(14)華やかな表側
リディアの亡父の絵が発見されてから、半月程経過したある日。リディアは王宮外宮の一角で、曲がり角の陰に身を潜めながら、少し離れた部屋の出入り口を観察して、完全に怖じ気づいていた。
「アルティナ……。、さっきから偉そうな人達が、続々とあそこに入室してるんだけど……」
震える声での訴えに、アルティナは溜め息を吐いて言い聞かせる。
「リディア……。まさかここまで来て、騎士団執務棟に戻るなんて言わないでよ? 大丈夫。ちゃんと私とあなたの名前で、立派な招待状も頂いているんだし」
「そうは言っても! 全員一目で貴族と分かる出で立ちなのよ!? それなのに私、騎士団の制服姿なんだけど!?」
「私も同様よ。それに下手な服を着てくるより、これで良いじゃない。ある意味正装よ?」
「何、その開き直り具合!? やっぱりアルティナって、普通の貴族じゃないわ!」
「……それ、今更だから」
涙目でそう叫ばれて、アルティナは思わず深い溜め息を吐いた。すると背後から、穏やかに声がかけられる。
「こんな所で、どうかしたんですか?」
「え? あ、ラ、ランディス殿下!」
「失礼しました。何でもございません」
慌てて振り返って頭を下げた二人に、ランディスがさり気なく申し出る。
「二人とも、マークス・ダリッシュ氏の作品を鑑賞しに行くところですよね? それでは一緒に行きましょう。そうすれば何となく私の警護をしている感じで、さり気なく会場に入れると思いますし」
「はぁ……」
「ご一緒させて下さい」
そして顔を見合わせた二人は、ランディスの後ろで並んで歩き出した。
(本当にここで引き替えされたら困るし、ランディス殿下がこのタイミングで来てくれて助かったわ)
彼の言葉通り、出入り口付近にいた招待客にも、会場の警護に就いている黒騎士隊の者にも、それほど奇異の目を向けられずにアルティナ達は入室し、そのまままっすぐジェラルドの下へ向かった。
「お待たせしました、兄上」
すると何やら補佐官と話していた彼は、振り返って笑顔を向ける。
「ああ、ランディス、来たか。それに二人も、勤務時間中に呼び立てて、申し訳ない」
その台詞に、アルティナ達の方が恐縮する。
「いえ、お構いなく」
「願ってもない事でしたから」
「さて、それでは時刻だな。茶番を始めるか」
そこで苦笑したジェラルドが呟き、それを受けて傍らにいた補佐官が、何度か手を打ち鳴らして室内の人間に注意を呼びかける。
「皆さん、静粛に。今回の主催者である王太子殿下から、当個展開催のご挨拶があります」
その声に、各自顔見知りと笑顔で雑談していた招待客達は、口を閉ざしてジェラルド達の方に視線を向けた。それを受けて、彼が笑顔で挨拶を述べる。
「皆、今日は私の誘いに応じてくれてありがとう。国王陛下が篤志芸術展の開催を始めて以来、国内の文化や教育水準が向上しているのは明らかだが、その中でも才能ある若手の台頭が著しいのは、皆が知っての通りだ」
そこで一度話を区切ったジェラルドは、少し離れた所にいたマークスに視線を向けながら、再び語り始める。
「特に初回の篤志芸術展で、貴族階級でありながらも、類い希なる才能を認められたそちらのマークス・ダリッシュには、前々から敬意すら感じていた」
「身に余る光栄です、殿下」
王太子からの直々の賛辞に、マークスは得意満面で頭を下げる。それを見て一瞬皮肉げに笑ってから、ジェラルドは何事も無かったかの様に話を続けた。
「それで数々の彼の名作を、一度に集めて堪能してみたいと考え、絵画に造詣が深く美術愛好家の人脈を持っているランディスに、今回の個展を企画して貰った」
そこでジェラルドが話を振ると、一歩下がっていたランディスは兄と並び、王子らしい威厳を醸し出しながら告げる。
「今回の企画に賛同して頂いた、所有者の全員に感謝する。それと、せっかくなので作品の価値が分かる皆様にも、招待状をお送りした。さあ、夕方までのひと時を名画を鑑賞しながら過ごして欲しい」
そのランディスの合図と共に、壁に掛けられている絵を覆っていた布が、控えてきた侍従によって次々に取り払われ、出席者から感嘆の声が上がった。
「まあぁ……」
「さすがですな」
「一枚ごとなら、それぞれの家に招かれた時に見せて貰った事はありますが、これは壮観です」
そして招待客がそれぞれお目当ての絵の前に移動し始めたのを横目で見ながら、アルティナはリディアに囁いた。
「リディア、どう?」
それに彼女が、小さく頷いて答える。
「私のあの絵を除いて、十五枚。全部揃っているわ」
「本当に? まさか全部揃っているとは、思わなかったわ。あの似非画家が描いた絵も、何枚かは混ざっているかと思ったのに……」
「ランディス殿下が、より分けたのかしら。さすがね」
すぐ側にいるランディスを横目で見ながら囁いたリディアは、ここで控え目に申し出た。
「あの……、アルティナ。ちょっと近くで見てきて良いかしら?」
「勿論、構わないわよ? ここに来るときにも言ったけど、あなたはちゃんと招待状を貰っているんだから」
「そうだ。遠慮する事は無い。君は誰よりも、この絵画を理解できる筈だ」
「ありがとうございます、王太子殿下。じゃあアルティナ、ちょっと見てくるから」
ジェラルドにも後押しされ、リディアは嬉しそうに頭を下げて壁に向かって歩き出した。
そして着飾った人々の後ろから、控え目に絵を見始めたリディアだったが、すぐに食い入る様に眺め始める。
(やっぱり本当に、お義父さんの絵。もう目にする事なんて、できないと思っていた……)
すると少々場違いな姿の彼女の様子を興味深そうに観察していた初老の男性が、リディアに優しく声をかけてきた。
「お嬢さん、私の絵がお気に召したかな?」
「え? あ、は、はい! 素敵な絵だと思います!」
「ほう? それではこの絵のどこら辺に、魅力を感じるかな?」
その声に、僅かにからかう調子が混ざっているのを、普段から彼と付き合いのある者達は感じ取り、「ニルグァ様もお人が悪い」と囁き合ったが、そんな事は全く分からないリディアが真顔で口にした感想を聞いて、彼を含めた全員が表情を改めた。
「この山と湖の構図の取り方が、この木立の陰影を効果的に見せていますし、全体的に自然に遠近法が取り入れられています」
絵の部分部分を指し示しながらの説明に、ニルグァが真剣な表情で頷く。
「……なるほど。他には?」
「こちらの、一見少々荒っぽく塗った様に見える斜面は、レンデール手法を踏襲していますが、逆に湖面のカッシェ手法との対比が活きていると思います」
「確かにそうだな」
「ただ……、こちらの地面に影が落ちている所の色合いが……。茶系の絵具が不足して、無理に他の色を混合した様に見えますね……」
しかしリディアが少々残念そうに口にした途端、目を見開いたニルグァは、如何にも楽しげに笑い出した。
「はははっ! これはいい。まさか王都から遠く離れた場所で、画材に恵まれていない状況で描かれたのならいざ知らず、王都在住のマークス殿がそんな裏技は使わんだろう」
「そうですね。変な事を口走って、申し訳ありません」
「いや、君の絵に対する造詣はなかなかのものだ。今日は良い機会だから、じっくり堪能していきなさい。ほら、そちらのザーリッシュ伯爵夫人所有の絵など、逸品だと思うぞ?」
「まあ、お褒めいただき、ありがとうございます」
そう言ってニルグァが隣に飾られている絵を指し示すと、そこに佇んでいた彼と同年代の婦人が微笑み、リディアも素直な賛辞を口にした。
「まあ! 本当に素敵な絵ですね、奥様。奥様のセンスの良さが、この絵からも分かります」
「あら、そうかしら?」
「はい。変に風景を飾らず、しかし刈り入れ期の黄金色に輝く穀物のなびく様は、豊かさの象徴です。それをわざと細い筆で詳細に描き込むのではなく、敢えて太めの筆で上部と下部で技法を変える事で表現するなんて、なかなかできる事ではございませんし」
一気にリディアが言い切ると、ザーリッシュ伯爵夫人アレーナは嬉しそうに微笑んだ。
「あら、説明しようと思った事を、全て言われてしまったわ」
「あ……、申し訳ありません!」
慌てて頭を下げたリディアだったが、アレーナが鷹揚に頷いて宥める。
「宜しいのよ? 普通なら絵画に触れる事など少ないであろう平民のお嬢さんが、ここまで本質に触れた感想を言えるなんて、感動しました。陛下の即位以来の教育文化向上政策の、賜物と言わざるを得ませんわね」
「はい! 特に篤志芸術展の開催は、陛下の業績の最たる物だと思います!」
力強く主張したリディアを見て、アレーナの表情が微笑ましい物に変化した。
「あなたに招待状を出された殿下方のご見識は、さすがとしか言いようがありませんわね」
「全くだな。お嬢さん。こちらにある私の絵も秀逸だぞ? さあ、遠慮なく観てくれ」
「はい、ありがとうございます」
それからは絵の所有者達が我先にとリディアに声をかけ、彼女を交えて楽しげに絵画談義を繰り広げている様子を見て、ジェラルドは満足そうに弟に囁いた。
「彼女は随分緊張していた様だが、すっかりリラックスできたようだな」
「はい。基本的に本当に美術品を本当に愛する方々ばかりですから、その真価を見極める能力を保持している人間に対して、貴族だ平民だと変な偏見をお持ちの方は殆どいらっしゃいませんし」
「寧ろ平民の若いお嬢さんから、所有している絵に対して真っ当な誉め言葉を貰って、鼻高々だと言うところか?」
「そういう事ですね」
そして楽しそうに顔を見合わせた兄弟は、僅かに表情を改めて囁き合った。
「……ランディス。もう少ししたら、奴の所に行くぞ」
「はい。宜しくお願いします、兄上」
(うわ……、お二人ともやる気満々。ちょっとだけあのろくでなしに同情するわね)
その三人の視線の先には、周囲に信奉者を侍らせてすっかり悦に入っている、マークスの姿があった。
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