッシュと言うと……、あの貴族出身で新進気鋭と名高い?」
心にも無い事をアルティナが内心でうんざりしながら、しかし笑顔で尋ねると、店員は嬉々として説明を続けた。
「奥様はご存じでいらっしゃいましたか! ええ、そうです。あのダリッシュ氏ですよ。『芸術と言う物は一部の特権階級だけの代物では無い。広く国民の知識教養を深めるべきだ』と篤志芸術展を開催された国王陛下の趣旨に従って、自らもできる事はないかとお考えになられた末、安価で手軽に購入できる絵画を描いて広めれば良いと、お考えになられたのです」
「はあ、なるほど。それはご立派な考えでございますね。しかしこのような小さい物を、テーマを変えて何枚も描くのは大変でしょうね」
考え方として良いだろうが、採算が取れるのかと疑問に思いながらアルティナが話を続けると、店員は笑顔であっさりと口にした。
「いえ、一枚一枚構図から考えていたら、本当に大変です。ですからダリッシュ氏は、同じ絵を何枚も描いておられます。ここに飾ってあるのは、所謂見本でございますので」
「はぁ?」
聞き慣れない言葉を聞いて、アルティナ達は思わず顔を見合わせてから、ケインが慎重に尋ねた。
「ええと……、それではこれらの絵は一点物では無く、複製品というか、量産品を描いているという事か?」
「はい、そうでございます。その分、価格をお安く設定頂いておりますので。こちらの一番小さい花の絵は一千リランで、お隣の小鳥の絵は二千リランになります。ここの一角の絵は、一番大きいあの絵でも、一万リランに届きません」
「それはそれは……、確かに値段が手ごろで、庶民が芸術に触れるきっかけになりそうだな……」
ケインは内心で(この絵にそれだけ払うのも惜しいな)と半ば皮肉を込めて感想を述べたが、店員はそれには気が付かないまま上機嫌に話を続けた。
「そうでございましょう? 正直に申しますと、私共も最初はこんな物が売れるのかと、半信半疑だったのです。絵画というものは、その一点しかない事で価値を有すると考えるのが、常識でしたので」
「ああ、それは私も同感だ」
「しかし敢えて、その価値観の真逆に挑んだ主人とダリッシュ氏を、今では尊敬しています。今日もお客様がいらっしゃるすぐ前に、ダリッシュ氏の《跳ね橋》と《草原》を、すぐに庶民と分かる方が購入して行かれました」
「へえ? それは凄いな。因みに全種類で、どれ位売れているのかな?」
思わず好奇心で尋ねたケインだったが、相手は誇らしげに答えた。
「そうですね……、去年から売り始めて、正確な数は帳簿を見ないと分かりませんが、四百枚から五百枚といったところでしょうか?」
「……本当か? それは凄いな」
そんな二人のやり取りを聞きながら、アルティナは内心で腹を立てていた。
(何をやってるんだか、あの似非画家。まともな絵を描かないで、薄利多売をやっているだけじゃない。私が見ても大して上手とは思えないし、目新しい題材や構図でもないこんな絵を庶民に広めるなんて、陛下の理念に賛同するどころか、却って妨害しているとしか思えないわ)
そしてマークスに対する悪印象をまた一つ増やしつつ、アルティナは何とか笑顔を保ちつつ店内を注意深く観察し続けた。
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