(4)思わぬ登場
「何だと!?」
「こいつ、平民の分際で!」
「思い知らせてやる!」
「やれるものなら、やってみなさい!」
「ぐあっ! このっ……」
まさかまともに言い返されるなど思っていなかった男達が、たちまち頭に血を上らせ、リディアに殴りかかった。しかしその手を余裕でかわしながら、彼女が相手の脛を盛大に蹴り付ける。その痛みでその男が蹲ったのを仲間が、横から彼女に掴みかかろうとした。
「このっ! 女のくせに生意気、……げへぁっ!」
「ああぁ、もう! どうしてこうなるの!」
絵を手に提げていた左側から手を伸ばした為、余裕で引き倒せると思っていた男は、さらに横から割り込んだアルティナに腕を取られ、呆気なく廊下に投げ倒された。すると、突如として廊下でそんな乱闘が勃発した事を誰かから知らされたのか、廊下の曲がり角の向こうから王宮内の警護に当たっている近衛騎士が二人、慌てて駆け寄って来る。
「お前達、そこで何をしている!」
「こんな公共の場で女相手に乱闘など、恥ずかしくないのか!」
黒騎士隊の制服を身に纏った二人は、迷わず男達を叱責したが、反撃されて被害を被っているのが自分達であった事もあり、男の一人が血走った眼で騎士に手を伸ばした。
「うるさい! 貸せっ!」
「あ、おいっ!」
すっかり油断していた騎士の腰から、その剣の柄を掴んで鞘から抜き取ると、完全に理性を失っていた男は、リディアに向かって真っすぐその剣を突き出した。
「この女、殺してやる!」
「リディア!!」
「危ない!!」
「……っ!?」
まさか王宮内で私闘で剣を振り回すなど、常識外れの行為をするとは思い及ばず、アルティナも騎士達も反応が遅れて悲鳴を上げた。そして完全に丸腰のリディアの身体に、剣がそのまま突き刺さるかと思いきや、彼女は殆ど条件反射で左手に持っていた木箱を両手で持ち直し、身体の正面で構える。
当然、剣はその箱に突き刺さって貫通したものの、彼女の身体に達するかなり手前でその切っ先が止まり、アルティナは心から安堵した。しかし箱を抱えたままのリディアが真っ青な顔になっているのを見て、自身もその箱の中身がどうなったのかを悟り、未だ剣を握ったままの男の腹に、渾身の回し蹴りをお見舞いする。
「何すんのよ、このクソボケがぁぁっ!!」
「ぐほぁっ!」
彼女の一撃を食らった男が廊下に倒れ込むのと同時に、未だ彼が手にしていた剣が箱から抜かれた。そして緊張の糸が切れた様に、リディアが箱を掴んだまま崩れ落ちる様に廊下に座り込むと、更に廊下の端から鋭い声が響いてくる。
「貴様ら! そこで剣を抜いて、何をしている!!」
「ケイン!」
血相を変えて駆け寄って来た、名目上の夫であるケインを見て、アルティナは驚きの声を上げた。対する彼も驚愕の顔付になって、慌てて尋ねる。
「アルティナ? どうしてこんな所にいる。怪我はないか? 大丈夫か!?」
「え、ええ、怪我は無いけど……、リディアの絵が……」
「絵?」
「…………」
意味が分からず怪訝な顔になったケインだったが、アルティナの視線を追って下に視線を下ろした。すると廊下に座り込んでいたリディアが、紐を解いて木箱の蓋を開けていたが、そこに収められていた絵のほぼ中央に穴が開いているのを見て、アルティナ同様何とも言い難い表情になる。するとここで、新たな声が割り込んだ。
「おい、ケイン。年寄りを放置していくとは何事だ。……ほうぅ? これはなかなか良い絵だな。しかし最近王都では、絵の中央に穴を開けるのが流行っているのか? 俺から見ると、無粋としか思えんが」
「誰が年寄りですか。年寄りなら面倒事に首を突っ込まないで、田舎でのんびり隠居生活を謳歌していて下さい」
いきなりケインの横から現れた、総白髪の男性を認めて、アルティナは危うく声を出しそうになった。
「え? っあ」
「アトラス元隊長!? どうしてここにいらっしゃるんですか?」
しかしアルティナ以上に驚いたらしいリディアが、思わず声を上げた為、なんとか踏み止まって口を閉ざす。
(あっぶない、危うく「アトラス隊長」って以前通り叫ぶところだったわ。“アルティン”の前任者だけど、“アルティナ”とは面識は無いんだから、ここは知らないふり、知らないふり)
そして警戒しながら事態の推移を見守っていると、アトラスはリディアの顔をしげしげと眺めてから、問いを発した。
「おう? 何やら見覚えがある顔だが……、白騎士隊の人間だったかな?」
「はい、リディアと申します。アトラス様はどうしてこちらに? 前緑騎士隊隊長のアルティン殿に隊長職を譲って引退なされてからは、故郷にお戻りになったと伺っていましたが」
「ちょっと野暮用ができてな。騎士団長と陛下にお目にかかりに参上して、ケインに取り次ぎを頼んでいたところなんだ。ところで……、そちらにも、見覚えのある顔があるな」
抜群の記憶力は、数年が経過しても微塵も衰えてなかったらしく、人の悪い笑顔を向けてきたかつての上司に、アルティナは全力で笑顔を作りながら向き合った。
(うっ、なんか隊長のこういう笑顔の時って、油断できないのよね)
つい癖で相手を隊長と心の中で呼びながら警戒していると、ケインがアルティナを軽く引き寄せながらアトラスに紹介した。
「アトラス殿、こちらは亡くなったアルティンの双子の妹で、私の妻でもあるアルティナです。簡単な経緯などは、騎士団長からの手紙などでご存知かとは思いますが」
「初めまして、アトラス様。お話は時折、兄から聞いておりました。お目にかかれて光栄です」
神妙に調子を合わせてアルティナも頭を下げたが、それを見たアトラスは豪快に笑った。
「ああ、そう言えば、アルティンの奴、あっさりくたばっちまってたな。年寄りの俺より先に逝くような、甲斐性無しには見えなかったが」
「……アトラス殿」
アルティナの心情を慮って僅かに両目を細め、無言で非難してきたケインを見た彼は、苦笑いしながらその横をすり抜けた。
「そう睨むな、ケイン。それじゃあ、陛下と騎士団長をお待たせしては悪いから、用事を済ませてさっさと行くか」
「用事? アトラス殿、何かありましたか?」
怪訝な顔でケインが応じたが、彼は無言のまま足を進めた。その先で、先程蹴り倒された男が周囲の者達に支えられて立ち上がっていたが、その顔面にアトラスが渾身の力で拳を叩き込む。
「ぐげはっ!!」
「うおっ!?」
「貴様、何をする!!」
その衝撃で男は勿論、彼を支えていた者まで纏めて廊下に倒れ込み、周囲の者は揃って非難の声を上げたが、そんな彼らをアトラスは一喝した。
「王宮内で女に斬りかかるだけでは飽きたらず、絵を突き刺すとは何事だ! 恥を知れ! お前達、何をボケッと突っ立っている! さっさとこの不愉快なゴミを片付けろ!」
「はっ、はいっ!」
「承知しました!」
「何をするんだ、離せ!」
「俺達を誰だと思っている!!」
「それより早く、医者を呼べ!」
周囲に集まっていた黒騎士達は、その怒声で弾かれた様に慌ただしく動き出し、鼻血が出たか歯が折れたかで口の周りが血に染まっている男とその仲間を、叱り付けつつ騎士団執務棟に連行して行った。その騒々しい一団が遠ざかっていくのを眺めてから、アトラスがアルティナに向かって小さく手招きする。
「ああ、それからアルティナ殿。ちょっとこちらに」
「はい、何でしょうか?」
素直に近寄ったアルティナだったが、ケインからもリディアからも少し距離を取ったそこで、アトラスが彼女にだけ聞こえる声で囁く。
「貴様の事だから、あっさり死ぬわけが無いと思っていたがな」
「……え?」
「お前が元から女だった事位、とっくに知っておったぞ。この大馬鹿者が」
「…………」
小声で叱り付けられ、ぐうの音も出なかったアルティナが顔を引き攣らせると、ケインが近付いて来るのを察したアトラスが、さっさと話を終わらせた。
「とにかく、今回お前の手を借りる事になると思うから、そのつもりでいろ」
「アトラス殿、アルティナに何を言っているんですか?」
仏頂面で声をかけたケインに、アトラスはあっさりと異なる事を口にした。
「お前と結婚する羽目になった彼女に、お前の弱みの一つや二つを吹き込んでおいてやろうと思ってな」
「弱みなんかありません! さっさと行きますよ! 陛下と騎士団長をお待たせしては悪いと、さっき自分で仰っていたじゃありませんか!」
「じゃあお嬢さん達、またな」
「はぁ、どうも……」
腹立たし気なケインに背中を押されながら、アトラスは笑って手を振った。それに一応笑顔で手を振り返してから、アルティナはリディアの事を思い出し、慌てて目を向ける。
「あの……、リディア。怪我はない?」
すると元通り箱の蓋を閉め、紐もかけ直していた彼女は、ゆっくりと立ち上がってからアルティナに向かって頭を下げた。
「ううん、大丈夫よ。ありがとう。それより、つまらない事に巻き込んでごめんなさい」
「そんな事、気にしないで! 第一、悪いのは絡んできた向こうじゃない。それに最初にすぐに引き下がれば良かったのに、思わず反応しちゃった私が悪いんだから、絵があんなことになっちゃったし、貸したお金は返さなくて良いわ」
しかしそれを聞いたリディアは、真顔で首を振った。
「それは筋が違うわ、アルティナ。絵がどうなろうと、それを落札する為にお金を借りたのは事実なのよ? 借りた額はきちんと返すから。それに私がムキになって反論して、あの連中を怒らせたのが悪いのだもの。あなたのせいじゃないわ」
「リディア……」
「さあ、寮に戻りましょう! それから街に出て、こういう時こそ美味しい物を食べなきゃね!」
「ええ……、そうね」
そして明るく宣言して木箱を手に歩き出したリディアだったが、並んで歩き出したアルティナからは、それが空元気にしか見えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます